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映画『浮雲』に愛と性の哲学で挑んだ


私はずいぶん前に、
恩師のことを恩師、と呼ぶことをやめた
恩師、のことを
恩師、と呼んでいるうちは
それは
思慕を言い訳にした依存だと思うようになったから

「あの人のおかげで今の私がある」
そう言い切ることの快感は
確かに知っているが

たったひとりとの、
たったひとつの出逢いが
すべてを決めるわけではないと
いまの私は知っている

5年間の学生生活の最後に書いた
この短い論文
たった1年だけ通った、
もうひとつの母校からの卒論として
因縁と呪いへのひとつの決別として
生き延びた自分への 言祝ぎとして

何年も、
映画論の本しか手に取れなかった私が
引用の言葉でしか語れなかった私が
この街で、
たくさんの大人たちや友人たちと出逢い
家族に支えられて
哲学や、他の学びに出逢い
自らの言葉を取り戻した

あれ以来、二度と戻ることのなかった、
本来の母校の暗い廊下に
置いてきたはずの怨霊がうめくとき
この論文を読み返す



私のもう一人の先生のこと
恩師、と呼びたかった人のこと

ああいうことをされた数ヶ月後
この映画についてのイベントに登壇した時に
その人が放った言葉

「ぼくは、この富岡という男に、
ものすごく、共鳴するんだよね」

どんな気持ちで、
性的に傷つけた学生の前であんな言葉を吐けたのか
当時の20歳の私も、もうすぐ28歳になる私も、
全然わからずにいる

わからないからこの論文を書いた

「ぼくは、この富岡という男に、
ものすごく、共鳴するんだよね」

私が大学を去った後
同じ言葉と共に、
講義の中で唐突に上映されたという、この映画に
それが、残された学生たちにとっては
とうとう最後の講義になったという、この映画に
もう一度、当時の精一杯で挑んだ

出来合いの物語の引力に呑まれないために

どれだけ似ているかに逃げないために

どれだけ違っていたかを
思い出すために

はじめに

『浮雲(うきぐも)』(監督:成瀬巳喜男 脚本:水木洋子) は、1955年に東宝によって配給された日本映画である。高峰秀子、森雅之、岡田茉莉子らが出演している。

成瀬巳喜男は女性映画の名手として知られ、とりわけ日常的なつつましさを帯びた女性を描くことに力を注いだ。女性の内面の葛藤を描くにあたり、右に出るものはないとも呼ばれる作家である。
GHQによる映画検閲が廃止されたのち、多数の映画が製作されるようになった頃に活躍し、黒澤明や小津安二郎らと共に日本映画の黄金時代をつくりあげた。

成瀬は、昭和の伝説的な小説家・林芙美子の作品世界の数々を、銀幕へと蘇らせたことでも知られている。
本論で取り上げる『浮雲』の原作小説も、1951年に、林の手によってこの世に生み出された。
小説版・映画版を比較しても、物語に大きな違いは見られず、映画版は小説の世界観を忠実に再現したものとされ、公開当時から激賞された。

『浮雲』は、敗戦後、時代に取り残され厭世的になった男と、たくましく生きながらもそんな男に執着し続け、身を滅ぼしていく女の情痴的恋愛を描いた作品である。宿命的に出逢ってしまったものの、その先に待つのは破滅しかない。一緒にいるべきではないと頭では分かっており、何度も別れようとするが離れられず、情に溺れ破滅していく、という筋書きである。映画研究者の田中眞澄は「負のメロドラマ」と表現した。

本論は、そんな二人の「離れられなさ」に注目する。
先に述べたように、『浮雲』はしばしば「宿命」「運命」といった言葉とセットにして語られる映画である。
浮雲が上映された当時に用いられた「荒野に翳る浮雲の 流れ哀しき運命か あわれ女の愛情流転」というキャッチコピーは「踏んでも蹴られても」(水木 1955)、一人の男を一途に思い続け、「愛」を貫いた女性の悲劇を、観客たちに劇的に印象づけるものである。

しかし、二人が離れられなかった理由を、このように「運命」という一言で片付けることは、本当に正しいのだろうか。そうすることで、見過ごされる何かが、そこにはないだろうか。

