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【苦しい暗黒時代】新卒から2年間をまとめてみた

どもども、かずみんです~。

いやー、前回はまさかの13,000文字超えでしたね。

(毎回前回の文字数に触れるの、どうでも良すぎてそろそろやめた方が良いかもしれん。笑)

どっちかというとダメダメな経験だったり、自分の根本にある価値観だったりをちりばめてたんですが、

思ってたより共感していただけたり、私の今見えない部分を晒すことで楽しんでいただけたみたいな感じがしてなんだか嬉しいです。

いつもありがとうございます!


今回は、社会人~退職までの6年を書いていこうかな…


と思ってたけど、しんどかった2年間を書いたら8000文字いったので一旦区切ることにしました。笑


正直、ザ☆暗黒時代です。

今までもしんどい時あったけど、人生で断トツに一番キツかった。(2番目は中学1~2年だと思う)

メンタル的には、人生の中で一番底辺のどん底を味わって、生き方を変えた感覚があります。


さて、どこまで晒そうか。


ネガティブ満載なので、そういうのが苦手な方はブラウザバックお願いします。


大丈夫でしょうか?


ではでは、今回もぼちぼち進めていきましょう。


自分を活かせず苦しかった2年間


新卒から2年。
とある福祉施設に勤めます。

私の生き方のターニングポイントになった場所。

20代って個人的には環境が変わりまくったから激動やったけど、その起点を作ったのはここかな、と。


語りましょう。


新社会人!ホッコリ浮かれてた春


職員旅行で北海道行くってなって初めて飛行機に乗る直前。

新卒1年目。

複数の施設を抱える大きな福祉施設だった。

春、一番最初に配属先を命ぜられるわけだ。

何となく子どもがいる施設が良いって担当の人に伝えたような気がするけど、配属先は子どものいるところじゃなかった。

子どもの施設はやっぱり人気らしい。


私が勤める施設には、同期の男子がもう一人配属された。

この時は全っっ然知らなかったんやけど、施設に配属されて勤め始めた時に聞いて目が飛び出るぐらい驚いたのは、


その子も同じ赤穂の大学出身だったってこと。


野球部だったっていうし、当時しっかり大学生活を送って、部活やらサークル活動、大学祭(当日チラッと見に行ったり行かなかったりな4年間)とかに積極的に参加してたなら顔見たことあるぐらいはあったと思うけど、

ほんとに全然かすりもしなかったわ。笑

卒業アルバムで確認したら、たしかにおった。
聞いてビックリ、見てビックリってやつだったな。


しかも、その大学からここの福祉施設にきたのって、当たり前に大学から遠いへんぴな場所やったから、たしか私達だけやったと思う。

正直、当時ちょっとだけ運命感じてたかも。
(ハイ出た!The☆恋愛脳!!笑)

同じ大学の男子と一緒かぁってちょっとウキウキワクワクする春を過ごしてたけど、その浮かれた気持ちは夏入る頃にはすでに沈んでたように思う。


え。結構ここ、雰囲気ピリッとしてない?

って気づいたんよな。


体育会系の施設でピリピリ…厳しい先輩と怖い看護師


権力を握る(?)男性主任と、その近くに同じく権力を握る(?)女性の先輩がいる。

その二人を囲むようにその施設の主たるメンバーがいて、

ちょっと外れたところにネタにされる系の何人か個性的なメンバーがいて、

そして、主たるメンバーからスルーされる人達がいる…

そんな構成だったイメージ。


主たるメンバーのトップの男性主任と女性の先輩はなかなか厳しかったな。

男性主任は雰囲気がもう何だかピリピリっとしてて、思わず姿勢正したくなる感じ。

女性の先輩は、物言いがまず率直でバシバシ強めな言葉を発する感じ。

利用者さんからも恐れられてたな。ダメなものはダメっていって、ガツンと叱る感じっていうか。

姉御なイメージやけど、雰囲気が私にとってはもう結構強くて圧倒されてた。


この施設で生き残るためには、この2人が率いる主たるメンバーの一員にならないと毎日が非常に苦しくなる…そんな印象を受けた。

そんな環境だったから、私も主たるメンバーの一員になれるように頑張ろうとした。

……が、根回しとか立ち回りがめちゃくちゃ下手くそだった。

(調和性6位、全然発揮できず)


