ねことわたしの虐待の話

 私には3人の兄がいる。長男は大人しく、次男はチャラ男で、三男はやんちゃ……というカテゴリの一番どん底まで叩き落として踏み躙って汚く表現したものが肩書きとして丁度いい人種だ。
 三男とは3歳差。3年という年数で言えば僅かしか無いように思う。それでも私には、今尚震えるほど絶望的な差だ。

 小学校二年生になる頃には解離の症状が存分に出ていた。私には四階建てアパートの部屋にいながら、その窓辺に座る私を見上げている記憶がある。
 日々そのような感じで、私は家族団欒に参加しながらベランダに閉め出されたりしていた。
 我が家で逆らう事は絶対に出来なかった。家族で1番軽い私は、兄達の気まぐれでヒョイと抱えられ落とされかねないからだ。四階から一階へ。

 正直に言えば、解離は誰にでも起こりえる風邪みたいなものだし、私みたいな人間の場合、共に生きていく方が楽だ。
 現に去年までは昔の記憶はただの記録で、思い出した所で、こんなにも吐いた息が熱く感じるほど手が冷たくなることもなかった。
 ただ、私と、私の作り出した客観視用のいくつかの私が『今死んだら幸せだ』と判断した瞬間、意気揚々と死に向かうだけで、それ以外問題はない。むしろ、疲れや恐れを客観視用の私に押し付けられるので、多少の無理ができる、とても便利なものだった。


 三年生の時。私は一度だけ、しっかりと解離から治った、というか、全身全霊で私だった瞬間がある。

 一番上の兄との話だ。

 学校から帰ると、兄がお風呂を洗っていた。
 その頃兄は中学三年か高校生の年齢だが、虐めが原因の引きこもりでずっと家にいた。それでもお風呂の準備や、お風呂場にある洗濯機を使うのは、私か母親だけだった。だから兄がお風呂場に居るのが不思議だった。
 そして普段は言われない「おかえり」という言葉を不審に思った。それがなければ、その日も遊びに行っていたかもしれない。
 

 浴槽を覗くと、小さな黒い子猫がいた。

 兄は子猫を洗っていた。


 シャワーをかけられながら、小さな手足をバタつかせて必死に浴槽の壁をよじ登ろうとしていた。
 水位は丁度、四足だと鼻が浸かるくらい。

 私は兄を突き飛ばす勢いでどかして、子猫を掬いあげた。渾身のつもりだったのに、よろけた程度だった兄はシャワーを止めながら言った。

「いや、汚かったからさ。洗ってて」
「冷水で!?」

 兄をひと睨みして、タオルを探した。
 とにかく子猫の身体を拭いてあげなくちゃ。両手の中で、目で見ても分かるくらい大きく震えている冷え切った子猫をどうにかして助けたかった。
 動物病院は車で行かなければならず、父を待つしかない。私はタオルでゴシゴシと拭きながら、せめて温めようと息を吹きかけ続けた。

 毛が乾き、私の息と摩擦で温まった子猫の震えは止まり、眠っているようだった。
 帰ってきて事情を聞いた父も、子猫を触り「体温が戻ってきたね」と言った。
 でも私は悟った。動物病院に向かう車の中、私の手の中で子猫は死んだ。

 その子は前日、私が拾ってきた子だった。

 私が、拾わなければ。










 今、昔の事を思い出すと、2.3日ほど日付がずれる。

 私がトラウマを解消せずに解離を治そうとしたからだ。
 本当に甘くみていた。
 死にたいと思う心を、大切に中心に抱いて、
「ほら、まだこんなにも楽しそうな事があるよ。まだ出来る事があるよ」
 と、頭を撫で慰めながら進む事でどうにか生きてきたものを、急に全ての傷を引き入れるなんて、やっぱり一人では出来ない事だった。

 それでも。『死にたいと思わない事が正常で、生きていくことが私を好きになってくれた人への礼儀である』と理解した以上、もう、死にたいと思えない。
 ただ、解離が病気の範囲になろうとしているのもわかる。
 苦しくて、全てを差し置いてそこに必死になっている事が申し訳なくてしかたない。











 私の経験した数々は、たいした事ないのかもしれない。良くある話かもしれない。
 これで死にたいなんて言ってちゃ恥ずかしいのかもしれない。
 よくわからない。
 ごめんなさい。

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