本論は、本映画にとって極めて重要なラストシーンに言及する。すなわち、ある意味では作品の余韻をぶち壊しにするものと言える。

映画とは言語によって表現しきれないものを語るという意味で、それ自体がすでに一つの「言語」である。
映画のあるシーンを切り出し、言葉にした時点で、それをはじめて眼にした時に心に生まれた光景は、たちまち色を失い、死んでしまう。それゆえ、映画鑑賞後、感想を賢しげに語る振る舞いには一種の「不粋さ」を感じる場合もあるだろう。
「言葉にしない美学」なるものが、やはり映画には本質的に存在するからだ。

傑作と呼ばれる作品は、映画ファンにとっては「神話」とも言える価値をもって映画史に君臨する。大っぴらに批判することは避けられ、「あれを見ている」という事実によって仲間を見分け、同調し合う。時には、知識合戦も行われる。
それが所謂「映画好き」の間でしばしば反復されてきたコミュニケーションの型だと言えるだろう。

そうした態度は、もちろん映画への、そして同胞への愛に基づくものだ。「みなまで言うな」というような頷き合いは「言葉では言い表せない」感動を尊重し、心動かされたという事実によってのみ相手と共感し合おうとする、ある種「粋」な態度であると言える。

しかし、あえて「野暮」な態度をもってこの『浮雲』という映画に挑むことで得られる何かがあるはずだ。
作品への愛や、感動、共感の頷き合いから一歩距離を取り、それが手探りであっても、ラストの富岡の「涙」によって隠蔽されてきた何かを明らかにしたい。
これが本論の問題提起の出発点である。


1. 『浮雲』の物語について

浮雲という物語は、大きく3つの舞台によって、時系列で分けることができる。
第1部が仏印、第2部が東京と伊香保、そして第3部が屋久島である。

仏印とは、フランス領インドシナのことで、現在のベトナムにあたる。第二次世界大戦時に日本軍が進駐していた土地であり、農林省の役人であった富岡は、日本からここ仏印へ赴任していた。
そこへやってきたのが、農林省のタイピストとして、同じく仏印に派遣されてきたゆき子であった。

当初は、口の悪い富岡に否定的な感情を抱いていたゆき子だが、やがて富岡に妻が居ることを知りつつ 2 人は関係を結ぶ。
この時、富岡は「妻とは別れてきみと一緒になる」「日雇い人夫でもやって二人で暮らそう」とゆき子に話しており、二人は「日本に戻ったら結婚しよう」と約束し、別々に帰国する。

日本に戻り、東京の富岡の家を訪れるゆき子だが、富岡は妻とは別れておらず、やはり結婚はできない、別れるよりしかたがないとゆき子に話す。
失意のゆき子は、それでも生きていくため、アメリカ兵の愛妾(当時の名称「パンパン」)に身を落としながらも、何とか食いつないでいく。だがそこに富岡が訪ねてきて、その後も会う約束を交わしてしまう。
終戦後の混乱した経済状況で富岡は仕事が上手くいかず、ゆき子を連れて、伊香保温泉へ心中旅行に行くことにする。しかし富岡は、ゆき子と心中するどころか、現地の人妻・おせいとも関係を結ぶ。ゆき子はそれに勘づき、二人は東京へ戻ることとなる。
東京に戻った後、妊娠が判明したゆき子は再び富岡を訪ねるが、彼は上京してきたおせいと同棲していた。その後おせいは、追いかけてきた夫に殺されてしまう。

富岡は新任地の屋久島へ行くことになる。このときから身体の不調を感じていたゆき子 は、「一人で生きていってほしい」と語る富岡に必死に追いすがり、無理を言って同行する。富岡の子供を堕ろす際に、何度も手術をやり直したゆき子の身体には、大きな負担がかかっていた。
ゆき子の病状は急激に悪化し、屋久島へ着いた頃には寝たきりになってしまう。ある豪雨の日、勤務中の富岡に急変の知らせが届く。富岡が駆けつけた時には、既にゆき子は事切れていた。誰もいなくなった部屋で、富岡は泣きながら、ゆき子の名前を何度も呼ぶ。 そして、ゆき子の鞄から口紅を取り出し、ゆき子の唇に紅を引いてやる。
死化粧を施されたゆき子の美しい顔を、クロースアップでカメラが捉える。