一方、同期の男子…H君にしておこっか。

H君は野球部上がりの完璧なタテ社会で生きてきたタイプの男子。

これまた上司や先輩との付き合い方がめちゃくちゃ上手いんだわーーー。


先輩がやりやすいように段取りしておく力、すっごいのよ。

業務だってそう。休憩時間にコーヒーの準備をすることだってそう。

先輩からすんごい良い具合にネタにされて、絡まれて、愛されるスキルが異常に高かった。

あっという間に、H君は「主たるメンバーの一員」になってしまった。

あれはもう、才能だと思うな。


私も私なりに頑張ったよ?

てんこ盛りにされたご飯とかおかずをふぅふぅ言いながら食べたり(おかげで過去最高の体重になってた気がする☆)、

飲み会も、かなりお酒に弱いタイプなのに嫌いなビールをさぶいぼ立てながら懸命に注がれた分しっかり飲んだり(今なら立派なアルハラってやつだ☆)、

盛り上げるために、カラシがいっぱい乗せられた食べ物を食べて、もがいてる姿を見て楽しんでもらったり(ピエロみたいな立ち位置ね☆)、

ガッツリ120%の下ネタを振られても、勢いとノリで対応したり(もちろん好きでやってるわけじゃなく、お酒の勢い借りたりしてかなり頑張ってたよ☆)、

先輩からの教えを、自分には合わないってわかりながらも言われた通りにやるように心がけた(指令性33位は人のこと厳しくズバズバ叱れないんです…)。


でも、やっぱ上手くいかんかったね~。

H君みたいな器用さは全然なかったわ。

たとえば、先輩が動かなくていいような業務の立ち回りをしようとしたけど、私は一つ一つの行動が素早くなくて不器用やったから立ち回れんかったし、

たとえば、たくさんの先輩のコーヒーの好みの具合(砂糖いくつ?とかそういうの)なんて把握できんかったし、そもそも先輩のコーヒーセットに触ることすら怖くてできんかった。


介護の技術もいつも恐々で、なかなか上手くならんかったなぁ…

介護技術だけじゃなく、業務全体的に正直自信もなかったし、何をするにもオドオド恐々してたわ。


なのに。


私は、前回書いた通り、「社会福祉士」っていう国家資格を持ってたんよね。


これが、結構その施設の中で持ってる人が少なくてレアだった。

…ってこともあり、そして私の元気キャラと若さ(?)で、施設の院長に気に入ってもらえたらしく、その施設の一番の花形業務の担当に1年目から就かせてもらうことになった。


いや、別にやりたいって言ったわけじゃなかったんやけど、声かけられた「あ、はい、頑張ります」って言うしかないかなって感じで。


それが、その職場での居心地をすごく悪くした気がするんだ。


特に、一人のお局的な看護師さんからめちゃくちゃ目をつけられるようになった。

「あの子、仕事も何もできないクセに、そんな重大な責任のある業務を任せていいの…!!?」

おそらく、こんな感じに思ったんだろう。

私の知らない所で、院長へ直々に直談判しに行ってそうな勢いがあるぐらい、毛嫌いされてた感ある。

「仕事ができない」は、認める。実際できないって自覚あったから。


でも、そこまで嫌わなくていいやん…て思ったかな。

明らかに自分のことを嫌ってる人を目の前にしたとき、私は全力で萎縮してしまう。

人によっては「怒り」なんかもしれんけど、私は完全に「恐れ」だ。

元々仕事全般に自信がなくてオドオドしてたのに、さらに輪をかけて「萎縮」したらどうなると思う?


