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閻魔様と因果律

叡智があるから書くのだろうか?
それとも
書くことで叡智が生まれるのだろうか?

書くことは生きることである
だからこうも言える

叡智があるから生きるのだろうか?
それとも
生きるから叡智が生まれるのだろうか?


「閻魔様と因果律」

書くことで叡智を生み出す人は
その存在を問われます
全てをさらけ出して
自分の手持ちのカードを全てオープンにして
閻魔様に裁かれるのです

叡智が先行して、それを書き写す人は
存在を問われません
なぜならば
その存在は叡智の持ち主にあるからです
当然、閻魔様も
そういう人には関心がありません

彼らは浮遊するか
もう一度人生をやり直すか
行き場に困ります

因果律を持つ人は
叡智が先行しないと書きません
叡智がなければ
書かない、書けない、書く気がない
書いたとしても書いているフリをしているだけ
つまり、書くことで叡智が生まれることを
知らない、知ることができない

教祖と信者の関係に似ています
信者は教祖という先行した叡智があって書ける
しかし自分から書くことはない

教祖は自ら書く、というか自ら発言する
そうやって叡智を生み出す
なぜなら自分より先行する叡智があるならば
その人は教祖ではなく信者であるからだ

因果律を捨てた人は
書くことで叡智を生み出そうとします
叡智を生み出せない人もいますが
そういう人も含めて閻魔様は話を聞いてくれます
どういう人生だったか
どのようにして叡智を生み出そうとしたのか

書かれた叡智に価値がある訳では無い
なぜならその叡智は神様も閻魔様も
知っているからだ
人間が叡智を生み出すことに価値がある。
そのための人生である

だから因果律を持って書く人に
閻魔様は興味がないのだ



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