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【感想】ONE PIECE FILM RED 全体感想としては「賛寄りの否」

Amazonプライムビデオにて配信が開始された「ONE PIECE FILM RED」を観た。

公開当時も劇場で一回鑑賞しており、それ以来となる。

劇場公開時は、音響も映像も良いグランドシネマサンシャインでしっかり鑑賞したのだが、これがすごかった。

とにかく楽曲の良さとAdoの歌声に圧倒された。
これまであまり興味はなくきちんと聞いてなかったし、提供アーティストも半分以上知らなかったが、とにかく素晴らしかった。
ジャンルも雰囲気も違う曲で、Adoの歌い分けも凄いのに一つの作品の中ではきちんと統一感もある。
楽曲がストーリーの補強としても装飾としても機能していて相互に影響しあい、物語の途中で歌唱が入ることにキチンと意味がある。

楽曲、歌声、映像、そしてクライマックスシーンの盛り上がりに、エモーショナルな結末。

結果的にはある程度満足しながら劇場を後にした私はすぐさま「ウタの歌」をダウンロードし、今日に至るまで聴き込んでいる。
大変素晴らしい映画体験をすることが出来た。

イチONE PIECEファンとしては良いところを加点方式で積み上げていって「楽しかった」と素直に言える。
言えるのだが、ひとつの映画として、また他のフィルムシリーズと比較して見ると非常に「イマイチ」だったと言わざるを得ない。
タイトルに書いた通り、最終的な感想としては「賛よりの否」だ。
むしろONE PIECEファンである自分を取り払った場合ははっきりと「否」だ。

映画館の設備がない状態で見ると、その欠点がより浮き彫りになる。個人的には大きく2つの点で。


※以下、ネタバレへの配慮は無しである※


理由の一つとしては、“致命的なまでの中弛み”である。

序盤のライブシーンと続く戦闘シーンでひと盛り上がりした後は、しばらくとても退屈な時間が延々と続く。
世界観やキャラクター背景、過去に起こったことやこれから起こることの説明がひたすら詰め込まれ続ける。ストーリーの中でサラッとスマートに触れられるみたいな方法でもないし、それぞれが作劇として有機的に絡むことはない。この時間がとにかく鈍重なのだ。

ひとえにウタに色々なモノを背負わせたすぎたことがその原因である。

ウタはルフィの幼馴染であり、シャンクスのであり、今作のヒロインであり、ヴィランであり、そして何よりこの映画が完全初登場となる映画オリジナルキャラクターである。

原作ファンも誰も知らないウタというキャラクターを、この作品内できっちり観客に魅せるためには、物語の中で下記の内容を描写する必要が生じた。

①過去時間軸に於ける幼馴染・娘としてのウタの描写
②現在時間軸に於けるヒロインとしてのウタの描写
③ヴィランとしてのウタの描写

だがヴィランとはいえ、幼なじみないしは娘であるヒロインをルフィやシャンクスがぶん殴って倒して終わりにするわけにはいかない。
そうなると彼女自身がある種暴走している状態であることを示し、実は救済されるべき“哀しき悪役”だったのだ、と設計しなければならず、

④「悲しき悪役」としてのウタを形成した背景説明・回想・暴走理由・描写

が必要となる。

しかしウタ自身が殴られるわけにはいかないとは言え、ONE PIECEである以上派手な戦闘シーンと撃破によるカタルシスは不可欠なわけで、そうなると“ウタの代わりに撃破されるべき強大な何か”が必要になってくる。
というわけでこちらも追加だ。

⑤その“何か”の存在と説明、その描写

更にさらに、ルフィの幼馴染でシャンクスの娘という重大な要素を持つキャラが、“原作に登場しない”理由もなければいけない。すなわち、映画内できっちり“退場”させなければいけない。
単純な悪役であれば撃破によって死亡・行方不明・海軍による拘束に繋げることは容易だ。しかしウタはそうはいかない。よって、

⑥退場につながる理由・描写

がまた必要になってくる。

映画内で描写すべき内容・観客をある程度納得させるために必要なハードルがこれだけあるのだ。改めてまとめると下記になる。

①過去時間軸に於ける幼馴染・娘としてのウタの描写
②現在時間軸に於けるヒロインとしてのウタの描写
③ヴィランとしてのウタの描写
④「悲しき悪役」としてのウタを形成した背景説明・回想・暴走理由・描写
⑤“ウタの代わりに撃破されるべき何か”の存在と説明、その描写
⑥退場につながる理由・描写

