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一度だけ道迷いした話。

毎日、山で遭難したという記事を見かける。心が痛い。先日もXで遭難しかけた方がなんとか自力で戻ってこれたという旨のツイートがあった。このツイートには安堵する声や厳しい叱咤、もちろん激励も含めて様々な意見がぶら下がっていた。
どんなに気を付けていても事故は起こるのだ。毎回このような記事を見るたびに複雑な気持ちで装備の確認をしている。

私はソロで山歩きをしている。

ほぼ金剛山と六甲山だ。
どちらも登山者の多い山で関西では有名な山である。

私の休みが平日であるので人は割と少ない日に登っていることになる。
土日などはどこを見ても人でいっぱいなので平日が休みで本当に良かったと思う。静かな山は最高である。

私の山歩きは今年で丸4年になり、自分の山におけるペース配分も分かってきた。

私の山の行動時間は1日5時間くらいで
距離は10キロ以内が体力的に無理のない範囲みたいだ。

ガチの登山とはほど遠い、いわゆる「ゆるハイク」である。
この4年の間に一度だけ怖い体験をした。
「道迷い」である。自分への戒めとして今回、noteに書いておこうと思った。

少し山歩きに慣れてきた2年目くらいのときに私はいつもと違うコースに挑戦しようとした。
いわゆるバリエーションルートと呼ばれる正規ルートではない、でも割とたくさんの登山者が登っているルートのことだ。その道は春にコバノミツバツツジが咲いており大変綺麗だと言う。
私はその綺麗なシキモリ道と呼ばれる尾根道を歩いてみたくなった。これは六甲山での話である。

コバノミツバツツジ

私は毎回ヤマレコというアプリで歩くルートを事前にダウンロードして登山中は常に起動させている。GPSは電波に関係なく自分の位置を示してくれるからだ。
正規ルートはアプリ上に通過点として◯が付いており、この◯を辿ってルートを作る。

金剛山のルート。
◯を繋げていくと登山ルートが出来上がる

このときのルートは正規ルートでないため、自分で破線を辿って手入力でアプリ上に地図を作らないといけなかった。
一応、ルートは出来上がり私はいつもどおりにGPSを起動させた。

ところがこの日のルートはいつものルートには無い不安定なロープ場や足元の見えないシダの群生が出てきて私は緊張と焦りからGPSのルートを外してしまった。

たった10分である。その日の登山を始めて10分の間に私は自分のルートから外れてしまった。
周りにはたくさんの赤テープ、ピンクテープが細い木につけてあり、どれが正解のテープかわからないのだ。しかもなんだか足元が枯れ葉でふわふわして踏み固まっていない。冷静になろうと周りを見回すが踏み跡が見えない。おかしい。何か変だ。

あ、道を間違えた。さっきのロープはもっともっと登らなければならなかったんだ。私は中途半端な場所で道っぽい横道に反れてしまっていた。

どうしよう。私はどこから来た?もっと上まで登れば必ず道があることは分かっていたが、落ち葉と蜘蛛の巣で滑って進めない。となれば来た道を引き返すしかない。キョロキョロしながら私は足を枯れ葉に取られてコケた。手を擦り剥いた。もうパニックである。

人間、パニックになると判断力がなくなるのをまざまざと体験した。

「誰かいませんか?」と10回くらい叫んだと思う。

さっき登り口にはおじさんがドラム缶で焚き火をしていた。すぐそこに人はいるはずなんだ。

上のほうからは人の声が聞こえるような場所なのだ。そんな場所なのに私の声は届かない。ヤバい。なんとかしないと…。
今、何時?私はどうやったらここから脱出できる?登ろうとするが多すぎる赤テープの意味がわからない。
なんでこんなにたくさんの赤テープが付けてあるんだ?

たぶんよく見たら道を示していたのかもしれない。赤テープと赤テープの間を歩くように付けてくれていたのかもしれないが赤テープとピンクテープが混在しており、わけがわからなかった。

この時の私は下に降ればどこかに着くんじゃないか?と山で一番やってはいけない心理状態になる。山で迷ったら下ってはいけない。それくらい知ってる。だが、あのときの私は変なバイアスが働きかけていた。人の声がする場所なのになんで私は迷っているのだ?

落ち着け。きちんとGPSを見るんだ。自分の動きをちゃんと見るんだ。自分じゃなく、空から見てくれてるGPSのほうを信じろ。

私は自分がどちらに動いているのかGPSで確認しながら少しずつ自分の動きを把握し、シダが道を塞いでいる道をGPSを信じて5分歩いた。たった5分。それは長い長い5分だった。

あ、戻れた。ふいに見覚えのあるさっきの道に戻れた。道迷いに気づいてからのパニックからルート復帰まで30分くらいか。何時間にも思えた。

戻れた安心感で心臓はバクバク、足はガクガクしている。

とりあえずいつもの堰堤で休憩し、バーナーでお湯を沸かし暖かいカップ麺を食べた。全然登ってないのにこんなに疲労困憊した経験は無い。

私はたった5分で戻れたけど道迷いした心理状態はいつもの自分とはかけ離れたものだった。

良い経験とは言い難いが、怖い思いをしたのは山に慣れてきた自分への戒めになった。

バリエーションルートは楽しい道がたくさんある。でもその中でも見極めないといけないことがあるのだとそのとき分かった。
つまり、山では決して欲を出してはいけないということだ。
少しでも不確定要素がある場合は行ってはいけない。この日は最初から堰堤の横をロープで登るという不安要素しか無かったのだ。私にはそんな冒険はまだ早かったし、しなくて良かった。
これは私のゆるハイクでの教訓になった。
羨ましい、私も行ってみたいなどと欲を出してはいけないのである。

私には山の仲間がいない。案内してくれる仲間がいないのだ。自分の登れるルートで楽しもう。足るを知るとはそういうことだ。山が楽しくて楽しくて仕方がなかった頃だった。冷静になろう。わたし。

どこかに吐き出して昇華したかったので今回noteに書けて良かった。

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