富岡がゆき子の枕元に泣き崩れ、慟哭する姿で、画面は暗転する。そしてエンドマークの代わりに、林芙美子の「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」という詩が出て、物語は幕を閉じる。


2. ゆき子は、なぜ富岡から離れられなかったのか

2.1 作品を取り巻く男性優位と、それへの批判

日本映画黄金期の名作を多数手掛けた映画プロデューサーであり、東宝株式会社の元社長でもある藤本真澄は、浮雲の試写終了後、「あの主人公のような女性がいたら、ぼくは理想として最高だな」「踏んでも蹴られても、男についてくる女...そういうのはいいなア」 と語ったとされる。
自らを何度も裏切った男を、ぼろぼろになっても、妊娠・堕胎させられても、他に愛人がいても、一途に愛し続け、最後は地の果てまでついていく。藤本はこれを女による「純愛」の現れととらえ、ラストの死を「献身」として美化している。

一方、自ら浮雲の脚色を手がけた、脚本家である水木洋子はこれに強く不快感を表し、 「私はこの、女の愛というものが、それほどに純粋で、真実の現れであるかと、いささか疑わしく思う」と、自らのエッセイの中で反論をしている。水木は、踏んでも蹴られてもついていく女の背中には、ある種の打算めいたものがある、と鋭く指摘し、ゆき子の愛が 「純粋で、真実」であったかどうか、そしてゆき子の死がそれを貫いた結果であったかどうかに対し、懐疑的な立場を示している。

また、水木は「なぜ二人が離れられなかったか」という問いかけに、「セックスが合ったから(身体の相性が良かったから)」などと答えたとされている。富岡に執着し続けるゆき子の行動の根底には、男ありきの「純愛」などではなく、単に自らの性欲があるとする水木のまなざしは、ゆき子が主体的な欲望をもった一人の人間として存在していたことを提示し、先の藤本の発言を覆すものである。

水木は、小説版のラストを、脚本において大幅に改変したことでも知られる。小説『浮雲』では、富岡がゆき子の死後、(悲しみはするものの)ふらふらと他の女の元へと流れていくことを示唆して終わっているのに対し、脚本家である水木は、映画を富岡が泣き崩れる場面で終わらせている。この改変について、水木は以下のように語っている。

私は林(芙美子)さんほど男には絶望していない。踏んでも蹴られても、信じたい。 だから、映画のラストは、女の死を男が心から慟哭する瞬間で終っている。それは彼の人間性として敗北の瞬間でもあるのだ。原作は、男が再び女の金で遊びに行くのだ。 これが現実であろう。
しかし私は林さんの声と呼吸を常に耳のはたに聞きながら尚且つ男への絶望を叩きつけたくはなかった。それは脚色をした私の切なる願いである。

(水木 1955)

映画版のラストシーンにおいて、水木はゆき子に「死」という最強の切り札をもって富岡に挑ませた。泣き崩れる男を前に、ゆき子の「愛」が勝利する瞬間を明確に描く、という水木のこのもくろみは、原作の持つ男性優位のラスト、ひいては先ほどの映画プロデューサーの発言のような、ゆき子の無償の愛を美徳とする男性優位の言説に対抗するものである。

しかしこれは、逆に言えば、ゆき子は「死」をもってしか富岡と対等に向き合うことができなかったことの表れではないだろうか。ゆき子は、富岡と対等に向き合い、愛される手段を「死」以外に持たなかったのではないか。

2.2 ゆき子の「性被害者」としての側面

森年恵は「成瀬巳喜男における女性像の変遷─『被害者学』から見た『浮雲』」という論文の中で、林芙美子の作品のなにが成瀬の心をとらえ、映画化への意欲をかき立てさせたのか、という理由について「芙美子が貧困の中で『被害』を受けた女性を描くことに長けていたこと、あるいはそうした女性を描くことこそが、彼女にとってもっとも重要な主題のひとつであったことがその理由なのではないか」(森 2012:78)と指摘する。

