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たった1人の家族だから


そう言って親とのわだかまりが無くなってめでたしめでたし、というシーンをドラマや映画の中で見かけます。
こういった場面に出くわすと、まさに毒親持ちの私は心底嫌悪感に包まれた後に微妙な気持ちになります。どこにもぶつけようのないモヤモヤした気持ちが消化不良を起こすのです。

↑我が家の毒親は血の繋がった実の父親で、いかに私にとって恐怖の対象になっているかはこの記事で語っています。
※引用記事及び本記事はモラハラについて書いています。過去にハラスメントの被害にあった事がある方もそうで無い方にとっても、あまり気持ちの良い話ではありませんので、読む前・読んでいる途中で読むに堪えないと思った方は速攻でこの記事を閉じてください。※









そもそも”毒親”という言葉をご存知ですか?
「俗に、子供に悪い影響のある親。児童虐待に該当する行為で子供を傷つけたり、過干渉・束縛・抑圧・依存などによって子供の自立をさまたげたりする親。」という意味があるようです。(グーグル先生曰く)
そして毒親の特徴として挙げられることが多いのが「子どもを監視・支配する」「自分の価値観や理想を押し付ける」だそうです。※諸説あります。

そして冒頭で言った通り私も毒親持ちです。
我が家の場合は子どもの監視はありませんでしたが、父本人の機嫌が悪いと大きな声を出したり物に当たるといった行動をとることで、大きな音で家族を怯えさせて口を塞ぎ、家族の話を聞く耳ははなから無く、自分の価値観を押し付け、上手くいかない事があれば母や子ども達のせいにして人格攻撃をはじめるモラハラおじさんでした。(しかもよく記憶を改ざんしているようで、発言と行動が支離滅裂なことも多々あり家族を混乱させます。単に記憶力が著しく低い可能性も否定できませんが。)
小学校低学年の頃までは父に叩かれたり蹴られたことも何度かありますが、それ以上に強烈に覚えているのが言葉での脅迫です。例えばリビングに置いていたランドセルが邪魔だったときは、ランドセルを足蹴にされ、こんなところに置いていたら邪魔だ捨てるぞと言ったり、私が寝転がっていたのが邪魔だった時は、(お前の足が)邪魔だ足を切るぞといった次第です。目的は不明ですが、今思い返しても小学生の子どもにそこまで言う?という程の言葉を平気で浴びせかけるのです。

改めて父の行動を振り返ると素行が悪く手のつけられない問題児がそのままおじさんになったような人です、自分の感情のコントロールも上手くできず、自分の行動を反省することも無いのになぜか自尊心は高く、基本的に自分以外の人間に対して上から目線で言葉を発します。
書いていて悲しくなる程に残念な父ですが、以前の記事にも書いた通り家庭という閉じた空間で繰り広げられる理不尽な仕打ちについて第三者からの客観的な意見を聞く機会は滅多にありません、そのため自分の親が”毒親”だと疑い始め、まさにそれだと気が付き、自分でその事実を認めることが長い間できませんでした。何かがおかしいと疑い始めたのがいつからなのか、はっきりと覚えていませんが大学生になる頃には我が家は普通ではないという認識は持っていました。

そもそも記憶の中で最初に”毒親”という存在を知ったのはとあるドラマでした。主人公の女の子が過干渉な母に縛られており、そこから脱却するストーリーなのですが、劇中で主人公の幼少期の回想シーンが登場します。主人公には他に2人の兄弟がいるのですが、なぜか母は主人公にだけ冷たくあたり他の兄弟を贔屓するというシーンです。それを見ていたとき私はまだ小学生でしたが子どもながらにそんなのは不当な扱いだと理解できました。私にも妹が居ますが幼いころから「姉だから」という理由で多少の我慢をした記憶はありますが、そこまであからさまな差別をされたことはありません、なので世の中には酷い親も居るものだなぁと思ったものです。(この当時は自分も毒親持ちだということは夢にも思っていませんでした。)

やがて年月が経つと世の中ではセクハラなどのハラスメントについての関心が高まり、無意識のうちに誰かの人権を侵害していないか・尊厳を傷つけていないかについて認識を改める風潮が高まっていました。
”○○ハラ”という言葉も様々な種類が存在しており、その中の一種である「モラハラ」という言葉と出会います。
モラハラとはモラルハラスメントの略称で、「モラル(良識とされる道徳や倫理)によって行われるハラスメント(嫌がらせ)」という意味があるようです。(Wikipedia参照)
そもそもある行動や発言がハラスメントと認定されるか否かは、基本的に受け手の感じ方によって決まる部分が大きいので明確な基準を設けることは難しいこともまた事実です。

しかし具体例としてモラハラとはどういう行動なのか調べてみると、
1.人格否定や暴言を吐く
2.人前でも馬鹿にしてくる
3.学歴や職歴で見下してくる
4.育児、家事を全否定する
5.自分の価値観を押し付けてくる
6.失敗を責め続ける
7.話しかけても無視をする
8.イライラして物にあたる
9.自分の非を絶対に認めない
10.束縛が激しく管理したがる
(※参照記事から引用しました、あくまで1例です。)
といったことがモラハラになり得る行動だそうです。
ちょっとした好奇心や自分も誰かを傷つけるのは嫌だという思いで調べてみたら、あまりにも身近な人の普段の言動に当てはまりすぎていて愕然としました。(まさに我が家にいるおじさんは10以外全ての項目に当てはまるのです。)
思い返してみると記憶の中で父にまともに私の意見を聞いてもらえた記憶はおろか、母の話ですらまともに聞き入れている様子を見たことがありませんでした。私にとっては父はいつ爆発するかわからない地雷みたいなものなので、家の中ではそれとなく父とは関わらないように生活するようになりました。

この生活が私にとってはあたりまえだったので、”毒親”だと自分で認めることがなかなかできずにいました。なぜ認めることができなかったのかというと、世の中にはもっと子どもに酷い仕打ちをする親もいるのが現実で、それと比べると私ごときの場合は毒親とは言えないのではないかと思っていたからです。けれども私にとって父は恐怖の対象ですし、幼少期に受けた仕打ちのおかげで人格形成にもかなり悪影響を及ぼしているのは紛れもない事実です。なによりこれまでの私が感じてきた不快感や解消されない理不尽への怒りを私自身が消化するには、私の父親は毒親だという理由でなければもう説明がつかないのです。私の中で父という存在はいつの間にか消え去り、後に残ったのは関わると面倒なヤバいおじさんだけでした。学生期間が終われば即刻実家を出て自分の城を持ち、二度とこの人とは会う事は無いと思うことでなんとか正気を保っているところです。



何が言いたかったかというと世の中、話し合いすらまともに成り立たない人間は存在しますし、こと家庭内に居るヤバい奴はまずこの人がヤバいということに気が付くことすら難しいということでした。
こういう家庭内の悩みは他者に話しても「うちも親がうざくて~」みたいな返事が返ってくるだけなのでおすすめしません。またわかりやすく食事を与えない・学校に行かせないといった虐待行為は無くても、子ども自身が精神的に追い詰められるようなことがある家庭は何かがおかしいです。様々な要因で選択肢は限られてくるかもしれませんが、ここに居たら自分が自分では無くなってしまうのなら、できる限り早く距離を置くことをおすすめします。
そして自分の中にある感情はポジティブなものも、ネガティブなものも全て誰になんと言われてもあなた自身のものです。自分の心の声を聞いてくれるのはあなた自身しか居ません、自分の中にある感情は大切にしてください。