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協力すること~2022年の私と仕事~

2022年はとーっても忙しい年でした。今までやっていた書類仕事の量が一気に増え、やったことのない仕事にチャレンジすることになり、対人援助で関わる人数はこれまでより少しずつ増える一方…。
後輩にできる仕事は頼みつつ、でもまだできない仕事も多いので、どうにか教えようともしなくてはならない。
夏頃からとにかくずーっと忙しくて、いまだって落ち着いたわけではありません。やっている仕事量はそこまで変わらない。

ただ、忙しさによる余裕のなさのピークは秋ごろでした。今は仕事量は変わらないけど、余裕が出てきた。
協力すること、が、この余裕には関係あると思うのです。

できないことへのイライラ

秋ごろの私は、後輩のできる仕事が増えていかないことにイライラしていました。
仕事の種類もできることが増えないし、片付けられる仕事の量も増えない。自分が同じぐらいの経験年数のころには、もっと多くの量を片付けていたし、種類も増やしていた。人間が違うのだから自分を比べても仕方がない…なんて思いつつ、思っていてもなお、イライラする。
そんなに遅くなる理由がわからない。何か効率が悪いらしいことはわかるけれど、本人が効率の悪い点に気づいてくれない限り、できることなどない。
でもとにかくとにかく改善しないうえに、どうにかしようという動きも見られない。もう少し速度を考えるように、締め切りに間に合うように手配をするように、と数か月単位で言っているのに!!

いよいよ詰まった私は、友達や家族、恩師に相談をしました。
後輩の作業スピードが遅い。スピードは徐々にしか上がるものではないし、そうなると私の側でどうにか仕事をこなすしかない。が、それはわかっているけれど、どうして私ばっかり頑張らねばならないのだ、と腹が立つ。もっと手伝ってほしい。やってほしい。スピード的に量をこなせないのは分かっているが、量をめちゃくちゃすでに私はこなしているのに、どうして私ばかり!!
というようなことを、それぞれに話してガス抜きをして。すぐに改善しない問題だろうことを、相談した人はみんなしっかり受け止めてくれて、息が付けました。

その中でふと恩師が「そういう人はいる」としみじみ同意してくれたことで、目からうろこが落ちました。
どうやら私の当たり前にやっている作業への工夫は、誰もが持つ普遍的なスキルではないらしい、と。
何故できないのかという苛立ちに含まれていたのは、こんな簡単で当たり前のことなのにできないってどういうこと? という考えでした。

何故できないのか──それはやり方がわからないからであり、やり方がわかることが普通ではないから。できる・わかるのが当たり前でないのだから、もしかしたらいつまでもわからないかもしれない。それぐらい、別の人間というものは違う。
不思議なもので、いつまでもできるようにならないかもしれない、というどうしようもない可能性に気づいても、イライラはスッと消えました。

違う人間なんだから、しゃーない。
できないものは、できないんだなぁ。

現状できなかったことに関しては、あきらめられるようになって、だいぶ楽になりました。私がやらせようとしてできるものではないですしね。

協力という道が開けた

できないものはできない、とあきらめたことで、返って気楽に協力することを目指せるようになりました。
現状できないことはしょうがないとしても、できないことで少しばかりお客さんにしわ寄せが行っていたので、少しずつできるようになるに越したことはありません。
経験を積めばできるようになっていくかもしれない。ただ、時間と後輩だけに任せるのでは、結局何しているんだ? とイライラする未来が見える。

だったら口を出してみればいいのです。こうやりなさい、ではなく、どうやっているの? という質問と、その上でこうやってみたら? という提案をしてみればいい。
後輩がそれに応えてくれるなら協力できるし、それに応えてくれないのであれば、協力できないということがはっきりします。
結局やるかどうかは本人次第で、こちらは協力しかできないポジションですから、口出しをしてみて乗ってくれるならそれでよし。乗らないなら何もできない、それだけのこと。

あきらめが吐く前は、できないことを責めてもただできるようにはならないけれど、どうも責めてしまいそうでなかなか口出しができませんでした。
やりたいのはむしろ、少しずつでもできるようするにはどうしたらいいのか、何か協力できることはあるのか、という方向の取り組みです。
現状できないことは当たり前にあることなのだ、とわかったことで、フラットに協力の姿勢を取れるようになりました。

そうして口出ししてみれば、ある程度経験年数の差もあり、普通に協力が始まり、少しずつでも変化が起こっています。
大きな劇的な変化ではないけれど、それはそれ。同時に私しかできない仕事をしんどくなりすぎないよう、工夫をしていけば、秋ごろの余裕のなさがなくなっていきました。

余裕のなさの正体

結局余裕のなさは、実際の仕事量から来ていたのではなく、協力してくれていないぞ! という自分の思い込みによるものだったように思います。
実際には協力も何も、後輩には作業をどう工夫すればいいのか、そもそも工夫しようがある、なんて前提から見えておらず、わからないものは困ったと言い出しようもなく、という状況。協力しない・協力する、それ以前の話だったと今振り返ればわかります。

わかっていたつもりでしたが、改めて話してみないと本当に状況というのはわからないのか、と思い知りました。
後輩の状況が、聞いてようやく見えてきました。
それ以上に、自分自身の陥っていた考えに、いろんな人と話をして、かつ後輩の状況がわかってきて、そんなこと考えていたのか!? とようやく気づいたのですから、本当にびっくりです。

なんか行き詰ったぞ、という時こそ話して協力を試みる。2023年も積極的に取り組んでいきたいですね。

#2022年のわたしと仕事

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