帰省旅と一眼レフ。
身の上話だが、転職をした。
有休消化の兼ね合いもあって、6月下旬から7月中旬にかけて、1ヶ月ほどの人生の夏休みを手に入れた。
6月いっぱいは今までなかなか飲みに行けなかった人たちと飲みに行ったり、自室でゆっくりしたり、珍しく近場でのんびりと過ごす日々だった。
月が変わり、そろそろ何かでかいことをしたいと思った。
いろいろ計画していたが、まずは地元に帰ろうと思い、二泊三日で山形に帰ることにした。
そのまま帰っても良かったが、郡山駅在来線ホームの駅名標を見たくなって、郡山での一泊を挟んで帰ることにした。
初めてこの駅名標を見たのは2015年くらいだったか。
この駅名標を一目見て、旅情だとかノスタルジーだとか、そういうものを追い求める欲が一段と加速したかもしれない。
701系やE721系が在来線ホームにいると、東北に帰ってきた気がする。
どちらも実家の近くを走っている車両ではないが、東北民はエリア全体がちょっとしたホームみたいなもので、例え行ったことがなくても少しばかり親近感を覚える。
どこの駅も改築が進み、こんな風景も過去のものになってしまう日も遠くないかもしれない。
自分の目で見れるだけラッキーと思い、限られた時間の中で写真を撮り続けた。
その後は東北新幹線を北上し、古川から陸羽東線に乗り換える。
宮城県の小牛田駅から山形県の新庄駅までを結ぶ路線、陸羽東線。
この2年くらいで、少々ネガティブな意味でこの路線は有名になってしまった。
路線全体の乗車人員がJR東日本全体の中で少なく、路線そのものが存続の危機に直面している。
物心着く頃から存在していた路線が、そのうち無くなってしまうかもしれない。
もしかしたら、それは必然かもしれない。
無くなってしまうのはキツイと家族は言うが、移動は専ら自家用車だ。
周りの家庭もそんな感じで、それどころか空き家も増え、人そのものがいなくなってきている。多分、日本全国の地方ローカル線はそんな現状ばかりなのだろう。
山形滞在中、乗った列車の乗客は数えるほどで、自分一人しか乗っていないこともあった。
自分一人の力など取るに足らないが、乗れるうちは乗る、撮れるうちは撮っておこうと、そう静かに決意しながら、大事に乗り、シャッターの指を落とし続けた。
どんなに人が乗っていなくても、近い将来無くなってしまうのだとしても、自分の中では思い出深い、誇り高き「マイレール」なのだ。
今までミラーレスの電子のファインダーで写真を撮り続けてきた身にとって、一眼レフの無垢な光学ファインダーは、見なれた地元の景色さえも新鮮に映るものだった。
ファインダー越しに見える世界は生き生きとしていて、生の光は写欲を、旅欲を増幅させてくれる。
実家に帰る時は、ほぼ毎回母方の実家にも顔を出す。
こちらに向かう際も、やはり鉄道を使う。新庄で乗り換えて、奥羽本線の701系に乗車する。
田園風景の中をカタンカタンと軽快に飛ばす2両の電車は、なんとも愛おしい。
母方の実家の最寄駅も山間に位置し、夕刻になると明かりの灯った駅舎とオレンジ色に染まる空が、なんとも言えない夏の情景を生み出す。夢中になって撮っていると、いつの間にか真っ暗になる。そんな中、予告もなく列車がやって来る。突然のことに少し驚きつつも、写真に華を添えてくれる、本数の少ない列車は貴重だ。
まとわりつくような湿気も、温度も、撮った写真を見返しているとまるで今さっきまでそこにいたかのように思い出す。
地元での時間はあっという間に過ぎる。お米を始めとした地元の食べ物やお酒を飲み食いし、気づけば寝ていた、なんてことを繰り返していれば二泊三日なんてあっという間に過ぎる。
最後は、仙台で働いている従兄弟に顔を出し、帰路に着いた。
新幹線ホームでは、思いがけない珍客に遭遇し、ちょっと興奮状態だった。
写真を撮ると言う本質は一緒でも、それまでの過程がミラーレスと一眼レフでは結構違う。撮れる写真はぱっと見一緒かもしれないが、撮る側の心持ちが、テンションが違う。そんな気がする。
使い分けこそ大事だが、一人旅のような自分のための時間では、一眼レフこそ、本当に自分と向き合うためのカメラと言えるんじゃないか。
ガラス素通しの無垢なファインダーから、見慣れた景色、初めて見る景色を、これからもどんどん撮り込んで行く。そんな次第だ。
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