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外面と内面について考えてみた

先日Twitterのタイムラインで「あなたの性格10キーワード」という診断を見かけました。主にアロマ・アセク界隈に生息しているので、繋がっている人達もなにかしら自分の定義について考えている人が多いのか、よくこういった診断のフォロワーさんの結果が流れてきます。
かくいう私は性質上とても疑い深いので占いの類は結果を見ても「本当にそうなのか?何を根拠に?」と思う反面、生活している中で少しでも当たっているかもしれない出来事があると「やっぱり占い当たってるかも!?」と思いそうなほど単純なので、結果に振り回されるのが嫌で基本的に自分が占われるのは苦手なほうです。(面倒臭い奴ですね)
それでも自分とは何か、という事をよく考える方なので面白そうな診断系は見かけると遊び半分でトライしてみる方です。

前置きがごちゃごちゃと長くなりましたが結局その「あなたの性格10キーワード」もやってみました。その結果がこちらです↓

10個のキーワードをざっと見た瞬間は「私、こんな感じか?(いや違う気がするな)」と思いましたが、改めてキーワードを見直すと本来の自分に当てはまっているような気がして、あながち間違いではないような気がしてきました。(これがバーナム効果のような気もしますが、あくまで遊びの範疇なのでそういうのは言いっこ無しです。)
周囲の人に私の印象を聞くと”真面目””几帳面””常識人”といった無難な解答が多く返ってくるような当たり障りのない人物という風に見られることが多く、実際私もそう思われるように振る舞っている節があるので、今回の診断とは真逆の結果が出ると思っていました。

しかし”実際私もそう思われるように振る舞っている”と言い表したように、本来の私はそうではないのだと思います。
その証拠にここで1つ、昔母から聞いた衝撃のエピソードを披露したいと思います。
小学校1年生の頃に母が私の担任の先生から聞いたそうですが、給食の時間に私の隣か向かいに座っていた子が給食の牛乳をこぼしてしまったそうです。こぼれてしまった牛乳は当然片さないといけません、こぼした本人はもちろん一生懸命片づけますし担任の先生もそれを手伝っていたのだと思います。そしてそのこぼした子の近くに座っていた私はというと、全く手を貸すことなく自分の席に座ったままだったようです。
このエピソードを聞いたのはその当時からかなり時間が経った後だったので私は全くその時のことについて記憶はありませんでしたが、かなり衝撃を受けました。母も聞いた当初は驚いたらしく私の社会性や人間性についてはその後も心配していたそうです。
もちろんこういった場面で手を貸す義務が私に発生する訳ではありません、けれどもクラスという団体で生活する以上、困っている級友に自ら手を貸せるような児童になって欲しいと思うのが大人の心理ですし、成人した私も全く同じように思います。当時の担任の先生もきっとそう思いその場で手伝うことを指示するのではなく、保護者にそれとなく様子を見るように伝えたのだと思いますし、そこまで生徒の様子を見ている学校の先生は凄いです。

小学生の私はその後も似たようなヒューマンエラーというか社会性に欠ける行動を時折ちらつかせた結果、大小さまざまな衝突をクラスメイトと起こすのですが、集団の中で暮らすということを学ぶ義務教育に揉まれて無事に真人間(もどき)に見える程度の擬態はできるようになったと思います。
それもこれも学校の先生や塾の先生、友達など人間としてかっこいいと私が思う人に出会えて、自分もそうでありたいと思えるようになったからだと思います。

しかし話を元に戻しますと、真人間もどきも化けの皮1枚剥がせば自己肯定感が超絶低く、不安症でネガティブで、おまけに神経質すぎて他人にすぐイラっとするような激情型モンスターです。
人間の人格形成というものは子どもの頃が重要と言いますが、義務教育を終えた後の高校や大学、社会人、どの段階でも時が経つにつれて変化していくものだと思います。この歳になってやっとモンスターも若干影をひそめることに成功していますが、時折その片鱗がちらつくこともあり自己嫌悪に陥ったり、反省したり考え方を変えるなどの対策をしながら長く付き合うことになりそうです。

たかだか遊びだと思っていた診断メーカーで自分の人格について少し考えるきっかけになりました、是非、良い年齢の重ね方をしたいものです。

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