林芙美子作品に登場するヒロインには「性被害」の経験がある女性が多く登場する。また森は、林作品のモチーフとして、不倫などの「荒れた性関係」(森 2012:78)がしばしば取り上げられる、と述べる。

たとえば、成瀬巳喜男による林芙美子作品の実写映画である 『晩菊』(1954 年)は、林の短編『晩菊』『水仙』『白鷺』を成瀬が 1つの物語にまとめた作品であるが、その全てが上記のような被害経験のある女性、あるいは性関係が取り上げられている。

林芙美子作品にそうした女性が多く登場することについて、森は「林芙美子本人が幼少期に受けた性的虐待の影響」を示唆している。
森はさらに『晩菊』(1954年)の女性像を検討し、「原作となった3作品の主人公は悲惨な体験を持っているのだが、映画では、各ヒロインの中年期の生活を交錯させて物語が構成され、彼女たちの前史はあまり審らかにされない」(森 2012:78)と述べている。

林芙美子の手による原作においては、彼女たちの凄惨な過去は明確に提示される。しかし我々は、成瀬の手によってスクリーンに生み出された(あるいは生まれ直させられた) 彼女たちを観る限りでは、彼女たちが映画の年齢にいたるまで、どのような過去をもっているのかは想像することしかできなかった。
そのように成瀬が性被害をぼかして描いたのは、当時成瀬が身を置いていた製作所の目指していた「人生の機微を描くとしても、あくまでも希望的結末で終わるハリウッド的な」(森 2012:77)映画、すなわち「蒲田調」と呼ばれる作品群の影響によるものであると、森は考察している。

そんな成瀬巳喜男にとって、『浮雲』(1955 年)は、フラッシュバックという形で映像として挿入する形で、はじめてあからさまに性被害を描き出した作品である。『浮雲』以前/ 以後の成瀬を、森は以下のように指摘している。

成瀬は、『浮雲』以前では、悲惨なトラウマ体験を背景に持つ女性を描く林作品を取り上げながらも、映画の中にはその事実をあからさまに持ち込まず、現在の生活のみを描いていた。つまり、性被害体験を中心とするトラウマ体験を持つ主人公をえがく芙美子作品に強くひかれながら、被害体験そのものを描くことを言わば「回避」する姿勢がうかがわれた。『浮雲』は、成瀬が被害の要素をあからさまに描くことを選んだという意味で、彼の作品の系譜のなかで重要な位置を占めるのである。

(森 2012: 83)

ゆき子は、富岡と出逢う前(仏印に渡る前)に、義兄・伊庭によって3年間に及ぶレイプ被害を受けていた事実がある。成瀬が「あからさまに描いた」のは、はじめてゆき子が伊庭にレイプされた場面である。10数秒の映像に過ぎないが、怯えるゆき子の顔のクロー スアップと、覆い被さる伊庭の顔のクロースアップの切り返しショット、そしてその回想自体の唐突さにより、成瀬は(文字通り、心的外傷としての)「フラッシュバック」を、ゆき子の視点をなぞる形で描き出した。

森の論文は、ゆき子の「性被害者」としての側面から目を逸らさない。一見一貫性がないようにも見え、「ダメ女」として一蹴されがちなゆき子の言動を、森は緻密に観察する。こうした「被害者学」という視点から本作品にアプローチした点において、森の『浮雲』批判は、映像分析あるいは富岡・ゆき子の二者関係の分析にとどまるような従来の映画批評とは一線を画すものである。

例えば、ゆき子が布団やマフラーを伊庭の家から盗んだ理由として、自らの「処女性」を伊庭に奪われた代償であると主張するシーンについて、森は次のように指摘する。

これらは、ゆき子が自己や人生に対して持っているイメージ、それに対して行っている評価を表す言葉である。そこには、自分がすでにある基準から外れた存在だとする感覚、回復不可能であるという無力感や、親族による性虐待は誰にでも起こりうる日常的なものだという「ゆがんだ」認知が含まれている。「盗み」という現象も、性被害の結果現れやすい問題の一つとして指摘されている。

(森 2012:84)

