低すぎた自己肯定感と高すぎた自意識


今回は私の幼い頃の人格形成に関して紆余曲折してきた様子の一部を振り返ってみたいと思います。

※我が家のモラハラおじさんこと父の話も出てきますので苦手な方はご注意ください。※


1人の人間がこの世に生まれてきてすぐは自分自身のみで生きていく事は不可能で、多くは生みの両親をはじめとした家族が作る家庭で育ちます。私自身も私を産んでくれた母と父のもとで育ちました。まだ自我すら曖昧な乳幼児にとって生まれ育つことになる家庭という場所は世界の全てであり、その家庭を主に担う両親という存在はある意味「絶対的存在」ということになります。

もちろん乳幼児期の記憶は定かではありませんが、私が生まれた数年後に妹が生まれるまで日中は家で母と2人で過ごしていた事をなんとなく覚えています。妹が生まれてしばらくするとすぐに保育園に通う事が決まり、生まれて初めて同年代の子どもと接する機会が出来ました。今まで保護者達に囲まれて育ってきた私にとって、近しい年齢の子と一緒に過ごすという事柄はとても新鮮で刺激的な体験でした。その後小学校に上がりさらに成長する中で私の世界は学校と家庭の2つでできていました。

今回は特に私の世界の半分を占める家庭について注目していくことになるのですが、この私の生まれ育った家庭について小学校低学年あたりまでは我が家はごく一般的な家庭だと思っていました。(もちろん世間一般でいう一般家庭という概念をきちんと理解できていなかったわけなのですが。)

しかし、我が家はそこまで一般的な家庭ではありませんでした。

小学校低学年まで楽しく一緒に遊んだり出かけたりしていた父は、私が年齢を重ねるにつれて別の人物像に変わっていったのでした。先に端的に表しますと私の父はいわゆる「モラハラ」をする人でした、父は母や私達子どもが自分の思い通りに動かないと機嫌を損ね家の中の空気がとても悪くなる事も多々あり、時には物に当たる事で私達家族を威嚇し黙らせ自分の言いたいことを言うだけ言い、私達家族の言葉を聞く耳をそもそも持っていませんでした。(少なくとも私が見ている限りにはそのように見受けられました)

もちろんそのモラハラは私や妹に対しても行き過ぎた怒り方をするという形でも現れました。ここで1つ重要な事を確認しますがモラハラもとい「モラルハラスメント」とはあくまで精神的な攻撃を執拗に行う事であり、身体的な攻撃つまり暴力は振るいません。(あくまで我が家の場合ですが)直接的な暴力を受けていれば虐待だと気が付けますが、単純に父に叱られるという現象はどの家庭でもどの子どもにもあたりまえに起こる事柄なので、ある程度成長するまで自分の家庭環境に対して疑問に思う事はありませんでした。

同じモラハラの父を持つ人であっても経験することには個人差があるかと思いますが、私の父の場合はとにかく「怒り」という感情を自分自身でコントロールすることが出来ない人でした。ほんの些細な事で噴火する日もあれば、数秒前まで上機嫌だったのに次の瞬間には不機嫌になっているなど理解に苦しむことも多々ありました。(おそらく怒りの感情をコントロールできていない事に対しても苛立っているようにも見えます。)また子どもに対して怒るという行動は非常に重要な事ではありますが、父は子どもの行動の指摘ではなく最終的には人格の否定をするタイプの人でした。つまり理不尽な怒り方をするわけなので子どもながらに納得が出来ない事も多かったですし、全て自分がいけないんだと悲観する癖が刷り込まれる等、子どもにとってあまり良くない状態に追い込まれるという事態に陥りました。

そんな環境に身を置いていたこともあり、小学校高学年になる頃には私はとても自己肯定感が低く極度に失敗する事に恐怖を抱く子どもに成長していました。そんな頃でもありがたい事に気の合う友達が居て、そんな友達が教えてくれた読書に出会って私の生活にほんの少し華が添えられましたが本を閉じてしまえば現実がやってきてしまいます。自分の容姿も好きになれず鏡を見る事や写真に写る事も嫌いでしたし、授業中に指名されても上手く答えられないくらい人前に出る事が怖くて、自分が思っている事も恥ずかしくて言えないような引っ込み思案でした。

そんな自分がとても嫌いでしたし、本当はそんな自分を変えたいとずっと思っていました。物語の主人公みたいな特別な人間にはなれなくても、せめて自分で自分を良いと思えるような人になりたいと思っている。自分の中にそんな感情があるという事をまずは認めることから始めてみようと思っていた頃に、人前に出ざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。中学生の時に長期休暇の課題で出された作文を、自分が所属する学年全員の前で読むことになってしまったのです。これは教室で指名されても上手く話せないような私がその約5倍の人数の前で話す事になったのでした、案の定あがり症な私は本番で周囲から心配される程、顔を真っ赤にしながら作文を読んだ事を覚えています。本番直前も読んでいる最中も恥ずかしさと緊張で心臓が張り裂けそうでした、あまりにも緊張しすぎていたのか終わった後に思い出そうとしても読んでいる最中の記憶が無くなるほどでした。作文を発表した後に貰った感想欄にもわざわざ「顔が赤いですよ。」とご丁寧に書いてくるような人が出てくるくらい顔が赤くなっていたようで、その事に対しても後で恥ずかしくて死にそうになりました。しかし他の感想を見ていると内容に関する好意的な意見や、感想を書くこと自体が面倒だったのだろうとわかるような内容だったりと反応は様々で、私には作文を学年の前で読むということは大それた事だったのに拍子抜けしました。この時人前に出るという事は案外怖い事ではないという事や、私が作文を読んでいる時間は他の人にとってはただの一瞬でしかないのだという事を良くも悪くも知りました。ここで私の中の自意識過剰な部分が少しだけ吹っ切れて、やってみたいと思った事には挑戦してみるべきだと少しだけ前向きに考えられるようになった一件となりました。

この出来事の後、人前であがらずに話せるようになりたいと思った私は生徒会に立候補して、全校生徒の前で演説をしたり行事の度に人前に立って何かをしないといけない状況に身を置いてみました。すると人間の慣れというものはすごいもので、それ以来人前に立って話すような機会がやってくると「あの作文を読んだ時よりはマシ。」と思うようになり、以前よりは前に立って落ち着いて話せるようになりました。(もちろん緊張しいは治っていませんが)

こうして失敗だと思った出来事も案外役に立つという事を知れたことで、前よりも私は失敗が怖くなくなりました。そもそも挑戦をしなければ失敗も成功もしようがないし、失敗したとしても今後の参考として生かせば良いだけの話だと思えると何だか楽になれました。

少し長くなりましたがこれが私の人生の中で1番自己肯定感が低かった頃と自分の中の殻を少しだけ破ることができた瞬間のお話でした。私にとってとても大切な瞬間でしたので、こうして文字に起こしながら改めて振り返ることができてとても良かったです。

我が家のモラハラおじさんとは適度な距離を保って平和に暮らしていけるように願うばかりですが、似たような経験がある人や今も辛い思いをしている人、そうでない人も何かの気づきのきっかけに少しでもなれば幸いです。