頭は優位に立ったときにこそ下げるもんだ(共同親権制度からの教訓)
共同親権法案が成立するようです。
こんなハッシュタグと一緒に嘆き節が流れてきますが、個人的にはどうでもいいです。
僕もこの人と似た感想です。
(https://twitter.com/HayakawaHayat/status/1779115304112787566より引用)
J・リベラルのセンセイ方の悲嘆はさておき、このことは一つ非常に重要な教訓を与えてくれと思うので思うところを書いておきます。
共同親権と単独親権……に限らないのですが、全ての制度には共通する一つの真理があると僕は思っています。
それは
欠点の無い制度は存在しない
ということ。
どんなに優れて見える、素晴らしい制度であっても必ずどこかに問題はある。
今は無くてもいつか生じるかもしれない。
だからその制度は常に微調整を加えアップデートしなくてはいけない。
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で、今回の話です。
単独親権にはいい面もあったのでしょう。
しかしその制度下で苦しめられていた人は確かにいた。
子供を連れ去られて会えない親は文字通り国際問題になってました。
それ以外にも連れ去った者勝ちの制度とか、親権を取るのにある属性(曖昧表現)が圧倒的に有利だったりとかね。
子供を連れ去られ、会えない苦しみを訴える親の声はTwitterを眺めていれば定期的に目にします。
先日の某卓球選手の旦那さんのあれは、旦那さんに相応に金を影響力があるからこそ勝負できましたけど、一般の人にはあれは無理でしょ。
(https://twitter.com/n8zSbuCItkxU4A8/status/1778747856717025637より引用)
ここまで明確に言われるってことは相当ですよ。
そして、それだけの苦しんでいる人がいた。だからこそ問題になった。
だから、この部分は本来調整されるべき部分だったわけです。
単独親権を原則としつつも、その制度下で生じている問題に何らかの対処をし、苦しむ人には救済の手を差し伸べ、アップデートをすべきだった。
そして、それは単独親権の制度を支持する人がやるべきことだったんですよね。
だって、単独親権の制度下で苦しみを受ける人は声を上げて改善を求めることしかできない。
それを受けて現行の問題に対処するのはその制度を支持する人がやるべきことです。
優位な側、制度の側なんですから。
(https://twitter.com/kidasangyo/status/1778947998522961971より引用)
でもそれをしなかった。
苦しむ人の苦しみを一顧だにしなかった。
見なかったことにしていたのか、そもそも見えてさえいなかったのか、それは知りません。
でも何もしなかったことには変わりはない。
自分たちの苦しみが顧みられない時、その人たちのやることは二つしかない。
黙って苦しみに耐え続けるか。
全てをぶち壊す実力行使のような、究極的な手法に出るか。
で、今回は単独親権と言う制度そのものを覆す方に出たわけです。
優位な方にいる側が問題に対応すべきなのはこれが一つの理由です。
苦しんでいる人に配慮するのは人の道だよ、とかいう道義的な話とかではなく、その苦しみを放置すればこういう風に革命が起きかねない。
だから現行制度を維持したければ、いまそこにある苦しみを放置すべきじゃないんですよ。
単独親権制度の元で起きている苦しみの話は弁護士とかだったら絶対に知らないはずないでしょ。
誰も取りこぼさない社会を!と口癖のように言う人はいますが、彼らの中には単独親権の制度下で理不尽に苦しめられる人はカウントされてなかった。
連れ去りをされた女性だっていたはずなのにね。
ていうか、こんなこと歴史が証明してると思うんですけどね。
大衆を踏みつけ続け怨嗟の声を無視すればどうなるのか。
ただ、単独親権派の弁護士とかのtweetとかを見てる限り
「単独親権はDV男から虐げられたシングルマザーを護るためのもの!私たちは被害者側!」
といういつもの被害者意識丸出しの認知でいたっぽいですし。
権力者、体制側の自覚は全くなさそうだったので、青天の霹靂だったのかもしれませんが。
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今回のこの話は重大な二つの教訓を示しています。
一つ目は上でも描いたのですが、
苦しんでいる人を無視すれば、全てをひっくり返す革命が起きかねない
ということ。
よって、そんなことになる前に、多少自分の側の権利とか優位を削ってでもその配慮をした方が長い目で見れば得策です。
全面対立になってのっぴきならない状況になってからではもう遅い。
最近の話題だと、増え続ける社会保障費の問題がこれに該当すると思います。
これについてもお前もいずれ老人になるんだぞ!とか言ってる場合じゃないんですよね。
だってこのままの人口構成じゃ現行制度が維持できるはずがないじゃないですか。
現行制度を維持すべきと思うなら、決定的な破綻が生じたり大規模なバックラッシュが起こる前に、調整すべきところは調整して持続可能な道を整えるべきでしょ。
そして、苦しんでいる人の声に耳を貸さないことの重大な弊害はもう一つあります。
それは、
いざ自分が窮地に陥った時に、手を貸してくれる人がいなくなってしまう
こと。
(https://twitter.com/SotaKimura/status/1778774803316613176より引用)
これとかも一つの例ですけど。
この論は単独で見ると、欧米と本邦の様々な差を考えれば、制度を同じにするのは必ずしも適切ではないという主張は正しいと思いますよ。
これだけ見ればね。
でも、今までJ・リベラルのインテリセンセイが、
欧米を見習え!ジェンダーギャップ!
とか御高説を垂れる時に、日本と欧米の文化や社会の差とかに言及したことがありましたっけ?
多分ないと思うんですよね。
日頃の行いがそんなだからいつものお仲間しか賛同してくれない。
そんなだから世間に主張が広がらない。
自分が苦しんでいた人のことを一顧だにしなければ、自分もそうされる。
というか、世間の総体は関係ない物に対して無関心です。
あなたがそうであるようにね。悲しいことですけど。
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親権制度について言うなら、これを単独親権に押し戻すのは困難を極めるでしょう。
これについてはいくつかの要素がありますが、一番大きいのは「人権意識高い先進国、ジェンダーギャップ指数の高い」オウベイは殆ど共同親権であること。
つまりお得意の
「後進的ジャップランドはオウベイを見習え!」が通じない。
勿論、共同親権制度にも問題はあるでしょうから、そこの問題点を地道に訴えて改善を促していくしかないでしょう。
今までと立場が逆転するわけです。
共同親権推進側も通って喜ぶだけではなく、その制度下で生じた苦しみへのケアと制度の改善が求められるわけですけどね。
でないと、また革命が起きるかも。
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