大阪の医療崩壊を見て感じること/芸人が政治を語ることの是非/エンターテイメントとリアルの違い

芸人さんは頭が良いと思う。奇抜な発想で笑わせてくれる。「平凡」な事でもひねったり・膨らまして笑わせてくれる。大げさなリアクションで笑わせてくれる。

逆にデータや事実を元に解釈や感情をまじえずに素直に思考(=論理的・科学的思考)するのは向いてないのではないか。このような思考はある種「平凡」なので、芸人の思考・行動様式とは対極にあると思う。

エンターテイメントやフィクションなら「お好きにどうぞ」である。

だが、政治やコロナ対策は「リアル」「ノン・フィクション」である。権力者の失敗によって文字通り「生活に困窮」「死ぬ」人がいる。

もちろん「芸人が政治を語るな」とは言わない。「政治」はこの国に暮らす全ての人が利害関係者だ。発言する権利がある。

とはいえ政治を語る時に「これは、エンターテイメント・フィクションではない」ということは心して欲しい。ひねる必要はないし、データ・事実に基づいて素直に思考・評論して欲しい。あなた達は頭がいいのだからできるはずだ。

大阪の医療崩壊によって自宅放置されて「死」ぬ人が続出している。遺族や医療従事者の無念はどれほどのものか。想像できないだろうか?

この事態は、吉村府知事や維新の身勝手でやってる感だけの言動から危惧されていたことだ。

政治家は強大な「権限」を持っている。権限と責任は表裏一体。「頑張ってるから感謝!」なんて眠たいことを言っている場合ではない。そもそも「結果責任」は維新自身が強調してきたことだ。(安倍前首相も好んで使っていたが、コロナ禍では『責任はとればよいものではない』と言い放った。)

在阪メディアでは、毎日のように府知事を吉本芸人が「よいしょ」していると聞く。現実を直視して、事実やデータを元に素直に思考・発言してもらいたい。

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