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自分への嫌悪感を受け入れて愛することはできるのか

内観、自己受容の行程はいまだ続いている。
よくもまあ次から次へと試練が出現するもんだ。
今日の気付きはかなりしんどかった。


女だけの環境に対する強い苦手意識

私は中高6年間の女子校生活がとにかく合わなくて、ほぼ記憶から抹消しているほどのトラウマだ。特に高校の時は登校拒否するかしないかギリギリだったと思うけど、気の強さだけでなんとか切り抜けて卒業した。
だがそれ以来、女だけの集団がものすごく苦手だし、今でもそういう場に自分が居なくてはならない時は居心地悪くて仕方がない。
それゆえ高2の頃から予備校が救いの場のようになってたし、大学からアメリカに行けたのはそれはそれはのびのびと楽しく(外国だからそりゃ辛いことはあったけど、何ものにも変え難い自由さだった)、就職してからも幸いどの職場でもだいたい男性が多い職場で、変に女性扱いもされず、とても楽だった。

ただ、その男性多めの場所の方が楽だというのは「思い込み」もあったかもしれない。

なにしろ母も中高6年間の女子校生活が肌に合わず、彼女の場合は大学までそのまま行けるはずだったが、大学まで女子ばかりは耐えられない&絵がやりたいというのがあって、父親(私から見た祖父)の反対を押し切って、当時では珍しく外の大学(美大)を受験したタイプだ。

その話を幼いころから聞かされてたのもあって、私もそういうタイプだと刷り込まれてた可能性もある…。
まあでもそれだけでなく、私自身の性格としても、女子ばかりの環境はやはり合ってなかったと思う。

その苦手意識は今もずっと変わらない。
今はそういう環境に居なくてはいけないという訳ではないから、ごくたまにそういうシチュエーションに遭遇する…といった程度だが、そういうシチュエーションを想像するだけでいまだ緊張するし、気が進まないことこの上ない。調子の良い時じゃないと辛い。
そもそも人と群れるのが得意じゃないのもあるけど、女性ばかりはとくに怖い。
これまで子供が欲しいと思ったことがないのも、他にも色々理由はあれど、ママ友との交流が怖すぎて無理というのも理由の一つだった。


また過去のトラウマと向き合わなくてはならないのか…

で、ここへ来てまた例の「インナーチャイルド(過去のトラウマ)を癒す」っていう過程を思い出した。

女子ばかりの群れが苦手という、これまで向き合ってこなかったこと、蓋をして見て見ぬふりして過ごしてきたこと…なのだが、
自分も女である以上、この女子ばかりの群れへの嫌悪感は、自分自身への嫌悪感でもあるのではないか…と気付いてしまった。
その嫌悪感のせいで、自分が女性であることを受け入れて愛して来れてなかった可能性が大いにある。。。

繊細でかわいい女性らしい?デザインの服装、髪型、仕草・話し方、メイク等々が男性へ媚を売っているような気がしてしまっていたのと、そもそも自分の体型やキャラクターにそういう女性らしさは似合わないと思ってたし、男性と対等というか普通に仲間としていられるような「サバサバした女」でありたかったし、そう見られたかったし、とにかくあまり男女を意識しないでいられる環境にいつもいたかった。
メイクは好きだからやってるけど、女性らしさのためというよりは戦いに挑むための準備という感じだ。ただでさえ自信がないのに、ノーメイクだと余計に自分に自信が持てなくて、その状態で外に出ると男女問わず人から雑に扱われる(気がする)のを肌で感じてしまうから。

そんな調子だから、これまでずっと無意識に女性らしくあることを否定してきたかもしれないと思う。
女性らしさがなんなのか色んな定義があると思うから言葉にするのは難しいけど、
男性目線を意識するとかではなく、かといって自分が女性集団の中の1人であることを嫌悪したり否定する必要もないのではないかと気付いた。


克服しようと闘うのではなく、ひとまず受け入れて許す

女性のみの集団への苦手意識(それは被害者意識なのかもしれない)は相当根深いので、たぶんそうすぐには無くならないと思うけど、そんな自分を否定するのではなく、別にそれならそれで良いんじゃない?とひとまず受け入れていくことにする。
女性のみどころかそもそも集団行動が苦手じゃないか。それもそれで良いんじゃない?とひとまず受け入れよう。

どちらにしても、常にそんなに戦闘モードでいる必要はない。疲れるし。笑

孤立は今に始まったことじゃないし、自分だけは絶対に自分の味方であると思えば心強い。
そして自分に対する嫌悪感を1つ1つ受け入れて許せるようになれば、人に対しても少しずつ寛容になれる。

それに気付くだけで少し救われる。
ひとまずそれでよし。

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