はいっ、

もっとオドオドして、恐々になって、ミスが増えて、自信なくして、また看護師さんに白い目で見られて……

の悪☆循☆環☆


看護師から嫌われまくり、職員会議では名指しで叱られる。

毎日の服薬の対応で医務室に入って挨拶しても無視。目も合わせてくれない。

担当の利用者さんの服薬に関して相談したくても、相談させてくれない。


もう、医務室に入る事すら足がすくんで入れない状態になってた。

それでもどうしてもやりとりしなきゃいけないときは、一旦トイレで一泣きしてから挑んだ経験もある。

まぁ、そうやって挑んでも「あなたと話したくありません。別の人呼んで」みたいな感じで目を伏せられて手でシッシッみたいな感じやったけどね。


身近な先輩や同僚に助けられつつギリギリ生き延びる


飲み会も職員旅行も「試練」でしかなかったなぁ。笑

それでも、必ずやらなきゃいけない「看護師との調整」っていう業務。

私が担当していた部屋の利用者さんだったり、施設から社会に出るための訓練をしてる(←この業務の担当になるのが花形っぽかった)利用者さんのことだったりで話す必要があった。

でも、私とは話してくれない。

だから、先輩にお願いするしか方法がなかった。

場合によっては、同僚のH君にお願いすることも。(H君は気に入られてたね、やっぱり)

もちろん、厳しい先輩にお願いすることもあったけど、一番お世話になったのは自分の教育係してくれてた先輩と、H君の教育係してくれてた先輩かな。

めちゃくちゃ親身になって、かなり色んなこと助けてくれて、看護師さんとの懸け橋になってくださったのはもちろん、

この施設での立ち回り方だとか、生き延び方だとかも教えてもらったし、居場所を作ってくれた気がする。

マジでありがたかった。


他にも、優しい上司がいた。

この上司みたいな物腰&雰囲気の人がもう少しいてくれたら、心穏やかに日々過ごせるのになぁって思ったっけ。

日々辛くて、怖くて、免疫が落ちた時(ストレス過多だった?)になるって言われる水疱瘡なんかにもなったりしながら頑張る中で、

こうやって親身になって話してくれて、声かけてくれた人いっぱいいたからこそ、なんとか生き延びれたんだと思う。頑張れたんだと思う。


活かせなかった「自分らしさ」


今思えば、新卒の職場はホントに「自分らしさ」が活かせなかった職場だったなぁと。

私の人となりを知ってくださってる方は「かずみんってどんな人?」ってイメージを聞いたときに思い浮かぶようなもの、表現…

それらのほとんどが仕事に活かせなかった。

(飲み会ぐらいか、ワチャワチャするのが活かせたのは。…ま、結構それらのワチャワチャも無理しまくってたけど)

笑顔だったり、元気なテンションだったり、優しく傾聴する姿勢なんかは担当する利用者さんとかには喜んでもらえたと思う。たぶん。

「里さん(旧姓)は優しいから好き」とか言われてたしな。

ただ、「訓練施設」としての役割を担っている場所でもあったから、できていない部分を指摘して、整えていく必要がある。

もうしないって約束したことを破っちゃったら、必要に応じて叱る必要もある。

(…って思いこんでるけど、ホントに「叱る」って必要なんだろうか?って思ったりもするけどね)

特に、施設から社会に戻る訓練として、自分で服薬管理をしてもらったり、お金を計画的に使えるようになるために自分で買い物に行って食事のこととかもやってもらう必要があったりする中で、

あまりに雑過ぎたらちゃんと指摘しなきゃいけないわけだ。

私は、それが苦手だった。

まず、利用者さんはみんな30~50代とか、みんなかなり年上の立派な大人ってわかってる中で、大学出たての何もわかってない小娘が何言ってんだって自分で思ってるわけよ。


