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身体表現について

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踊りについて
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感性の人、知性の人

感性の人、知性の人

感覚と知識の釣り合い人は自分が見えないものだ。私も同じ。頭でっかちとか夢見る夢子ちゃんとかいう言葉があるの知ってる?私はどちらかと言うと、夢子ちゃんだと思うけど、そうは見えてないらしい。

言葉の人だとシンガーに言われた。まぁ、blogやnoteは書くの好きだけどね。人を惹きつける工夫とか考えなしに書いてるし意外だった。

そもそも、私は言葉では言い表せないから踊っているし、言葉はコミュニケーショ

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その場所で踊る意味

その場所で踊る意味

最近の踊った場について考える5月に入ってから福祉施設の中庭で踊る機会をいただいた。入所者は大人というか、かなり年配の方も多い。一生をここで過ごしていくが、自分の出来ることは自分でやるという方針なので、とても穏やかで人間らしい生き方をしているし、会話もある程度は成り立つ。

外出出来ない彼らにとって、私たちは友好的な異邦人であり、布や楽器をたくさん持って行ったので創造性を刺激出来たのではないかと思う

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存在と影響

存在と影響

いるだけで影響を与えている自分なんて居なくてもいいんじゃないか?
こう思うことは人生の中で多少なりともあるだろう。

そうでなくても、広大な宇宙の中の地球史のほんの一瞬。瞬きみたいな一生である。

それでもこの世に生まれ出でれば縁が出来、繋がり、影響を与え合うのだと気づく。

出来れば踊りで伝えたい、もしくはその生きてる姿で、背中を見せて伝えたい。

何を伝えたいかというと、人はちっぽけな儚い存在

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風薫る季節

風薫る季節

お茶摘みの季節5月。暑すぎ。屋外パフォーマンスって私としては日焼けと熱中症対策が一番心配。脳がやられるとまともな表現ではなくなるからね。後悔するような踊りはしたくない。

今月、3回本番がある。自然な中での布を使ったコンテンポラリーダンスは福祉施設のクローズド。どんなことに興味を持ってもらえるだろう。何が苦手なんだろう。

もう一つの屋外は物語に沿った現代舞踊。これは土の上。野っ原の中。蛇神の化身

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踊る体と生活する体の間にあるもの

踊る体と生活する体の間にあるもの

踊りの変化について現代舞踊で育ってきたので基本はクラシックバレエである。クラシックバレエの基礎を学び体得しつつ、日本人の体の表現として現代舞踊をやるのだと教育されてきた。

歴史が一番あり、基礎レッスンが確立されているクラシックバレエで体を作った上で表現のための使い方をするのだと言われてきた。

確かに軸を知り体幹を感じるのに、クラシックバレエの基礎レッスンは手っ取り早い。200年の歴史をかけて培

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新しい一年が始まっています

新しい一年が始まっています

合唱団の振り付け昨日合唱団の振り付けが無事に終わりました。振り付け時間は一曲につき40分くらいしか時間がないので、当日を迎えるまでは緊張します。難し過ぎないか、簡単過ぎないか、つまらないと思われないか、歌に合わないのではないか、考え始めるとキリがありません。

当日になってしまえば、楽しくみんな笑顔で無事に終わるんですけどね。帰ると緊張疲れで寝込んでしまいます。

この疲れ方は会社経営の初めの頃と

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嫉妬する?しない?

嫉妬する?しない?