これらの説明や進行が、うまくない。
ルフィと各キャラが別行動で各自別々にこれらの要素の「説明」を受けていくが、ただの分断でありどうにもストーリーに一体化してこない。

ネズキノコなど④と⑥をある程度同時に処理する要素などもあるが、とにかくひとつひとつが冗長なのだ。
特に⑤の要素は後述する欠点の二つ目にも繋がる部分で、この“何か”であるトットムジカの設定説明周りのシーンはかなり観ていて退屈だ。
取ってつけたような麦わら一味の戦闘シーンも逆に鼻につく。
結果、前述した通り“致命的な中弛み”が発生し散漫かつ緩慢な印象が映画全体に残ってしまうのである。

これまでのFILMシリーズのオリジナルメインキャラは基本的に全て純粋な悪役であった(FILM Zのゼファーは除く)。それ故にキャラクターの掘り下げがそのまま悪役としての掘り下げにもなり、戦う理由にもなり、倒した時のカタルシスにもなる。上記で言えば①〜③に当たる部分だけで充分物語として成立するのだが、今回はヒロインとヴィランを同一にした事で上記の問題が生じた。

そして理由の二つとしては、“トットムジカを始めとしたこの映画のあらゆる要素がマジでただの舞台装置である”という点だ。

話のメインや中心は常にウタではあるのだが、その実この映画は“RED”を冠する通り完全にシャンクスありきだ。

ルフィとシャンクスを引き合わせるためにウタというキャラクターの設定がメイキングされ、
しかしながら原作との兼ね合いでルフィとシャンクスを直接会わせるわけにはいかないために“ウタウタの実”に世界を切り分けるという能力を付与し、
その状態でルフィとシャンクスの共闘を実現させるためにトットムジカの存在と撃破方法が設計されたのだ。

映画に於ける登場キャラクターや設定などは、突き詰めれば全てが“その展開”に持っていくための舞台装置であることは確かだ。
結局のところそれはそうなのだ。
だがしかし、だからこそ観客に“舞台装置感”が伝わらないように、設定や説明、展開をいかにきちんと物語に溶け込ませられるかに腐心する必要がある。

同じFILMシリーズであれば“STAMPEDE”の、バレッドのガシャガシャの実の能力とその最終形態は、それ自体は結局“各勢力の共闘”という展開に持っていくための舞台装置だ。
しかしそこはバレッドのキャラクター性、戦闘方法、孤独・孤立の強調という形で、ストーリーと有機的に紐付いている。

REDにおいてはそれが余りに下手だ。

特にトットムジカ周りが酷い。
トットムジカそのものの存在に始まり、ウタウタの実の“ウタワールド”とトットムジカとエレジアの関係、現実世界との“同時攻撃の必要性”などの各種設定に、「そうである事」の物語上の必然性や説得力が全く無く、“シャンクスを登場させたい”“ルフィとシャンクスを共闘させたい”というそれありきで作られた作品であることが鑑賞中にありありと伝わってくる。設定を展開に繋げるための積み上げがないため、トットムジカの話が進めば進むほどにこの点が強調され、ノイズが増す。

事程左様にこの作品は、映画としては致命的な欠点を抱えている。

・オリジナルキャラクターや世界設定の説明による中弛み
・敵役や展開がクライマックスに繋げるための舞台装置感が強い

これらは得てして現行で連載・放送をしている漫画・アニメのオリジナル映画でよく起こる現象だ。
ONE PIECEで言えば旧来の映画シリーズはモロにこの問題に陥っているケースが多々ある(呪われた聖剣やカラクリ城など)。

とは言え、この映画の評価は結局「ウタ」というキャラクターをどこまで好きになれるか、彼女にどこまで感情移入出来るかに懸かっている部分はある。

ウタが自分自身に刺されば、私に取っては中弛み要素でしかなかった彼女周りの説明は、ウタというキャラクターを掘り下げる非常に良いシーンとして機能するだろう。
私自身ウタというキャラを否定しているわけではなく、上記に挙げている説明要素は、確かにこの映画においては必要不可欠なモノではあるのだ。

