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空箱みたいな文章を書いてみたくなりました。

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、こそはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

徒然草、すごい好きなんです。
多くの人は中学生の頃の国語の教科書で出会って、高校の古文の教科書で再会することが多い気がします。私もその一人です。

はじめてこの徒然草の冒頭の現代語訳を読んで、すごく共感して感動しました。私も書きたい気持ちに駆られて筆をとって、とても人には見せられない散文を書き散らかして、満足したときに何とも言えない気持ちになるんです。それこそ「あやしうこそものぐるほしけれ」状態だったな!って。何千年も前のおじさんが書いた文章に共感したんです、この時に今も昔も人間が考える事なんてだいたい同じなんだなって、その二番煎じを私はしてただけだって、少しショックを受けたけれどそれもなんだか面白くなって。

どうしてもセクシャリティや自分のアイデンティティについてをnoteに書こうとすると、色々な事を深く考えないといけなくて、これって結構疲れるんですよね。疲れるけどついつい考えてしまうから、自分は結局物好きなんだなと再確認するわけです。

でもやっぱり常に考え続けてると疲れてしまうので、何も考えない休憩が必要なんだなって。

休憩がてらぼーっとしてる時に、何ヶ月後かにやってくる絶対にやらなきゃいけない事(出来ればやりたくない事)のことを考えてしまっていて、すごく気持ちが落ちて、あー今、やる気ないわ。って思ってた所で。でも明日は推しが出てる雑誌の発売日だから本屋さん行かなきゃって思い出したら、あ、やる気出てきたわ。って思えてきて。

前向きになってきたら、こんな風になんの中身もない文章を書いてみたくなって、徒然草の事を思い出したわけです。
なんていうか本当に些細な事、きっと明日起きたら忘れてるような事をあえて残してみたくなりました。たまにはこういうのも箸休めに良いかなって、もう満足したので今回はこれで。