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京都国立近代美術館『没後100年 富岡鉄斎』

【会期】2024年4月2日(火)~5月26日(日)
【会場】京都国立近代美術館
【主催】京都国立近代美術館、清荒神清澄寺 鉄斎美術館、毎日新聞社、京都新聞
【協賛】ライブアートブックス
(以下、公式web siteから引用)
「世に「最後の文人画家」と称えられる富岡鉄斎(1836-1924)。幕末、京都の商家に生まれた彼は、近世都市の商人道徳を説いた石門心学を中心に、儒学・陽明学、国学・神道、仏教等の諸学を広く学びながら同時に、南宗画、やまと絵等をはじめ多様な流派の絵画も独学し、深い学識に裏付けられた豊かな画業を展開しました。良い絵を描くためには「万巻の書を読み、万里の路を行く」ことが必要であるという先人の教えを徹底して守ろうとした彼は、何を描くにもまずは対象の研究に努め、北海道から鹿児島まで全国を旅して各地の勝景を探りました。そうして胸中に思い描かれた理想の山水を表出し、人間の理想を説いた鉄斎の絵画は、画壇の巨匠たちから敬われ、京・大阪の町の人々に広く親しまれただけではなく、むしろ新世代の青年画家たちからもその表現の自由闊達で大胆な新しさで注目され、生前から今日まで国内外で高く評価されてきました。
 幕末に人格を形成して明治初期には神官として古跡の調査と復興に尽力し、やがて官を辞して市井の画家として生き、1924(大正13)年の大晦日に数え年89で亡くなった鉄斎は、2024(令和6)年末で没後100年を迎えることになります。このたびの展覧会では、この記念のときに向け、彼の画業と生涯をあらためて回顧します。名作として繰り返し取り上げられてきた作品はもちろんのこと、名作として知られながらも名作展では目にする機会の乏しかった作品や、近年になって再発見され、あるいは新たに見出された作品などもご覧いただきます。また、京都御所の近所の、室町通一条下ルに邸宅を構えていた彼の書斎(画室)を彩っていた文房具や筆録(旅行記や研究用メモ)等も取り上げ、都市に生きた彼の日常も、垣間見ていただこうと考えています。
 文人画というと、何か難しい世界のように思われがちですが、鉄斎の生きた時代にはむしろ縁起物として都市の商人たちの間で親しまれていたともいわれます。京都では27年振りの開催となる展覧会が、鉄斎に親しんでいただく機会ともなれば幸いです。」

※出展作品はすべて撮影不可のため、印象に残った作品の内、web siteで公開されているもののみリンクで紹介する。

◎『鮮魚図』(富岡鉄斎:1910年(明治43年):愛媛県美術館蔵)

◎『十六應真像』(富岡鉄斎:1902年(明治35年):京都国立近代美術館蔵)

◎『老子過関図』(富岡鉄斎:1910年(大正4年):京都国立近代美術館蔵)

★京都国立近代美術館の2フロアを使ったなかなか見ごたえのある展覧会だった。高校卒業まで大阪に住んでいた私にとっては、毎年の初詣の行先の一つが兵庫県宝塚市の清荒神清澄寺。この寺の元住職と富岡鉄斎の交流をきっかけに出来上がった膨大なコレクションを寺の境内に設置した鉄斎美術館「聖光殿」で公開している。何度かそこに足を運んだことがあったが、小さなころには全くその良さがわからなかった。なんだか色合いも独特だし、絵の中に字が書いてあるし、変な絵だなぁ程度の認識だった。社会人になって鉄斎の絵を観る機会があり、印象が180度変わった。教養の深さに裏打ちされて計算された構図とそもそもの描画力の高さが、私などには到底たどりつけない高みにあるように思えた。今回の展覧会に出展されている作品の多くは、鉄斎美術館からのものだ。
改めて鉄斎の作品をじっくり見ると、やはり画力のすばらしさと書の力強い美しさを感じた。そして、漢詩や故事に着想を得て絵画に仕上げる構想力も素晴らしいのだと思った。
彼の座右の銘は、「万巻の書を読み、万里の路を行く」(董其昌)。私も教養を高めて、旅をし、鉄斎の足元に近づきたい。




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