また、ゆき子は、場面が転換するに従い、ある場面では非常にみすぼらしい様子であったり、打って変わった色香をただよわせたり、あるいは、人が変わったような変化を見せる。
ゆき子のこうした変化は、原作においても「すっかり人が変ったように華やかに化粧をしていた。髪はアップに結いあげ、眉は細く剃り、目には墨を入れていた。」(林 1951: 120)、「富岡が、扉を開けに行くと、痩せてすっかりやつれ果てたゆき子が、濡れた雨傘を持って廊下に立っていた」(林 1951:267)、「雨ゴートも、雨靴もないゆき子は、水色のブラウスに紺のスカートをはいて、毛深い脚をむき出したまま、部屋へ黙って這入って 来た」(林 1951:267)、「夏頃のゆき子とは、すっかり面がわりして、ふっくらと肥り、 軀つきも若々しく豊かになり、仏印の頃のゆき子の面影を取り戻していた」(林 1951:307) などといった表現で、鮮やかに提示される。

その時々の環境に応じて変貌を遂げるゆき子のこうした側面は、従来の『浮雲』論においては、「女のたくましさ」として捉えられることが多かった。これは、原作において以下のように心情を吐露し、自らを「もぬけの殻」「魂のない人間」と称し、弱さを曝け出そうとする富岡との対比によるものであると考えられる。

女自身の個性の強さが、ぐっと大きく根を張っているように見えた。何ものにも影響されない、独特な女の生き方に富岡は羨望と嫉妬に似た感情で、ゆき子の変貌した姿をみつめた。
女というものに、天然にそなわり附与されている生活力を見るにつけ、 現在の貧弱な自分の位置に就いて、富岡は心細いものをひそかに感じていた。絶対に二元性を持っている自由な女の生き方に、こんな道もあったのかと思わないわけにはゆかない。

(林 1951:120)

しかし森は、こうしたゆき子の特徴である「人格変容」を、性被害に発する症状として分析し、「この一種の解離状態とみなすことも可能な人格の急激な変化は、性被害に発する症状として理解可能である」(森 2012:87)としている。

環境に適応しているようにも見えるゆき子の人格の変容を、「女というものに、天然にそなわり附与されている」(林 1951:120)ものと捉え、「羨ましいなア...」と呟く富岡は、「女」であるゆき子を、明確に「他者化」している。

しかしそれは、自らを「男」と位置付ける富岡が、 富岡自身を省みる責任から逃れるための都合の良い言い訳でしかない。森の指摘は、そうした富岡の態度を非難するものでもある。

森の『浮雲』論においてきわめて重要なのは、「なぜゆき子は富岡から離れられないのか」という問いに「性被害の心的外傷」の側面からアプローチした点である。

富岡への執着の虚しさを繰り返し体験しているにもかかわらず、ゆき子が富岡と別れられないのは、 性的虐待の典型的な後遺症であると森は指摘する。そこには「信頼できる人かどうかの判断能力」の損傷があると森は述べる。

「ゆき子が富岡という危険な人物に近付いた理由は、彼女が若く無知だったからではなく、過去の被害に由来する、人間関係の『希求』と判断力の『欠如』による」(森 2012: 88)という指摘は、男性中心主義に貫かれてきた映画批評に一石を投じるものである。
これは、先に述べた映画プロデューサー・藤本真澄のような、ゆき子の行動を「愛」の現れととらえ、ラストの死を「献身」として美化する立場に、水木とは異なる視点をもって対抗する態度である。

3. 「愛」と「運命」が何を隠蔽するか

3.1 富岡は本当に「弱い」のか─あるいは、ゆき子は本当に「強い」のか

ゆき子を演じた高峰秀子が、富岡を指して「鵺のような男」と表現したことは非常に有名である。
富岡は、ある場面では優しく、ある場面では冷酷・非人道的と言えるほどの言動をする男である。このような富岡のつかみどころのなさは、ひとえに彼の「自己愛」によるものだと言える。富岡は作中、誰のことも愛してはいない。その時の感傷や欲情でふらふらと女の間を漂うが、結局は自分の身が一番かわいい人物である。

富岡は物語中、終始落ちぶれ果てた「弱い」人間として描かれ、その言動は一見、従来の日本映画が好んで描いてきたような「男らしさ」からの落伍者であるとも言える。
しかしこのように、富岡を「弱い男」、ゆき子を「強い女」としてきたことにこそ問題の本質があるのではないか。

