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論文マラソン3 伊藤佳之「福沢一郎 古典のレアリズムは前衛に通ず」

こんばんは。仕事終わりにジムへ行き、帰ってダラダラしていたらかなり遅い時間になってしまいました。

今日の論文は、伊藤佳之氏の「福沢一郎 古典のレアリズムは前衛に通ず」(『さまよえる絵筆ー東京・京都 戦時下の前衛画家たち』弘中智子・清水智世編著、みすず書房、2021年、138〜140ページ)です。
今日読むものは何にしようかな〜(あと疲れているので短めの論考がよいな〜)と、「さまよえる絵筆」展の展覧会図録をパラパラとめくっていると、こちらの論文が、昨日読んだ前衛絵画における「古典」引用に関する論文と内容が近そうだなと思い、読むことにしました。

論文構成

古典芸術における「革新」とは
福沢の制作と古典の意味
おわりに

簡易メモ

・福沢一郎の前衛への理解は、乗り越えるべき伝統としての「古典」の意識により深まったと言えると、筆者は述べる。
・福沢は、『独立美術』(独立美術協会の機関誌、1933年)にて、ルネサンス芸術を引き合いに出しながら、時代に即した形式によって造形芸術の内容が更新されていくという旨を説いている。
・福沢は、マザッチォの《楽園追放》について、「絶望と恥辱の感動すべき画像」と述べ、人間の悲劇の全てが集約された絵として評価している。
・福沢は《女》(1937年)にて、《楽園追放》のモチーフを引用している。引用の背景には時代性(戦時下における悲劇ともいうべきか)を自作に落とし込み、「今」描くべき意義をもった絵として発表しようとする考えがあったのではないかと筆者は述べる。

気になったこと・感想

・福沢の、西洋の古典(特にルネサンス絵画)を重視する姿勢について、より具体的に知ることができた

所要時間:22分


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