「感染者=少、病床=多の日本で医療逼迫するのはおかしい。コロナ患者を受け入れる民間病院が少ないのは怠慢。医師会の利権。最大の戦犯は医師会」という主張は正しいのか?

事実「感染者=少、病床=多」と疑問「なんで、医療逼迫するの?」

日本のコロナ感染確認者数は、海外(欧米・南米)と比べて一桁少ないです。その一方で、病床数は世界一とも言われています。

この事実から以下の疑問が浮かびます。

なんで感染者=少、病床=多で、医療逼迫するのか?

そして、疑問への回答として、以下があげられます。

民間の病院が受け入れないから

ここまでは事実と言ってよいでしょう。

この後の解釈がちょっと歪んできている印象です。具体的には以下のようなものです。

受け入れないのは民間の病院の怠慢!
医師としての義務を果たしていない!
何か利権があるに違いない!医師会こそ本当の敵!

さて、この解釈(怠慢、利権)は正しいのでしょうか?

結論からいうと、No(間違っている)と思います。

コロナ患者を受け入れるのに必要なものは病床だけではない

まず、感染症の患者を受け入れるために必要なのは「病床」だけでしょうか?

もちろんそんなことはありません。

患者の症状(重篤、重症、中等症)に応じた器材・設備が必要です。
さらに、それらの操作やモニタリングに習熟した医療技術者が必要です。

器材・設備の調達は資金さえあればなんとかなりますが、医療技術者の確保はそうはいきません。専門家は「モノ」とは違って急に増産できるようなものではないからです。(モノの増産を軽視しているのでなく、専門技術者の調達よりは簡単という意味です)

さらに、コロナ以外の患者にも対応しているので、コロナ患者(とそれを担当するスタッフ)とコロナ以外の患者・スタッフのスペース・動線を分離する必要があります。首都圏は土地が高くどこも「狭小」です。そんなことが可能でしょうか?

無理です。

コロナ治療は赤字

有名なインターパーク倉持呼吸器内科のように新規にプレハブで仮設病床を新設して治療にあたっているところもあります。これは氏の経営する病院が土地の安い・余っている地方(栃木県宇都宮)にあるからできることです。

そのような有利な条件下でもコロナ患者治療は赤字ということです。要するに倉持仁医師の使命感・気概があって成り立っているのです。

倉持先生の取り組みは、素晴らしいことですが、これを首都圏(東京23区と隣接する都市)の全ての病院経営者に期待するのは酷です。

このような現実があることを考えずに「民間病院の怠慢。受け入れろ」と言っても無理です。民間病院が受入をしぶるのは怠慢ではなく、やむをえない。と言わざるを得ないのです。

有効な対策は、病床の集約化・専門化

それでは突破口はないでしょうか?あります。有効な対策は「病床の集約化・専門化」です。

IT業界でも、ここ15年でサーバ集約→クラウドという劇的なパラダイム変化があり、これにより効率の劇的な向上(コスパ改善)が達成されました。これと同じことが有効です。

集約化・専門家を妨げる「一国一城の主」という誇り

ここで新たな問題が浮かび上がります。

病院経営している医師は、「一国一城の主」です。ここ大事です。

そういう人たちが「集約したほうが効率的なので集約します。そこで働いてください。そこのルールに従ってください。」と言われて、YESと言うと思いますか?

集約化・専門家することで効率があがることなんて、経済の初歩の初歩です。誰だって知っています。

漁業も同じです。北欧の大規模漁業が儲かることは漁業者なら誰でも知っていますが日本では一向にすすみません。それはこの「(小さいながらも)一国一城の主の矜持・誇り」があるからです。

危機が顕在化してから、慌ててはじめたってどだい無理なのです。

付録

ちなみに、東京都は、病床集約化・コロナ専門化という妙手を打っていますが、それはご存知だったでしょうか?
このあたりが今次の危機でおいて実現可能な「集約化・専門化」の限界ではないでしょうか。(倉持先生方式~仮設病床~ならもっとできそうに思いますが)




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