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地方の塾講師が考える地方出身の東大生が少ない理由【リアリティ、環境、地域性、そしてメンタリティー】

地方出身の東大生が少ないことは、昨今よく指摘されています。
それはいろんな要素から成り立つと思っています。

今回は、この点について、地方の塾講師の視点から考えをまとめてみました。

まずは、こちらのデータから。

少し古いのかもしれませんが、このデータとても興味深い。
地方の塾講師の「実感」とマッチしているからです。

私が考える地方出身の東大生が少ない最大の理由は、

そもそも東大を志望していない

だと思っています。

受からないと思っていることもありますが、それ以上に東大という存在がリアルなものと捉えていない。

早慶はターゲットになっている受験生は地方でもそれなりいますが、それは私立はお金と日程が許す限り何校でも受験ができるからであって、実質一発勝負になりつつある国公立大の受験の場合、安全志向になるのは当然のことです。

最も受かりにくい大学である東大を目指すというのは、まずはリスクが前面に出てきます。

そんな日本で最大のリスクのある大学を第一志望とする必然性が多くの地方受験生にはない。東大がリスクを負ってでもぜひ行きたい大学として、リアルを感じることができる受験生が地方には圧倒的に少ないという点は無視できないと思います。

西の方からみれば、九大でも阪大でも京大でも十分満足のいく受験生は多い。東大でないといけない理由は地方の受験生は乏しいと言えます。

次に受験生の志望校決定要因として大きいと思うのが、周囲の環境です。

福岡市の公立御三家(福岡、筑紫丘、修猷館)の生徒さんは、みなさん口をそろえて、「九大に行きたい」という。
そこで感じるのは、周囲の影響を結構受けているということです。

つまり、人間は自分の志望校決定という人生がかかっているような重要な選択であっても、実は案外周囲に流されていることが多い。
それは、大学受験であっても、就活であっても、婚活であっても、似たような傾向がある。環境は、個人の意思決定に大きな影響を与えます。
それが構造的な要因を生み出し、↓のような現象を生み出すのかなと思います。

恐らく国民性によるもので、それが文化や風習を生み出し、山本七平のいう「空気」の製造装置が社会にビルトインされている。その結果、周囲に流されて意思決定をしていることが多いのではと思っています。

開成や麻布、筑駒の超絶優秀な生徒さんも、周囲がみんな東大に行くので、自分も・・・となっている点は見逃せないと思っています。

最後に、大学選びというのは基本ローカルな問題であるという点もあると思っています。

どの大学もそうですが、在籍学生の最大のボリュームゾーンは地元出身の学生です。
これは合理的な側面を持ちます。
地元にシンボリックな大学があれば、地元の人はそこにあこがれを持ち、志望校となるのは当然のことです。
自宅から通える大学ならば、経済的問題も要因に入ります。

東京の方にとって、それが東大であるので、東大を目指す受験生は必然的に東京、首都圏の方が最大のボリュームゾーンとなる。

ただ、東大は日本全体でみてもシンボリックな大学であるので、「地方の受験生も東大を目指しても不思議でない」という視点が生まれるわけですが、地方の受験生は、東京の人の「当たり前」のようには、東大を志望しない。物理法則と同じく、東京から遠くなるとその吸引力は弱くなります。

東大の「東京ローカル要素」は結構大きいと思っています。

これに時代性を加味すると違った面も見えてきます。小林よしのりさんの『東大一直線』や、江川達也さんの『東京大学物語』で登場するキャラクターのメンタリティーを持つ高校生は激減していると感じます。

あと、『ドラゴン桜』のようなノウハウ的な本が出ても、その思考が一般化しなかったことも大きいなと思います。
それは、多くの受験生は東大をリアルなものとしてとらえていないからでしょう。
誰もが東大をヒエラルキーの頂点とした、同一価値観の競争に参加しているわけではないのは間違いないと思います。

私は、当たり前の結論として、東大は東大を目指す人たちの間での勝負であると思っています。
地方にはその勝負に参加している人がほとんどいない。

それは、東大が普遍的で絶対的な価値を持つ大学という点は揺らいでいるということかもしれません。

優秀な人が集う点には変化はないものの、東大に行けなかった人が敗者という世界観はすでに過去のものでもあるとも思っています。


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