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論理国語

久しぶりに現代文というか論理国語を教えて、目を白黒。
論説文は嫌いではないが、国語で哲学を教えるというのはどうなの?と思う。専門家がいるはずなんだから、社会科でやってほしい。
ハンナ・アーレントの名前は知っていたけれど、なんとなくだったし、
アリストテレス?プラトンの方が好きだ。
哲学事典を買ったけれども、出典が書いてあるだけなので、
結局、新書か文庫をまた探しに行かなければならない。

論説文を教える時に困るのが、一般向けに書かれたもので、書き出しから断定的に書かれている。真理を書いているという意識があるからだろう。

しかし、小論文や論文は、問題提起するときに疑問文にするから、
教科書に載っている論説文をそのまま真似られると困る。

そういえば、大学に入った最初の頃、
「結論がない」と叱られたものだ。
新聞記事のように、最初に結論を書いて、その後に具体例を並べていた。
それが正しいと思っていたのだ。
論説文の一つのパターンではあるし、英語の長文試験などで見かける形式ではある。しかし、論文としては証明になっていない、といわれたのだった。
さらにいえば、形式通り書けるようになっても、文末処理については、いつも直された。すぐ断定してしまうから。

哲学事典を読んでいたら、構造主義にぶちあたった。
やっぱり読まないといけないんですか。
昔、ヤフーだったかの索引で最初は古典を選ぶと日本古典だったのに、
そのうち「古典」で出てくるのが、ギリシャ・ローマになったときような違和感を覚えるのは私だけ?


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