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#5 着物の街

十日町市が米どころで、豪雪地帯であることは知っていた。だが恥ずかしながら、着物の産地であることは知らなかった。

今年の春、息子が小学校に入学した。その少し前、まだ保育園児だったころ、小学校の入学式でお母さんの多くが着物を着る習慣があると聞いて慌てたことがあった。

「会田さんは越してきたばかりだし(7年経ってはいたけれど)、気にしなくても大丈夫ですよ」と同級生のお母さんから言われ、ホッとした事を覚えている。いや、それ以上に難を逃れたとでもいうべき心境だった…。

僕自身、振り返ると、着物とはかなり縁遠いところにいた。成人式の時もアメリカに住んでいて、テレビの国際ニュースで「日本で成人式という儀式が行われた」というニュースを見ただけで、同級生たちの晴れ姿をこの眼で見ることも叶わなかった。

十日町市の着物の歴史は弥生時代にまで遡る。遺跡の中かから糸を紡ぐための紡錘車が発見された。さらに、1200年以上前に織られた麻布(越後布)が正倉院に所蔵されている。江戸時代には越後ちぢみの産地として知られるようになり、明治以降は絹織物の産地としての地位を確立。昭和40年代以降、友禅染めの技術も導入され、着物の街として名を馳せることとなった。

雪国と着物の産地であることにも深い関係がある。十日町市の冬は雪がふるため湿度が高い。湿度が高いと、加工時に絹糸を傷つけず、質の高い着物をつくることができる。また、雪に覆われた冬は、田んぼや畑に出ることもできず、労働力も確保できた。

まさに産地になるべくしてなった着物の街を探訪してみた。

手書きで図柄を描く。株式会社はぶきで
コンピュターを使って色をのせていく。株式会社はぶきで

株式会社はぶきは、染めの着物屋さんだ。手書きの柄にコンピューターグラフィックを駆使して色をのせて着物をデザインしていく。そこから、染料を調色して、友禅染めや引き染め、刺繍から仕上げまで製造工程の全てを自社で一貫生産している。

着物を蒸す、仕上げの作業。株式会社はぶきで

これこそが十日町市の着物産業の特徴だ。他の産地のほとんどは、それぞれの工程ごとに細かく分業、分社化されていてる。

工房を訪ねる前、着物のような伝統産業には、ザ・職人のような方がいて、秘伝の技が師匠から弟子へと脈々と伝承されているようなイメージを持っていた。

数値化された色を作り出す染料室。株式会社はぶきで

ところが、実際の現場は僕の勝手な想像とは少し違った。着物の染料は全ての色が数値化され、何度でも同じ色を再現できるように管理されているし、1人の社員が複数工程の作業をすることもできるという。

着物のような伝統的で繊細な製造工程が社内で広く共有されることによって、本来であれば職人技と呼ばれるような技術がより正確で確実に伝承されるシステムが構築されているように思えた。これこそ、一貫生産の強みだ。

同社では、着物の柄をインクジェットプリンターで印刷する技術をいち早く導入するなど積極的に新しい技術も取り入れている。「こだわりがないのがこだわりです」と同社の富澤和也社長は謙遜するが、フットワークの軽い柔軟な社風こそが伝統文化の継承には必要なのではないだろうか。

メインテナンスをおこなう部屋。株式会社はぶきで

はぶきでは、染めの他に着物のメインテナンスにも力をいれている。成人式直後には、全国で着用された振袖が集まってくる。汚れを取ったり、綻びを直したり、着色しなおしたり。全国の産地の特性や仕立ての技術などの知識があるからこそ、成せる技だ。

次に訪れたのは、市村久子さんの工房だ。市村さんは織りの作家だ。十日町市の着物産業のもう1つの特徴が、染めと織り、両方の産地であるということだ。

着物を織る市村久子さん

織り機に向かう市村さんは約1200本の縦糸に様々な色の横糸を通して柄を創造していく。その横顔は僕が想像していた通りのザ・職人という感じだ。一体、どんな経歴の持ち主なのだろうか?