ゆき子との蜜月を過ごしていた頃の彼は、農林省の役人という社会的に信頼度の高い職業の男性であり、辞職後も、専門誌に文章を書いて金銭を得ているような知識人として描かれる。最後には、再び農林省に戻る。 一方で、ゆき子はタイピストの職を失ってからは定職に就くことができず、男(アメリカ兵、富岡、新興宗教の教祖となった伊庭)を頼って生きている。しかし、意に反して富岡の子を妊娠し、堕胎手術を行い、おそらくはその合併症によって最期を迎える。

農林省を辞職し(これも、自らの意思で辞めている)無職となったのち、友人の石鹸会社で働き、最終的には農林省に戻る富岡。それに対してゆき子は、他人にすがって生きていくほかない。 ゆき子は、「たくましく」生きるほかに、生きる道がなかったのであって、それを「女というものに、天然にそなわり附与されている生活力」「女の強さ」とする富岡に、無批判に同調することは、ゆき子の置かれていた苦境に目を瞑ることに繋がるのではないだろうか。

3.2 「愛」「運命」が隠蔽するもの─いびつな権力構造

さらには、仏印における富岡は、ゆき子の目の前で、上司から「愛妻家で、仕事は間違いない男」として、実直・誠実であるかのような評価を受けている(実際には、ひそかに現地の女中であるニウにも手を出し、孕ませているにもかかわらず)。
このように、ゆき子が仏印での富岡に「男の逞しさ」(林 1951:122)を感じていたことは、たびたび作中でも明示されている。そしてそうした側面は、ゆき子が富岡に心を任せるにあたり大きく作用したことは、目を逸らすべきではないだろう。

西口想は、著書『なぜオフィスでラブなのか』において、以下のように指摘する。

細かな階層が入り組み、権力関係にもとづいて労働をするオフィス空間では「権力と恋愛」が容易に結び付く。仕事ができ、社内の信頼があついということが、その人の人間的な魅力になることは否定できない。特に男性の場合は、それに付随する組織人としての社会的地位や経済力が性的な魅力として転換されやすい。

(西口 2019:75)

富岡の有能さが、恋のはじまりにおいて、ゆき子に魅力的に映ったことは想像に難くない。二人の関係を「運命」と呼ぶのであれば、それは二人を取り巻く構造のいびつさによって支えられている。「そうしたオフィス的権力に結びついた恋愛は、セクハラへと転落する危険と常に隣り合わせである」(西口 2019:75)と西口は指摘する。

ゆき子は富岡にとって、職場では部下である。すなわち二人の間には、はじめから力関係がある。ただでさえ当時は、現在よりも男女が平等であったとは言い難い時代でもある。加えてゆき子は「愛人」という弱い立場に、自らを落とし込んでしまう。

二人の関係は、仏印の密林における、富岡の一方的な口づけによって始まった。この富岡の行為は、立場の優位性に乗じて行っており、現代ならば退職処分を受けてもおかしくない行為である。しかし「愛」「運命」という単語を持ち出すや否や、その強さのもとにこの口づけは許されてしまう。

「オフィスラブは、その時代のジェンダー規範から大きく影響を受ける」(西口 2019:21)という指摘は重要である。
不平等でいびつな職場が、出逢いと恋愛の舞台になってきた、というこの指摘を受けると、ゆき子もまた、その舞台のいびつさに気づくことなく、まっすぐに恋をした女性の一人であると言える。

ゆき子は、力関係の不均衡に思い至ることも、自らの境遇に疑問をもつ機会もなく、 目の前の恋に身を焦がし、今を生き抜くことに精一杯だった女性たちの、一つの象徴である。
そしてゆき子の翻弄された生、そして「死」をもってのみ男に悔恨をもたらす、という結末は、彼女らの不遇、そして限界を端的に表していると考えられるのではないか。

