見出し画像

手帳を書くのが得意なタイプ

既に1月も終盤にさしかかる頃ですが、あけましておめでとうございます。今年最初の記事です。

年明けということで何を書こうか考えていると「新しい年が始まって気持ちも新たに〜」という類の言葉を耳にしたときに、膨大な時の流れを時間や曜日、日付で区切ることで終わりや始まりが明確になって人間は暮らしやすくなるのかもしれないと思うと不思議だな、と思ったことを思い出しました。他の生物には無さそうな概念ですよね。

いきなり日付がどうだとか細かい話をしましたが、私自身はこの細かく区切る概念が性に合っているように感じます。
毎年手帳を買って予定やら何やらを書き込む作業も好きですし、なによりとてつもなく不安症な私はその作業をすることで心を落ち着けているのです。

そもそも手帳を書く習慣がついたきっかけは高校時代でした。
私が通っていた学校では学習の予定を自分でたてて実行する習慣をつけるために手帳を活用することを推奨していました。1人1冊、頼んでもいないのに学費からお金は引き落とされて毎年配布されるのです。進学クラスとうたっている以上、生徒の学力アップのための取り組みだと思うのですが、もちろん書く・書かない、どの程度活用する・しないには個人差があります、かくいう私も最初は面倒だなと思っていました。

しかし私は中2の頃から通い始めた塾で既に似たようなことをしていたのです。通っていた塾は個別指導だったので私の担当の先生のよかったらやってみないか?という提案から試験的に始まったものですが、1週間の予定とタスクを書き出し、実際にどう行動したのかを記録するプリントを書いて、その週の終わりに先生に提出するというものでした。提出したプリントには先生がコメントを書き込んで返してくれるのですが、このコメントを読むのが面白くて私は真面目に取り組んでいました。当時かなり引っ込み思案だった私は先生に話しかけることすら緊張するレベルだったので、文章でのやりとりは気が楽だったのです。学習のアドバイスや勉学には関係の無い他愛のない話などをやりとりしたことを朧げに覚えています。
このプリントで既に予定を立てる習慣はかなりついていたので、高校での手帳に切り替わるタイミングでそのプリントは卒業となりました。

高校生になると中学の時よりも科目数が増えるので、宿題の管理をすることが自主学習に取り組む第一歩でした。しかも各科目の先生達は小出しに課題を出してくるので何が何時までだったか覚えておくことは困難を極めます。そんな時に宿題の提出期限などをメモすると、いつまでにそれを消化すれば良いのか逆算できるということに気が付きました。そして1つのタスクが終わったらオレンジのペンでメモの上から線を引いて消すということにしていたのですが、この作業がとてもスッキリするのです。線を引くごとにそのタスクから開放された気分になることに味をしめた私は、こまめに手帳を書くようになりその作業は私の生活に馴染んでいきました。

そして本格的に受験勉強を始めた頃には、手帳は私にとって無くてはならない存在になります。提出物のメモに加えて模試や定期試験の予定、それにあわせて決めた日々のタスクのメモ、そして毎日何を何時間勉強したのかを記録していました。これをすることで漠然とした不安が襲ってきた時に、手帳を見返して自分がちゃんと勉強してることを目視で再確認できるのです。もちろんその場しのぎの気休めですが不安症の私には効果絶大でした。

受験を終えた今でも手帳は毎年買っています、高校時代ほど詳細な記録をつけているわけではありませんが、予定の管理や日々のタスクを書きだすことに活用しています。周囲にはスマホの手帳アプリを使っている人も多いですが、やはりこれまでの習慣が染みついているのか手帳に手書きで書き込む方がしっくりきています。

得にテーマもなく書き出してみたら全く想像していなかった内容になったので締め方に若干戸惑っていますが、やっぱり手帳を書きながらこの作業確かに面倒といえば面倒だよなと思う自分も居るのが不思議なところです。でも結局書かないと落ち着かなくなるので書くのですが、そういう所がどちらかといえば神経質なのかもしれません。(以前誰かにそう言われた時はあまりピンときませんでしたが。)

神経質といえば同じ環境で同じように育ったはずの妹は私とは真反対の性格で、手帳に記録などはおろか大事な予定などを忘れていてすっぽかすタイプです。なにやら提出する必要がありそうな雰囲気のプリントも平気で床に置いている(本人曰く)のですが、こういう人は私のように予定を書き出すという作業自体が苦痛に感じるのだろうなと想像すると、予定を管理する・しないはどちらのタイプでもそれぞれが快適に暮らせるように工夫しているのかもしれないなと思いました。

今年もこんな感じでゆるりと暮らしていきます。