1200本の縦糸に色々な色の横糸を通す

「私は石川県能登市の出身で、結婚を機に十日町に来たんです」。そこで初めて着物の染めを習い始め、染めの講師になったという。

「えっ?染めですか?」

「そうなんです。その後、織りの勉強をし直したんです。出産後に内職もできるかな、と思って」。

染めから始めた市村さんに織りの魅力を聞いてみた。「縦糸と横糸が絡み、色に深みが出るんです。そして、立体的な表現ができるところが好きですね」。

深みのある色味と立体的な市村さんの着物。どれも一点ものだ

そんな市村さんは先日、お孫さんの七五三に着物を仕立てたという。オンリーワンの柄を描き、着物を織る。なんて贅沢なのだろう。

「私は同じ着物なんて作れない。全く同じ色だって再現できないわ」と笑う。染めと織り、企業と個人では、着物との向き合い方もかなり違うようだ。

そして再び、染めの会社である、きものの青柳を訪ねる。「私たちは一度途絶えてしまった技術を、文献などをあたりながら再現する活動もしています」と語るのは、同社の大竹名保紀さんだ。

復活された本桶絞り染めの技法。きものの青柳で
桶の外側のみが緑に染まった。きものの青柳で

見学させてもらった本桶絞り染めは桃山・江戸時代の技法を現代の技術と素材を用いて再構成したものだ。同社は時代の中で織りから染めへと事業を変化させ、櫛引や型友禅、引き染め、絞り染め、手書き友禅、刺繍、金加工など様々な技術を駆使して、デザインから仕立てまで着物の一貫生産をしている。

友禅染め。きものの青柳で
引き染め。きものの青柳で

そうか、着物には染めと織りがあるのかと、なんとなく知っていた事を実際に目で見て頭の中に知識として落としこむ。3者のアプローチは違えど、着物に対する情熱に触れ、熱った頭のまま、十日町市博物館へと向かった。

そういえば、職人のみなさんの手元ばかりを写真に収めるばかりで、完成した着物をしっかりと見ていなかったなぁ、と。反物ではなく、着物を眺めたくなったのだ。

十日町市博物館に展示されている着物
マジョリカお召。十日町市博物館で

博物館の展示で、昭和30年代にマジョリカお召というものが流行したという記述に目が止まった。マジョリカお召とは、スペインのマヨルカ島がその名の由来であるマジョリカ陶器の柄が織られた着物だそうだ。

そこでふと、取材中に聞いた話を思い出した。着物の柄というのは古典柄などが中心で、新しいあっと驚くような図柄はなかなか生まれてこないのだそうだ。そんな着物業界の中で、マジョリカ陶器の柄を取り入れるなんてかなり斬新だったのではないか。

「あっ!」と、さらに思い出したことがあった。きものの青柳では、インドネシアの伝統衣装に用いられるバティック柄の着物を仕立てていると言っていたではないか。なんでも、インドネシアの国王に直接会って、バティック柄を使うことを許してもらったのだそうだ。

これは話を聞くだけではなく、もう一度、きものの青柳でバティック柄の写真を撮らせてもらわなくては。ともすれば「伝統」と言った言葉には保守的なイメージを抱きがちだが、なんと自由な発想なのだろう。

涼しげで異国情緒あふれるバティック柄の反物。きものの青柳で

雪国だからこそ発展してきたといわれる十日町市の着物産業。そこに携わる人々は、最新の技術を積極的に取り入れたり、過去の技術を復活させたり、その眼差しは様々だが、常に前を向いている。そして、そこには自由な発想がある。雪に閉ざされるからこそ、意識は外へ向かい豊かな発想が生まれるのだろうか。

僕の息子が中学生になるのは6年後。その入学式で妻が着物を着ている姿が頭に浮かぶのは、取材で頭が熱っているからだろうか?

『究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたりー』 世界有数の豪雪地として知られる十日町市。ここには豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建もの・まつり・美」のものがたりが揃っている。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、雪の中に楽しみさえも見出してこの地に住み継いできた。ここは真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国である。

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