おわりに─「愛」や「運命」の強さにひれ伏さないために


ゆき子の死を「運命」や「愛」といった言葉で片付け、その人生を美化することは、 こうした女性たちの苦境の隠蔽につながる。
富岡との出逢いによって狂ってしまったゆき子の人生を「哀しき運命」と呼ぶのは、一見理解しやすく思える。受け容れがたい出来事を引き受けさせ、観客を納得させうる強い力が「運命」という言葉にはある。
さらに、ゆき子を「愛に殉ずる者」として美化し、富岡から離れられなかった理由を「愛してしまったから仕方がない」とする理論は、「愛」を理性よりも絶対的なるものとして位置づけ、反論不可能な、崇高なるものとしてとらえる態度である。

「運命」「愛」といった強い言葉は、映画『浮雲』のラストを美しく肯定し、ある強度をもった理由づけまではしてくれる。
しかし、実際に我々がそうした出逢いに直面した場合にどうしたら良いかは教えてくれない。それどころか、現実の問題を隠蔽する可能性もある。

『浮雲』はたしかに「愛」を描いた映画であるが、その「愛」の結末は、周囲を巻き込み不幸にした上で、自らも破滅に向かうというものであった。
実際に我々が「禁じられた関係」において、他者と出逢ってしまったとき、我々はそれも「運命」と受け入れ「愛」に屈服するほかないのだろうか。
ときに周囲を傷つけ、自己嫌悪に苦しみながら、破滅へと向かうしかないのだろうか。ゆき子は、そして富岡は、本当にこの未来しか選べなかったのだろうか。

坂爪真吾は、著書『はじめての不倫学』の中で、不倫は、身体的欲求すなわち性欲だけではなく、孤独感や不全感、プライドの埋め合わせなどの様々な精神的欲求が複雑に絡み合って生じるものであると指摘する。
坂爪は、不倫を「社会の問題」として捉え直すことで、不倫を予防・回避すべきである、 と呼びかけ、以下のように述べる。

「どこにも救いはない」と理解することこそが、逆説的ではあるが救いに至る唯一の道なのだ。曖昧でグレーな現実に対して、原理主義や完璧主義に逃げずに、かといって安易な道に堕落せずに、理性と社会性を保ったままでいかに対峙していくか。まさに大人の「第三次性徴」である。

(坂爪 2015:253)


ゆき子は、富岡を「生涯の男」と心に決め、どれだけ苦しもうとも、その関係に救いを見いだそうとし続けた。しかしこれこそが、ゆき子を破滅に導いた原因であったのではないか。

ゆき子は、最果ての島まで富岡についていく。そうして富岡の側で死ぬことができたこと、あるいは富岡が涙するラストシーンをもって、これこそがゆき子の本望であった、 とする言説は多い。
だが、ゆき子は本当に幸せだったのだろうか。

映画版では省略されているが、原作におけるゆき子の死の描写は凄惨なものである。ゆき子は死の間際まで、富岡の周囲の女性への嫉妬に苦しみ続け、血を吐きながら、誰にも看取られることなく死んでいく。
二人はまさしく、坂爪の言う「安易な道に堕落」した例だと言える。安易に相手に依存しながらも、どこかで救いを求め続けた。
しかし富岡への精神的な依存を断ち切り「どこにも救いはない」と理解することこそが、ゆき子には必要だったと言えるのではないだろうか。

そもそも恋愛やセックスは、決してキラキラした美しいものではなく、気が遠くなるほど面倒臭くて、吐き気がするほど気持ち悪く、コストパフォーマンスは最悪で、 大なり小なり周囲に迷惑をかけるものである。婚外での恋愛やセックスは、その面倒くささや気持ち悪さ、コストパフォーマンスの悪さや周囲への迷惑度合いに、さらに拍車がかかる。自分や相手の中にある気持ち悪さやおぞましさ、エゴや嫉妬、性欲と性交欲、支配欲求や暴力欲求に、嫌でも向き合わざるを得なくなる。

(坂爪 2015:253)

この坂爪の指摘は、同時に『浮雲』の物語の本質を射抜いてもいる。相手や自分の醜さを知り抜き、恐ろしく、おぞましくすら思う。エゴ、嫉妬、性欲、性交欲、支配や暴力の欲求、いずれも、小説版、映画版どちらにも通底するテーマである。
坂爪は「不倫に関する本を読み、自分の頭で考え、自分の言葉で語る。これだけで、 不倫を防ぐ一定の効果はあるはずだ」(坂爪 20015:261)と締めくくる。

