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ひまわりの墓


種まきの春

「こんな狭いところにたくさん植えちゃって、大丈夫かな。」
「大丈夫、ひまわりは強いから。」

19歳の春、こんな会話をしながら、私は母とひまわりの種を蒔いた。場所は、家の庭ともいえない、小さな土のスペース。元々は百日紅の木が生えていて、毎年夏に紫色の綺麗な花を咲かせていたが、ついに木を切ってしまい、寂しくなっていた。そこで、私の好きなひまわりをたくさん植えてみようと思い、種を買いに走ったのだった。

ひまわりたちはやがて芽が生え、すくすくと育っていった。大きな緑のジョウロを買ってもらい、私は毎日欠かさずに水やりをした。何も心配事なく育ち、あっという間に私の背丈を超えて伸びていった。丸く小さな握り拳のようなつぼみを見つけては、心躍らせた。

満開の初夏

最初の花が咲いたのは、6月の下旬と意外と早かった。その日は私の運転免許の卒業検定の日だったのでよく覚えている。たかが免許だが、センスのない私は苦戦していたので、その日の朝にひまわりが咲いたのが偶然に感じられず、自分を応援してくれているように感じて嬉しかった。

続々と咲いていくひまわりたちの美しい様子に、私は毎朝見とれて大学に行った。一つ一つの花が愛おしく、習いたてのフランス語を使って名前をつけてみたりなんて、自惚れたこともしていた。大学という自由な空間、毎日の服のおしゃれ、初めてのメイクに初めての彼氏。大学1年生の春学期は華やかな毎日で、ひまわりの美しさも、自分の幸せも当たり前で、ずっと続くと思っていた。

そして夏

春学期が終わり、遅めの夏休みに入った頃、私はおかしくなっていった。

幸せな環境に変わりはなかった。しかし、難しい期末試験や苦手なフランス語会話、自分とは違って夏休み様々なことに積極的に取り組む学友の様子など、いろいろなことに直面して、徐々に自信がなくなっていった。
大学やサークルの人とは仲が良いとはいっても出会って数ヶ月、見栄を張るのが大学の華やかな世界の裏側で、その中で私は誰も、彼氏さえも信頼できなくなっていった。

崩れていく私とは裏腹に、ひまわりは相変わらず綺麗な花を咲かせ続けた。なんだかんだ8月くらいまでは咲いていたのではないだろうか。その数ヶ月間、ひまわりたちを見る私の目はだんだん虚ろになっていった。初めは輝く黄金のような色に見えた黄色の花びらも、8月ごろの私には毒々しく見えた。

だんだんと私は家のひまわりを見なくなった。そして新宿の精神科に通い始めた。

8月のある日のこと、外出から戻った際に、なんとなく気が向いて、ふらっとひまわりを見にいった。すると、大きな花たちの隅に、その半分の大きさにも満たない、小さな花があった。ひまわりに違いはないが、見た目はそれとは程遠く、小菊のような花だった。それは、芽が育ち始めた当初から細く、ヨレヨレで真っ直ぐにもならず、これはもうダメだねと母と話していたものだった。まさか花を咲かせるとは思わなかった。

多くの人はこのような状況で、この小さな花に勇気をもらったり、励まされたと思うのだろう。
しかし私はその頃すでに心を病んでいて、小さな花を見つめる目も虚ろだった。
(なんで咲いたんだろう。必要とされていない私が生きているのと、まるで一緒だ)
そんなことを考えながら、私は庭を去った。

別れの秋とそれから

すっかりひまわりが咲き終わり種が実った秋、母親に一緒に種を取ろうと誘われた。しかし私はあまり気が乗らなかった。もうひまわりは植えないと決めていたからだ。あの陰鬱とした残暑を思い出すから。母は寂しそうに一人で種を袋に詰めていた。しかしそれも結局次の春に植えることはなく、種は捨ててしまった。

ひまわりのブーケ

それから2年ほど経った、21歳の春。
私はうつ病による入院を経て、薬でなんとか生きながらえていた。というのも、死にたくなる頻度はだんだん増えていた。この希死念慮は自分でも抑えられず、踏切や駅のホームにふらっと行っては泣きながら帰るなどという奇行に走る日が続いた。

そんな中、お見舞いにと、母親の友人からブーケをもらった。私がひまわりが好きなのを母が教えていたのか、小さなひまわりのブーケ(ヘッダー画像)だった。綺麗な包装と、相変わらず毒々しい黄色い花を見つめながら、私はあの夏を思い出していた。

贈るなら愛をこめて

ブーケをくれた母の友人。私とは面識もない。どうしてそんな人に?私は不思議だった。毎日死にたい私が客観的に見てカワイソウだからだろうか。

「Smiちゃんに、生きてほしい」

InstagramのDMでそんなメッセージをくれた人が何人かいた。そう、私をそれなりに想ってくれる人は何人もいた。嬉しい気がするのに、嬉しくない。なぜ?

私の人間不信は、相手が悪いはずがなかった。周りは親切な人ばかりだ。でも信じられない。いつか信じられるようになるだろうか。

あの人ならきっと、私の墓にひまわりを持ってきてくれると。

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