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「すみません」より「ありがとう」と言いたい

通学するにも街に出かけるのにも電車を使うのがあたりまえになって随分経ちます。公共交通機関は利用者も多く、毎日見ず知らずの人達とほんの一瞬同じ空間で過ごす事になる訳です。電車に乗るときにどのあたりに自分のポジションを確保したいかは人それぞれで、とにかく座りたい人や入り口付近に居たい人、ドアのすぐ横の手すりを持ちたい人等々。
そんな中、私は大体座席の前のつり革がぶら下がっているゾーンに立って本を読むのが定番のスタイルです。朝夕のラッシュ時はポジションなどと言っている場合ではないほどの混雑具合ですが、微妙に余裕がある時間帯に電車に乗ると、入り口あたりや座席の端っこ付近に人が立っていることが多く、つり革のあるゾーンまで行くのに人々の間をすり抜けていく必要が出てくることってありませんか。そういう時に「すみません。」と言葉をかけると思います。実際私もそうします、すみませんと繰り返しながら程よいスペースにたどり着いて、やっと一息。けれども時々状況を察して道を空けてくれる人も居たりするときもあります、そういう時もつい癖で「すみません。」と言ってしまいます。でもこのすみませんは実は「ありがとう。」というニュアンスも込めていたりして、感謝しているなら普通にありがとうございますと言えばいいのについ口をついて出るのは「すみません。」。

そんなことを考えていた時に、小中学校時代のある同級生のことを思い出しました。その子とは特別仲が良かった訳でもなく、それでも人数の少ない小学校だったので同学年は皆顔見知りみたいなもので関わる事も少なくなく、中学にあがるとさすがにクラスも離れて交友関係も交わる事が無かったあの子。何年も会う事すらなかったのに大学生になって地元の飲食店でアルバイトを始めたら、その子が既にそこで働いていて再び関わることになりました。
クラスの中でもなんとなくカーストらしきものが生まれ始めているのをやんわりと察し始めるのが小3あたりだったように思います。(※あくまで個人的な体感ですが)やはり30人近くの人間を集めると様々な特性を持つ人が集まるもので、比較的クラスの中で自分のことを主張するのが得意な人と苦手な人が居て、その子は主張するのが上手な方で私は主張するのが苦手な方に入っていたと思います。自分のことを上手く表現出来ない私は、自分にできないことを簡単にやってのける人のことを羨ましさ半分、妬ましさ半分で見ていたのですがこの感情自体を上手く分析出来なかったので当時は勝手に苦手だなと思い込んでおり、その子の事も正直苦手な人の方に分類していました。


実際その子は周りの同性からは「何を言っていても大袈裟すぎてお世辞にしか聞こえない。」「嘘くさい。」と言われているのを聞いて、確かにちょっと大袈裟なリアクションの時はあるかもと当時は思っていたものの、周りの子のように心から嫌いだとは不思議と思いませんでした。そんな事を思い出しながらそのバイト先で働いていると、その子と時々シフトが被る事もあり一緒に仕事をする機会も増えていくなかで、その子と仕事しやすいなと思うようになりました。なんでそう思うのか考えてみるとその子はすぐに「ありがとう。」という言葉が自然と出てくるからでした。何か作業を人に頼むときも「ごめん、○○やっといてくれる。」の後に、わかったと返事をしたら「ありがとう。」と言う人でした、それも何も大袈裟な感じも無く自然にさらりと言うので気が付くのに時間がかかりましたが、わかった時は目から鱗でした。それ以来、自然とありがとうと言える人間に私もなりたくて意識して言うようにしています。(出来ているかはわかりませんが。)
奇しくも忘れられない同級生となったあの子、これからもふとした時に思い出す割にはもう二度と会う事が無いのだろうと考えると少し不思議な気持ちになりました。

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