クリエートの冬まつり今日はクリエート浜松で「クリエートの冬まつり」に参加しました。
はままつ・つながり・アート、という自分の任意団体を作って活動しており、仲間達と出演したんです。
といってもジャンルばらばらが信条なので、まとまりはなく、あえて言うならそれぞれマイウェイで自立しているのが共通項です。

中国舞踊と琵琶のユニットが一つ。
音と体のセッションが一つ。

私はセッションに参加しました。

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駒屋・三ツ田屋アートプロジェクトが終わって思うこと

駒屋・三ツ田屋アートプロジェクトが終わって思うこと

今日無事に終わりました!人に恵まれ、場に恵まれていることをしみじみ感じたプロジェクトでした。二週土日四日間、7か所のセッションと2回の公演をしました。全て即興セッションでうち5回は無音です。貴重な初体験でした。

パフォーマーとコラボするのも実は初めてです。舞踏と現代舞踊、対比が逆に良かったと感じています。
衣装も少しずつ変えて、パフォーマンスも変えていろいろ試すことが出来ました。

当たり前です

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踊りたいから踊る

踊りたいから踊る

駒屋・三ツ田屋アートプロジェクト前半終了先週土曜日から二日間、二川の駒屋と三ツ田屋でアートプロジェクトに参加していました。

曲ナシ、始まりも終わりも阿吽の呼吸、打ち合わせナシ、正真正銘の一期一会で自分に向き合い、世界と向き合う機会になりました。

自分の底の浅さや表現の貧弱さをヒシヒシと感じながら、こんな環境に恵まれ、人に恵まれている人生の嬉しさではち切れそうでした。

技量が足りなかろうが、才

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浜松Open Art終了

浜松Open Art終了

浜松Open Artの雑感浜松Open Artは実は今回2回目の参加です。なので、大して知りもしないのに何がわかるのかと言われそうですが、感想を残しておくことにします。

先ずは自分のパフォーマンス。チャレンジしたいことは三つありました。

ゆりの木通りにある江間ふとん店を余すことなく踊ること。具体的には階段で踊ること、空中廊下で踊ること。

相方の打楽器奏者をこのプロジェクトに巻き込むこと。

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エンタメと芸術と表現

エンタメと芸術と表現

区別がありそうでない、正解がありそうでない最近はリハーサルと打ち合わせが続いていて、表現ってなんだろう、芸術ってなんだろう、エンタメは?と考える日々です。

世間一般の定義に引きづられることはないんだけど、共演者も様々な定義を持っているから確認しながら接点を作っていってるんですよね。

エンターテイメントとの関係エンターテイメントは自分が興味ないので寄るつもりはないんですが、だからと言って観る人が

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自分を知るのは痛いことかもしれないと気づいた

自分を知るのは痛いことかもしれないと気づいた

表現活動をしていると自分を知りたくなってくる生涯踊り続けるのはいいとして、何をもってそういうのかは常に自問自答しているし、答えは変遷するものだと思っている。

楽しくステップを踏んでいたいのか、仲間と踊っていたいのか、ストーリーの中で演じたいのか。美しく舞いたいのか。

仕事で踊るときは相手に集中しているのでかえって楽実は仕事で踊るときは相手の世界観に捧げているからとても気が楽なのだ。哲学的なこと

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気持ち先行で壊れやすい人間という生きもの

気持ち先行で壊れやすい人間という生きもの

表現を学ぼうと山と海に行ったらダウンしたこの土日は何も予定がなかった。家の中掃除して、体作りして表現のプラスになることをしようと急に張り切りだした。

先ず土曜日は海へ行って波を眺めること2時間。砂浜で跳ねたり、波打ち際ではしゃいだり。真昼間にいたので軽く熱中症になりダウン。三年前に肉離れしたふくらはぎの痛さがヤバい。筋肉痛ならいいんですけど。

日曜日は早くに起きてしまい、家事も終わってしまった

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理想を追究すると上手くなろうではなく如何に自己を無くせるかになってくる

理想を追究すると上手くなろうではなく如何に自己を無くせるかになってくる

踊りが上手くなりたいの意味が周りと違っていたずっと踊りが上手くなりたいと思っていました。それはセンターを取るとか、技術が上達することではなくて人の感情や思いと共振したいという意味です。

さらに欲を言えば具体的なストーリーや演技ではなくて抽象化された動きや存在として在りたいと思っています。日頃の鍛錬はそこに遺憾無く集中出来るための身体作りという位置付けになります。

理想を追究すると身体のみならず

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