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紫陽花は開花までの変化が楽しい。最近はエッセイを書くのに力尽きて、紫陽花ばかりを撮影している。 物言わぬ花がより美しく見えるのはなぜだろう。 言葉のない世界に浸っていると心に張り付いたかさぶたがポロポロと落ちていく。 しばらくすればまた何か書き出すだろう。
上野公園の東照宮の鳥居の前に咲いてる紫陽花。 ここは数は少ないが種類が豊富。 植物園もそうだが、庭師の気持ちが伝わる場所がある。花を選んで剪定し、人間が望む自然を作り出す。 永遠のテーマではあるが、庭師は科学と自然の境界線を引く仕事なのだ。どこまでが自然で、どこまでが科学なのか? ラインホルト・ニーバーの願いを庭師はどう実現しているのかを見るのも楽しい。
梅雨入り間近のときに、ひとり元気なあじさい。 なんか楽しそう。
紫陽花は咲き始めが面白いことに気が付いた。道行く人はまだ誰も関心がないようだ。梅雨入り前、咲き始めの紫陽花にひとりほくそ笑む。
「絶対はある」と言った人が落ちぶれて行くのを何度も見た。 言論上、振り上げた拳は降ろせないのだろう。 つまり、経験的には「絶対はない」と感じている。 しかし、「絶対はない」という言葉は成立しない。 「〜はない」というのが絶対を前提としているからだ。 言葉はどうしようもなく不完全だ。 絶対はないと言うそばから絶対を宣言している。 付き合いきれない。 会議の場では「絶対はある」側が常に優勢だ。 「絶対はない」側は相対化されて埋もれていく。 挙句の果てに反対する
夜の銀座。ラコステ前を通り過ぎる人々。 ラコステの照明に浮かび上がる影絵のような横顔にそれぞれの人生が滲み出る。 まあ、みんな色々とあるんだよなって思えるだけで自分もまた前に進めるような気がする。
東京駅前のキッテ屋上から見える、星の消えた大都会の映像をバックに「天」とは?のエッセイを重ねました。定番の人工音声によってドキュメンタリー風にしてみました。次々と通過していくJRの列車、ビルのエレベーターも上下に忙しく動いていている。 「天」とは?なんて考えている暇人はいない。
毎年梅雨時はあえて紫陽花を追っかけてます。 梅雨時は紫陽花のためにあると思えば、ジメジメも少しは許せる。まあしょうがないか、紫陽花咲いてるし、、、。
梅雨時のジメジメした日々が憂鬱な気分を作り出す。 天気は気分と深く関係している。 さしたる理由もなく、天気が変わるように気分が落ち込んだ時。 天気予報を見れば明日は晴れると予報があった。 私は落ち着いて、そのまま落ち込んでいようと思った。
動物によって可視光線は違う。昆虫、犬や猫、鳥、人間によって見える世界は違うのだ。白くて地味な伊勢菊(古典菊の一種)に画像処理を施し可視光線の領域を増やしてみた。おそらく画像処理では存在する色を増強しているので、無い色は出てこないのではないか。人間が視覚の限界を突破した時に見える可視世界の伊勢菊を見て欲しい。伊勢菊のポテンシャルに驚いた。
4つの呪文を唱える。 1.無時間 2.無計画 3.無目的 4.無思考 無時間とは? 時間は決め事に過ぎない。我々はいつの間にか時間という概念を埋め込まれている。 しかし時間の概念のお陰でJRは非常に便利な交通システムとして世の中の役に立っている。 つまり時間は便利な道具と言えるのだ。 時間は社会を回す為の、社会人としての決め事に過ぎない。 自分が社会人でなくていい時は、本当にクソどうでもいいこと。 社会人である前に、一人の人間である。 この事実は翻ることは
父の遺骨を九州の故郷に届けたあと、少し旅行をして夜の羽田に帰ってきた。その時の心境をエッセイにして映像とBGMを重ねて見ました。
上野公園の東京文化会館とパンダ橋の間にクスノキの老木がある。腰の曲がったお爺ちゃんみたいな老木で、二本の足で一生懸命に踏ん張りながら立っている。ふと気になって、その木の中を覗いてみた。そこにあったのは静寂であり、あるべきだった地球の姿があった。この中で座禅を組み、瞑想すれば宇宙と通信できそうな気がする。リスやキツツキは木の中で夜空を見上げ、何を思うのだろう。