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自分がアガる姿を探して


この性別に生まれたことによる利点は確かにあるのかもしれません、けれどこの性別に対して求められる姿が私の理想と上手く重なりませんでした。そんな私のなりたい姿を探して試行錯誤した経緯を振り返ります。


私は女性の体で生まれて、これまで生きてきました。

小学生になりたての頃はピンク色がとても好きだったし、私にとってピンクは可愛いの象徴だった。どちらかと言えば大人しく真面目な児童だった私の事を周囲は「おしとやかで控えめで、女の子らしい」と形容する事が多かったように思います。

自分の中にある気持ちを表現する事が苦手で閉じた性格だった私にはこれといった特徴が無かったため、きっと周囲は私をそういう風にしか形容することができなかったのだろうと、年齢を重ねた今なら何となくわかるのですが、当時の私はその周囲が思っている「はしの」のイメージを無意識のうちに守ろうとしていたように思います。

高学年に上がっても相変わらず閉じた性格に特に変化はみられず(なんならむしろこの辺りで拗らせはじめている)、周囲に写っているであろう私の像を守っている状態でした。ここからたくさん悩んで迷走し続けるのですが、小学生の頃から実は「強くてかっこいい」という存在に非常に憧れを抱いていました。この憧れは「自分もそうなりたい」という意味での憧れなのですが、成長する間でこの感覚を持っている女子は意外と少数派だという事を察して、なんとなくおおっぴらには言えないままでした。

以前書いた記事にもある通り私はずっと自分に対して自信がありませんでした。自分には何も無くてそんな自分に興味を示す人なんて居ないと思っていましたし、誰かに認めて貰えないと生きていてはいけないような気がしていました。(多分こう思っているのは育った家庭環境も少なからず影響しているのですが)けれども変わるって難しい、何をどこから変えていけばいいのかもわからないし、私は私のまま生きていてはいけないのかと思う気持ちもありました。けれども何故か今の自分を好きにはなれないとはっきりと思うのです。そんな自分を変えるには自分の中の嫌だと思う部分を変えていくしかありませんでした、人はなかなか変わる事ができませんがとりあえず自分に出来そうなことから始めることにしました。その出来そうなことの第一歩が私の場合は「髪型を変えること」でした。

これまでの髪型変遷について少し振り返ってみますと、小学生の間は髪は基本的に母に切ってもらっていました、しかし母は美容師ではありませんし当然免許も持っていません。特に髪型にこだわりも無かった私は定期的に家で母にカットしてもらっていたので、基本的に長さを変える事となんとなく量を少なくするくらいのバリエーションしかありませんでした。そうなると必然的に切りっぱなしの雑な髪型になるわけですが、それに加えて私の髪は比較的太くてコシがあり毛量も多く真っ黒だったのでとても野暮ったく暗い印象になってしまうのです。本来の性格が明るい方では無いのに見た目まで暗かったら暗くなる一方だと、これまでの経験を鑑みた高校生の私はとうとうベリーショートに挑戦することになります。

中学生の間は基本的に髪型がショートヘアだったことが多く、どれだけ長く伸ばしていても肩にかかるくらいの長さでした。高校に進学してからセミロングあたりまで伸ばしてみたいと思い、入学してからしばらくは私史上髪が1番長い状態になっていましたが、想像していたよりも髪の長い自分がしっくりきませんでした。この頃は自分が良いと思う理想の姿を具体的に思い描くことが出来ず、ずっと迷っていた時にとある雑誌でベリーショートヘアの女性のモデルさんを見かけて衝撃を受けました。もちろん雑誌に登場するモデルさんですから端正なお顔立ちなのですが、何よりもシンプルでクールなかっこよさと凛とした美しさを兼ね備えたモデルさんを見て初めて「私もこんな人になりたい!!!」と思いました。

そのモデルさんを見て自分のなりたい姿に近い物を感じたわけですが、いざベリーショートにするのにはかなり勇気がいるもので、まずはセミロングだった髪をショートヘアにしてから、さらにもう少し短く切っていくという事を繰り返して最終的には前髪を少し長めに残して、襟足を短くする感じのベリーショートに落ち着きました。高校生になってからも閉じた性格は相変わらずで「大人しい子」という印象を持たれていた私がいきなりベリーショートにした事に対する周囲の反応は当時の私としては1番気になっていたわけですが、最初は驚かれはしたものの、案外皆はすぐに慣れたようで特に何を言われる事も無く、はしの=ベリーショートというイメージが定着していきました。

髪を短くするとお風呂に入った際に乾かす時間が短くて済むのが楽という利点もありますが、なにより鏡に写った自分の姿を見た時にテンションが下がらないという事が1番の良かった事でした。あれから何年も経って何度も髪が伸びて切るという事を繰り返していますが、毎回髪を切るた度に襟足が無い髪型が自分に1番しっくりくると感じています。
しかし髪を短くしたことで今までは言われたことが無かったような事も言われるようになりました。特に1番多かったのは「どうして髪を伸ばさないの?」「伸ばしてみたらいいのに。」です。やはり女性=長い髪のイメージが根強いのか、新しい環境になるごとに何度か言われる事がありました。この場合は相手に悪気は無いことがほとんどなのですが、私としては髪が短い自分を1番気に入っているのでこういった類の言葉はどうしてもありがた迷惑だと感じてしまう事が多かったです。
その次に出会って衝撃的だったのは「髪が短い=男扱いして欲しい」と思って男っぽいキャラ(?)で扱ってくるタイプの人でした。私自身の自認が今は無性(男や女といった概念そのものが無い)なのですが、当時はまだはっきりとはしていなかったのでこのモヤモヤに気が付くのに時間がかかりました。これは先ほどの「髪を伸ばさないの?」という質問と少なからず似ている部分なのかもしれませんが、やはり世間では短髪=男性、長髪=女性というイメージが根強いようで、髪を短くしている=男性的もしくは男性になりたいと解釈する人もある一定数いるように見受けられます。この場合の何が辛かったかといいますと、相手は私に対して「男っぽいキャラ」を求めてくることが多いという点でした。確かに私は髪が短いので一見すると男になりたい女に見えるのかもしれません、しかし実態はただの短い髪型の自分を気に入っている身体女性(スタンス的には無性)です。正直に言ってしまえば過剰な女扱いもされたくないし男扱いもされたくないのです。その事に気が付くのに少し時間がかかって多少なりとも悩んだ事もありましたが、そもそも見た目だけでその人の性質を勝手に決めてしまうような人はいずれ私とは長く関係が続くことは無いと思いますので、ほどほどの距離でおさらばしてしまえば良いという結論に至りました。

ここまで振り返ってきましたが改めて多様性が説かれはじめてきた令和に生きていても、髪型1つ変えただけでこんなにも見える世界が変わる事に驚きました。私自身としてはやはり誰に何と言われても襟足が無い髪型が自分にはしっくりきますし、だからといって男性になりたいと思っている訳ではありませんと言い続けます。(そう思い続けている限りは)その人の姿形はその人自身の気持ちがアガる物が集まってできているものだと思っていますし私自身もそうです。そこには私以外の他の人の評価や価値観が入り込む隙間など存在しません。皆が自分の好きな物を好きなように選んで暮らしていける社会になるにはもう少し時間がかかりそうな気はしますが、そんな中にも身体女性でベリーショートを選んでいる無性の人間も居ますよというお話でした。