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【茨城県笠間市】水戸梅散歩 水戸の帰りに友部サービスエリアで鯵の開き定食 24.03.02_14:30
水戸からの帰りしな、蕎麦だけだと流石に腹が減ったので常磐道の友部サービスエリアにストップ。
フードコートでらしいものをと探したんだけど、なにが地元のらしいものなのか想像がつかなかった。
ので、海の幸の鯵の開き定食をライス大盛りで注文 1100円。
この100円なんとかならなかったのだろうか?
常磐道は東北道より海寄りな印象なのだけど、開きの鯵が地元産だとも思いづらい。(地元産かなぁ
【茨城県水戸市】水戸梅散歩 水戸駅ホームの「そばうどん水戸」で天ぷら蕎麦納豆トッピング 24.03.02_13:20
水戸駅のホームの立ち食いそばがうまいらしい。
という噂はかねがね聞いていた。
でも、なかなか水戸まで来る用事がない。
今回梅見物にやってきたのをいいことに、早速実食にやってきた。
もっとも車で来ているものだから、駅前の立体駐車場に車を停めて、入場券払ってまで入る駅のホーム。
もうすでにこれで幾ら増しよ。
ということは考えないことにしよう。
ということで、水戸駅ホームの
【茨城県水戸市】水戸梅散歩 弘道館と大手門散策 24.03.02_11:30
偕楽園から車を回して藩校の弘道館と最近新しくk建てた水戸城大手門を見物に。
水戸藩も江戸時代中の沈黙を破るように幕末に斉昭という殿様がいいたい放題でしゃばり放題をし、徳川慶喜まで排出し、日の目を浴びつつあったというのに、天狗党が藩をめちゃくちゃにして、結果明治維新を待たずに終了してしまった印象。
行き過ぎた儒教の教育、尊王攘夷思想が暴発してしまい、将来ある若者の決起を水戸藩自らが粛清しな
【茨城県水戸市】水戸梅散歩 好文亭から梅園を眺める 24.03.02_10:00
偕楽園のセット券を購入したので、好文亭にあがってみた。
好文亭は偕楽園にある建築物で、偕楽園同様、水戸人が大好きな幕末の藩主徳川斉昭が造らせたもの。
藩主の住居としてではなく、庶民とともに利用することを目的にした建物。
庶民なんて言ったって、そこそこの立場の人までに決まっているだろうし、そんな建物を造るより、ひもじい人たちに施しでもしたほうがよほど・・・いやいや、目先の米よりも文化施
【茨城県水戸市】水戸梅散歩 偕楽園でこの梅林が目に入らぬか・・・ 24.03.02_08:00
今年はなんとなく、梅を見た感が不足している気がしたので、水戸の偕楽園へ出かけてみた。
水戸なんて一応関東地方だし、距離にしたって車でサクって感じの距離感なんだけど、神奈川県民にとって東京を抜けるっていうのがなかなかの障害。
なので、毎年出かけるっていうほどの濃度で水戸を訪れていないのが黄門様に申し訳ない感じ。
それでも今年はやって来たのはコロナ禍ですっかり鈍った体力回復のための運動が
【栃木県佐野市】みちのくひとり旅1日目 東北道佐野SAで朝食の佐野ラーメン 23.11.17_07:40
東北に足を踏み入れるのは何年ぶりだろう?
明治維新150年のときに会津に行ったのは何年前だったろう?