で、何か言うにしても共感性が働くし、「相手に嫌な気分をさせたくない」「笑顔が一番」って思う自分にとって、ネガティブな指摘をするってホントに厳しかった。

私の自然な形で利用者さんと接してたら、「あんたは利用者の話聴きすぎや。あいつらは賢いから、騙されるぞ。舐められるぞ。」って言われたっけ。


他にも、目標志向×達成欲×最上志向が暴走してた感じがある。

仕事が終わらんのよ。マジで。
終わりが見えないの、毎日。

業務が終わった後の事務作業、果てしなかった。

担当の利用者さんがちょっとややこしい状態の時が多くてそれらの調整もあるし、花形業務のこともあるし、

それらの花形業務の成果を年1回施設全体のイベントで発表しなきゃいけなくて、それらのスライドやら原稿やらの準備があったりとかね。


日勤でも気づいたら21時ぐらいになってるなんてザラだったし、夜勤で13時に出勤したと思ったら、翌日職員会議と重なって、

そのあと事務作業とかしてたら「あれ、また夜が来てるぞ」なんてこともあった。

身近な先輩は同じように終わらない仕事でずっと職場にいたけど、トップの上司&先輩なんかは終業の時間と共にサクッと帰っていく。

不思議な感じだったなぁ。


とりあえず仕事人間になってたし、ならざるをえなかったし、脱却する方法が見つからなかった。

家にも「寝に帰るだけ」みたいな生活になってた気がする。


プライベートで人生の底を味わい、転職を決意


ストレスフルで仕事を頑張ってる中、癒しスポットができた。

いつの頃だったか忘れたけど、直属の先輩からの紹介で、お付き合いする人ができたのだ。

2年目の…いつだったか忘れた。
夏ぐらいだったような気がする。
ほんとすっぽりなくなってるな。笑

すんなり付き合って、ふつうに楽しかった。

伊丹、よく車とかバイクで通ってたな。
車で行った日は、車内でめっちゃボカロ聞いてた記憶あるわ。
懐かし。

初めて付き合ってる人と旅行らしい旅行に行ったりして、「社会人になったんだなぁ」って。

かなりマメで繊細なタイプな人で、旅行のしおりを二人で作ったりした。
私は挿し絵担当だった。

ピアノを弾いてて、「もっと上手くなりたい」って言って練習してたり。

一人暮らしで、「丁寧な暮らし」をしてる人だったな。

テフロンじゃなくて、鉄のフライパンを使ってた。

「鉄は洗って水分残ってるとサビちゃうから、水気を飛ばして、油塗っとかないとね」と優しく言う人だった。

洗い物のあと、シンク周りをきちんと丁寧に拭いて、水滴が一滴も残らないぐらいに整えておく人だった。

(私は主婦歴数年目でようやく洗い物の後ざっくり周囲を拭く習慣ついたわ。笑)


マメで、丁寧で、口調がとても優しくて柔らかい。

こういうタイプの人、周囲にいなかった。

もちろんすごく好きだった。


……けど、なぜか。

なんでかわかんないけど、すぐ近くにいるのに、

なんだか心が遠い気がした。

雑で、ざっくりしてて、大体適当な私やけど、そんな「ありのまま自分」が出せなかったからもしれん。

家事のこと、親に任せっきりで料理とかほぼできないし、台所に立つと緊張する自分だったこともあって、

丁寧な暮らしをしてる彼と一緒にいてどこか居心地良くなかったのかも。

彼が背中を向けて座ってて、私が寝転んでて。

何でか寂しくて涙出たときあった。

近くにいるのにね?