実際にウタの最期及びエンディングは、それまでの積み上げがあってこその、儚く、哀しく、美しいものだったのだから。

最初にライブシーンを入れて一気に観客を引き込みたいのは分かるが、序盤である程度ウタの背景は明かした状態でその後を展開させれば、幾分か中弛み要素は減らせたと思う。
(ウタが設定過多なのは確かだが、それ以上に徐々に秘密や背景を紐解いていくストーリーテリングがうまくいっていない)

余談レベルであるが、ウタと同レベルの難しい設定を背負った映画オリジナルキャラクターとしては、“名探偵コナン 純黒の悪夢”に登場するキュラソーが私の中では挙げられる。
彼女は記憶喪失を媒介として、探偵団と交流をするヒロインであり、黒の組織の幹部という敵役の面がある。
それでいてコナン映画の「ノルマ」としてアクションシーンも必要であり、黒の組織の幹部かつ灰原の正体を把握したことで原作に絡めることは出来ず映画内で適切に退場する必要があった。
必要な描写とハードルはウタ同様上記の①~⑥に類するものが必要であったが、しかしこちらは映画として非常にキレイにまとまっており、中弛みもアクションシーンを引き起こす黒の組織の舞台装置感もほとんど感じられない(後者に関しては正直ギリギリの線ではあったが)。
ここ10年くらいのコナン映画に置いては、私の中では傑作として捉えているため、同様にウタに関してももう少しやりようはあったんじゃないかと思える。
ウタ自身の生い立ちや海賊時代の闇を真正面から捉えたストーリーそのものは悪くないため、つくづく残念である。

私自身がキャラ推しやキャラ萌えという観点でコンテンツを見ることがないため、キャラクターの推進力に頼らざるを得ない「オリジナルアニメ映画」への期待を元来持っていなかったということが、この感想につながっているということもある。
今回の公開前の各種メディアによるウタ推しで展開する宣伝手法は実は結構不安だったし、その危惧はかなりの部分で的中してしまったといえよう。

FILMシリーズは「キャラ先行」となりうるアニメ映画の、私の中の苦手要素を払拭してくれた素晴らしいシリーズだったが、今回はなんとも旧来のアニメシリーズの欠陥構造を踏襲してしまったように感じる。

言ってしまえばFILM REDは、「予算と人材とセンスはFILMシリーズで、中身は旧来アニメシリーズ」と呼んでしまって差し支えないと思う。

現状のFILMシリーズの私の序列は

STAMPEDE>STRONG WORLD>GOLD>>Z>> RED

といったところだ。

実はZも、REDほど強烈に辟易したわけではないが、REDと同じ構造上の欠点を抱えている作品だと感じている。(ゼファーというキャラクターの設定やダイナ岩やエンドポイントの舞台装置感)

逆にSTAMPEDEは、設定・キャラクター・展開・ストーリー全てが一体化してきちんと纏まっていて、かつクライマックスの熱さは折り紙付き、ワンピ映画最高傑作であると思う。

繰り返すがFILMシリーズそのものは大好きだ。
原作本編に絡めてのキャラクターやストーリーには大いに魅力がある。
REDも、ミュージカルとはまた違う音楽映画要素に楽曲も合わせて圧倒された。
「映画館で観るべき作品」と言えばそれはそうで、その点においては歴代最高なのは間違いなく、それ故に最大興行収入もある程度理解はできる。

どちらかといえば私が純粋な悪役やそこと絡んだストーリーに楽しむ要素を求めているのだろう。単純に好みが合わなかった。

原作も一応最終章へ入り、原作終了前後に最終作があるとすると、その前に作られる新作はあと一つくらいであろうか。
原作に絡めつつ原作の邪魔をしないオリジナル展開及び悪役は、終盤になるにつれなかなか厳しい縛りとなってくるだろう。

ロックス海賊団の残党あたりを使って盛大に強い悪役を推進力として盛り上げて欲しいモノである。
原作者が「もうイヤだ(笑)」と言っている「映画で描かれる“伝説のジジイ”」を、申し訳ないが私はまだまだ観たい。

が。今後のFILMシリーズにも期待であるが、無理に製作する必要もないとも思っている。ワンピ映画に関しては映画製作自体は他の国民的アニメ(ドラえもん、コナン、クレヨンしんちゃん等)とは違って「ノルマ」ではないはずだ。無いなら無いで構わない。

映画を作るための映画、ではなく、機運が高まったときに製作されたものがそのうち公開されたらいいな、レベルで、今後の展開を楽しみに待つばかりである。

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