やっぱり原発事故の印象が悪くて進んで近づきたくはないよなぁという気持ちだった。
イメージ戦略で押しとしてきた東北が、イメーいが悪くなると風評だとか言い出す。ちょっと都合がいい気もしていた。
原発を誘致するって、それくらいの覚悟がないとだめなはずだったのに。
生きている間は片付
【埼玉県川島町】鎌倉殿の比企氏、史跡めぐり 比企氏の菩提寺、金剛寺 22.09.30_12:50
川島町の金剛寺は鎌倉の妙本寺と並ぶ比企氏の菩提寺。
比企殿の菩提寺にしては金剛寺とかいかつい名称。
草燃えるの時の佐藤慶ならまだしも、鎌倉殿の佐藤二朗だと・・・
境内は思いの外ゆったりとしているのだが、比企氏の墓は隠れるように建っている。
鎌倉時代、比企の変で比企能員共々一族は北条とその仲間たちに殺害された事になっているが、息子の比企能本は逃げ出すことに成功、各地を転々とした後、鎌
【埼玉県吉見町御所】鎌倉殿の比企氏、史跡めぐり 幼い蒲殿が身を隠した安楽寺 22.09.30_11:45
吉見町御所にある安楽寺。
御所とはどういうことかというと、源範頼の屋敷があったからとか。
源範頼は頼朝の弟。遊女の子だったので、平治の乱のときには存在を認知されていなかった。
いわゆる蒲冠者。大河ドラマ、鎌倉殿の13人では迫田孝也が好演。義経では石原良純。
鎌倉幕府成立には欠くことのできない平家討伐の大将軍だ。
そんな蒲殿が幼少期隠れ住んだのが安楽寺。
当然、比企氏の庇護のもと
【埼玉県東松山市】鎌倉殿の比企氏、史跡めぐり 若狭局の宗悟寺参拝 22.09.30_10:50
滑川町と東松山市の間のようなところにあるのが宗悟寺。
鎌倉幕府二代将軍源頼家の妻で比企能員の娘、若狭局(配役でいうと山谷花純。佐藤二朗の娘とは思えない(笑))が鎌倉の比企一族の変を逃れた後、頼家殺害後、比企氏の本拠地へ隠れ、頼家の子一幡の菩提をと弔う寺を創建したのが宗悟寺の起源。
後に秀吉により徳川家康が関東へ移されたとき、この地を旗本の森川氏が与えられた。
森川氏は比企尼山にあった寺
【埼玉県小川町】鎌倉殿の比企氏、史跡めぐり 道の駅おがわまちでうどんのような天玉蕎麦 22.09.30_09:50
浄蓮寺にトイレがなかったんですよ。
なので、来る時途中で見つけた道の駅に寄ったんです。
この辺りは紙の里という事になっているらしく、資料館やら何やらがある結構大きい道の駅なんですよ。
そんな道の駅のレストランではない小さなカウンターだけの蕎麦屋で食べた天玉蕎麦が結構美味しかった。
でも、こんな田舎の道の駅の天玉蕎麦が630円はちょっとお高い。
品物と引換支払にしては、キリが悪くて
【埼玉県東秩父村】鎌倉殿の比企氏、史跡めぐり 比企氏ゆかりの〜?浄蓮寺 22.09.30_09:00
埼玉観光三日目は大河ドラマ鎌倉殿の13人が好評なので比企氏の史跡めぐり。
今も比企郡として名を残す鎌倉御家人を佐藤二朗が好演。魅力ある人物を作り出した。
今日はそんな比企氏の縁の地を巡ろうと思う。
比企氏は藤原氏の流れをくむ豪族で、鎌倉幕府成立の立役者の御家人。
比企尼は源頼朝の乳母を努めた関係。
頼朝の嫡男で二代将軍頼家の乳母父を努めて権勢を振るうが、執権北条氏と対立し一族は滅ぼさ
【埼玉県東松山市】鎌倉殿の畠山氏、史跡めぐり 東松山の夜はやっぱり焼きとん ひびき 22.09.29_16:38
今日も東松山に宿泊。
となると、やっぱりというか当然というか、夜は焼きとんになるのは当たり前。
昨日は桂馬というちょっと小洒落た大人の焼きとん(なんだかわけが分からない表現だけど)だったけど、今日は大衆に舵を切って。
東松山は日本七大焼き鳥に数えられるやきとりの街。
焼き鳥ではなく焼きとんなのが特徴で、やきとりといったら、豚のカシラが出てくる。
池袋から電車で1時間の立地はも