今になって出産を振り返る〜第一子編〜


何を書こうか迷っているうちに、
また日が経ってしまった。

育児記録を綴っていこうと決めたので、まだ記憶にあるうちに2人の子どもの出産を思い出して残しておこうと思う。


1人目の妊娠が分かる日の前日。

そんな予感が何となくしていたので、「当分は飲めなくなるのかなー」なんて思いながら、仲の良い仕事仲間たちと楽しく飲んでいたことをよく覚えている。



お腹の中で順調に育っていく息子の様子を定期的にエコーで確認し、安心しきっていた妊婦生活。

しかし、予定日が近づくほどに、「これは大きすぎるのでは?」という予想外の事態となり、少し早めに促進剤で出産を試みるということになった。

入院初日の6月14日。
前日の13日は妹の誕生日、翌日15日は甥っ子の誕生日。
2人の間に挟まれた誕生日になるのかな、なんて呑気に考えていたが、そう簡単に生まれるはずもない。

促進剤の薬を定期的に飲んだが、思っていたような強い痛みがくることは無かった。


翌日。
薬ではあまり効果が出なかったため、子宮口を開くためのバルーンを入れた。

と同時に激しい痛みに襲われた。
昨日までの余裕は嘘みたいで、泣きながらうずくまり痛みに耐えていたが、その日開いた子宮口はわずか数センチ。

かなり憔悴していたが、夜になり痛みが落ち着いたところで、家族や旦那と少し電話すると、また明日も頑張ろうと勇気が湧いた。

そして次の日。
痛みへの恐怖は拭えないが、もうやるしかない。
またバルーンを入れ痛みに耐える1日。
叫ぶのも泣くのも体力がいるので、必死で歯を食いしばる。

それでも出てこない。
この時点で、子宮口5センチだったような。


まだ半分か。


もう嫌だ。


もう1日なんて耐えられない。


早く切ってほしい。


そればかり考えていた。
もう頑張る気力は無かった。


そして入院から4日目。

そう簡単に帝王切開になるわけではないので、
また痛みに耐える1日が始まる。


頭がつっかえているせいで、上手く下に降りてこれていない赤ちゃん。

分かる。
右の腰のあたりがずっと痛む。

◯分おきの陣痛が徐々に間隔が無くなり…なんて目安があると聞いていたが、そんなどころではなかった。
1分も経たずしてただ一箇所だけがずっと痛い。
骨をこじ開けられているような感覚だった。


この痛みに終わりはあるのか。
いつまで耐えなければいけないのか。

出口が無いような気がして、ずっと地団駄を踏み怒りのような感情でいっぱいだった。



午後になり、緊急帝王切開が決まった。

それでもすぐに開始されるわけではなく、レントゲンを撮ったり、手術の準備をしたりで、もう日も暮れていた。

母がその病院に勤める看護師だったので、すぐに手術の連絡がいき、病室に来てくれた。


「よく頑張った」


母にそう言われ、涙が出た。


母も1人目の出産で同じような経験をしていた。

母だけが、この数日間の辛さを本当に分かってくれたような気がした。


そして手術が始まる。
麻酔を打った途端、今までの痛みが嘘のように無くなっていく。

お腹を切るなんて想像するだけで怖かったはずなのに、結局はこの時を待ち望んでいた。


元気な産声とともに誕生した息子は、3700gという想像以上の大きさに成長しており、つっかえていた頭は少し伸びていた。


そこから1週間の入院生活。
フロアに響く鳴き声は人一倍大きかった。



2年半ほど前の体験だが、ひとつひとつ丁寧に思い出してみると、その時の感情まで記憶にはっきりと残っている。


もう当分出産は懲り懲りだ。

そう思っていたにも関わらず、そこから約2年後には第二子を出産することになる。


次回、第二子編へ。

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