「本を読み、自分の頭で考え、自分の言葉で語る」。
これこそが、いま私たちに求められていることではないだろうか。

無批判に「運命」という言葉を連呼し、死に顔の美しさによって、ゆき子の苦しみを美化していても仕方がないのである。
ラストシーンの富岡の涙を見た我々が、ゆき子と富岡の間にあったのは「愛だった」と頷き合い、勝手に救われることは簡単だ。
しかし、その言葉がゆき子に届くことはない。ゆき子が、救われることはない。ゆき子は、富岡の慟哭を永遠に聴くことはないのだから。

ゆき子がもし、こうした思想や学問に出逢い、自らの状態を言語化できていたとすれば、 異なる未来を選ぶことも可能だったのではないだろうか。
そして、そうした選択や偶然の上に積み重なった「現在」を、のちに「運命」と振り返る未来もあったのではないか。
本論で引用した論文や本を、もしもゆき子が読んだとしたら、きっと「そうそう、そうなのよ」と、頷くのではないだろうか。
そうであってほしい、と願っては、いけないだろうか。

「愛」や「運命」といった強い言葉は、その強度ゆえに、思考を停止させる力がある。
しかしその強さにひれ伏すことなく、「愛」や「運命」に無抵抗に身を委ねるのではなく、目先の欲望や刹那的な感情を客観視しようと試みる姿勢こそが、我々にとっては重要である。

「学び続けること」、そして「考え続けること」。
それこそが、予測できない未来に挑み、他者の痛みを想像し、自己の痛みと向き合うための唯一の方法なのではないか。

映画『浮雲』の最後に、エンドマークの代わりとして映し出される「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」という言葉には、富岡をひたむきに愛し続けてしまったがゆえに、あわれな最期を遂げてしまったゆき子の身の上を「花のいのち」にたとえ、儚むまなざしがうかがえる。

しかし、この林芙美子の詩には、引用されなかった続きがある。
「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり」である。

頬をかすめる風の心地よさを知り、雲の美しさに眼を開くためには、まずはしっかりと地に根を張って生きる必要があるだろう。
他者との関わり方を模索しながら「人間」として生きることは、「花」として生きるよりはるかに困難である。

しかし、我々を人間たらしめる「学び」と「思考」こそが、その困難な生を照らしてくれる。
それは、風も吹き、雲も光るこの世界において、一つの救済として見出されるものではないだろうか。





参照文献
坂爪慎吾『はじめての不倫学 「社会問題」として考える』、光文社新書、2015年。
西口想『なぜオフィスでラブなのか』、POSSE 叢書、2019 年。
林芙美子『浮雲』、角川文庫、1955年。
大久保清朗「呪われた映画の詩学:『浮雲』とその時代」、東京大学学術機関リポジトリ、 2013年10月。
森年恵「成瀬巳喜男における女性像の変遷 『被害者学』から見た『浮雲』」、甲南大學紀要 第12号、甲南大学人間科学研究所、2012年2月、pp.75-94。
「対談『浮雲』について 成瀬巳喜男・高峰秀子」、日刊スポーツニッポン、1954年12月24日。
「水木洋子 林芙美子さんの声」、日刊スポーツニッポン、1955年1月24日。 「『浮雲』の両主人公に聞く」、時事新報、1955年1月11日




ときどき考える

あの日、あなたを大学に訴えなかったら
今、ここにあったかもしれない未来のこと
なにも失わずにいられたはずの他の学生たちのこと

あなたに奪われたものも
あなたにもらったものも
全部持っていく
何度絶望しても
何度でも笑い飛ばしてみせる

あなたのせい、だけでも
あなたのおかげ、だけでもない
この複雑な生を
複雑なままに 私たちはまだ歩く

私たちは
誰かの物語のヒロインにならなくていい

私たちは
他の誰でもない、
私たちの固有の生を生き、
語る必要がある

あなたを恩師と呼ぶはずだった、
いつか、あなたに出逢うかもしれなかった、
たくさんの年下の学生たちに
この論文を贈ります



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