でもねー。

これから一緒になれるんじゃないかって思ったのよ。

本気で思ったのよ。

ちょっと不安あったけどさ。
私も不安な部分は補えるように成長するし、一緒に頑張って行こうと思ってたのよ。


でも、ある時、断られた。

ちょっと、色々あってさ。
彼に相談したんよね。

その相談によって、一緒になれるんじゃないかなって思ったんだ。


でも、ダメだった。


「かずみちゃんと一緒に生活していく未来が見えない」

って。


自分の中では数年単位で自己対話を続けてようやく昇華したことやから今となっては納得してるけど、

……うん。この辺は大分しんどいところなんで察してください。


凹んだなぁ。めっちゃ泣いたわ。

何より、自分の不甲斐なさに本気で嫌になった。

今まで何で生活する力身につけてこんかったんやって。


実家にいたって、やろうと思えば家のことできるやろうし、何なら大学時代彼と同棲してたんなら、そういうとこちゃんと磨いて来いよって。

なにやっとんねん、自分。最悪やな。

仕事でボロボロになってた「自信」やけど、この件で完膚なきまでに木っ端微塵になった。

なんなんやろな、自分って。なんで自分、ぬくぬくと生きてるんやろ。

そんなことを思った。


この辺りが、今まで生きてきて過去最大のネガティブの底でした。


仕事で頭いっぱいにして、その瞬間は忘れるように頑張ったけど無理やった。


そして、2010年の年越し。
一人、部屋で誓った。


もう、二度とこんな想いはしたくない。

生き方、変えよう。
「できないから」「苦手だから」「面倒だから」っていって一人で生活する力をつけることを放棄するの、やめよう。

そう思った。


そしたら、ふと、

「仕事、やめよ。別のところで働こう。夜勤のない、日勤だけのところで働いて、一人でも生きていける力付けよう」

という考えが舞い降りた。


だから、年明けの1月中旬~下旬ぐらいに、「3月で仕事辞めたいです」と申し出た。


ビックリされたし、理由は確実に看護師からのいじめみたいな対応がキツいから辞めるんだろうって思われてたと思う。

引き留めてくれたり、
「実は今年度末であの看護師さん退職されるよ」っていう極秘情報教えてもらったり、
「別の施設に異動って形でもいいねんで」って言ってくれたり。


たぶん、このプライベートの件がなければ、辞めなかったと思う。

ありがたいなぁと思いながら、時にはちょっと涙しながら、感謝を伝えて辞表を出した。


すると、そんなに経たないうちにどこからか漏れたのか、「辞めるらしい」っていう噂が流れた。

「やめるん!?」って言われて、いつものようにへらへらっと笑いながら応えた。

色々、疲れてた。


そんなある日。

突然、心が粉々に砕け散ってる私を全力で丸ごと肯定してくれる人が現れた。


え、何…??

予想外過ぎて、めちゃくちゃ動揺した。


けど、誰にも言えない真っ暗な闇で覆われて弱りまくってた私は、その温かすぎる言葉や包容力を拒めなかった。


全部話した。

自分の車の助手席にその人を乗せて、ボロ泣きで語ったなぁ。

「大丈夫。ありのままのそのままのあなたが完璧で、一番素敵」って言ってもらえた。

全部受け止めてくれた。


その人の存在は、どん底の私にとって光でしかなかった。

べこべこに凹んだメンタルが早めに回復できたのも、間違いなくその人のおかげだった。


3月。

久々に会って桜でも見に行かない?

と、色々あった彼からお誘いがあった。


恩人に相談すると、「絶対別れた方が良い」って言われた。
(ギリギリ別れてはなかったんよね。てか、めっちゃ恩人に依存してたな、私。苦笑)

ただ、すごく好きな人だったし、間違いなくお世話になったから、直接さよならを言おうと思った。


行ったことない場所に連れて行ってもらって、満開の桜を楽しかったあの頃みたいに満喫して。


帰り際に、「また前みたいに泊まりに来てもいいんやで?」って言われたけど、「友達に戻りたいです」って言って、納得してもらって、車から降りた。

もともと友達でもなかったから、それから連絡が来ることなんてなかったけど。


そんな春を過ごして、3月31日に2年間務めた職場を離れた。



ちなみに、愛だの恋だのに関連した(?)、当時の施設で勤めてる時のちょっとした余談。

1年目。

別の施設にいる同期の子と施設合同での飲み会か何かで知り合って、

趣味の卓球が共通してて、頻繁に職場から近い体育館へ私の車に乗ってもらって一緒に卓球しに行ったり遊びに行ってた子がいた。

クリスマスあたりの日に一緒に過ごして、プレゼントももらって、その流れで告白されて…

ごめんなさいしたのは本当にごめん。

クリスマスはその気ない人と過ごすとダメなんだって後で誰かから教えてもらって、めっちゃ反省した。


私の中で「友人」と「恋愛モードにすぐに切り替わる人」の差って何なのか自分でもよくわかんないんだよな。めっちゃ不思議。


…最後のいらんかったかも?笑

まぁいっか。


というわけでしんどかった2年間をツラツラと書かせていただきました。

当時から数年は引きずるぐらいしんどかった経験やけど、それがあったからこそ今の自分があるなって本気で思えるようになった。

今しんどいことがある人。

過去にしんどいことがあってどうにもこうにも動けんって人。

大丈夫です。

生々しい傷が少し塞がってきたら、少しだけ自分の心の様子を伺いながら振り返ってみて、その経験からポジティブな見方を考えてみるのも一つの手。


事実は変えられないけど、解釈はいくらでも変えられるから。


大丈夫。

絶対、大丈夫。


次は一転してポジティブ体験多めな転職後の4年後を語る予定。


今回も、最後までお読みいただきありがとうございました!

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