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幸せとは、明日したいと思うことができること

幸せとは、明日したいと思えることができることなのだと思う。

今日という日に、やりたいと思ったことをやりきって、明日、やりたいと思えることを考えながら眠りにつくことができれば、人は幸せを感じることができる。

そうやって、自分がやってみたいことに挑戦しながら日々を過ごせることが幸せなのだと思う。

人は、やりたいと思うことができないと満足感を得ることができない。

やりたいと思うことに挑戦できないと、生きているという実感を得ることができなくなる。

すると、何のために生きているのか分からなくなってしまう。

人は、何かに夢中になっていると喜びを感じるものだし、自分のしたいと思うことを選択できることに自由を感じるようになる。

そうやって喜びと自由を感じることができると、生きているという実感を得られるようになる。

生きることと生き長らえることは異なる。

生き長らえることは、やりたいことをせずに我慢して生きることでもある。

生き長らえることから、生きているという実感を得ることは難しい。

今の社会の在り方には、哲学が存在ないのかもしれない。

生きるとは何かといった哲学を育むことのない社会であるから、今は生き長らえるための社会を創られてしまっているのかもしれない。

戦後のGHQの方針によって、日本人がそれまで持っていた哲学を日本は奪われてしまったのだと思う。

それまで持っていた日本人の精神性に、GHQは大きくメスを入れた。

そうやって日本人に哲学を持てなくすることで、日本という国が弱体化させされてしまっている。

生き方についての教育を我々はほとんどされる事がない。

彼らが、我々に生きる目的を思考させないようにすることで、日本をアメリカのグローバリズム主義者の属国にさせられてしまったといっていいだろう。

今はGHQはなくなっているけれど、同じ思想を持った組織は存在しているし、日本を脆弱にしようとする働きは連綿と続いている。

だから、実情で日本はずっと不利な立場に立たされ続けている。

今の日本の自民党には自由も民主の精神も存在していない。

なぜなら哲学を持っている政治家は必ずスキャンダルを起こされるから、哲学のある政治家は存在していないのだ。

だから、今の政府は、ただアメリカのグローバリズムの支配主義に従っているだけといっていい。

グロバーリズムというと聞こえがいいが、今のグローバリズムは権力者の都合のよくなる主義である。

真のグローバリズムであるならば、戦争を起こすのではなく仲裁に入るはずである。

今のグローバリズムは、シオニズムでしかない。

では、そういった今の日本の立場からどうすれば脱却できるようになるのか。

我々が本来持っているはずの主権をどのようにすれば回復できるようになっていくのか。

そのためには、まず個々が生きるとは何かといった哲学を持つところから始めるしかないのかもしれない。

政府に意志がないのであれば、我々個人が各々で哲学を持つほかないだろう。

生きるとは何かという哲学を一人ひとりが持って、生き長らえるのではなく、生きるための選択ができるようにするべきなのだろう。

どんな哲学を持つかは、一人ひとり異なっていい。

でも、その哲学は生き長らえるための哲学ではなく、生きるための哲学でなければならない。

その一つの例として、生きるためにやりたいことを我慢するのではなく、生きるためにやりたいと思うことができるようになる、そういった考えを持ってみてもいいかもしれない。

我慢させられるということは支配されているということであり、我慢せずに生きられるようになったとき自由を得ることができる。

システムとして支配されているということに気づいて、それを超えていくことで、本来、人として持っている自由を得ることができるようになる。

そういった哲学をひとり一人が持てるようになるだけで、社会の在り方が変わっていく。

哲学、つまり、意志を持つことで行動を変えることができる。

とある人達によって作られた今の社会の集合意識に合わせ生きていては、人類が進化することはない。

一部の人が得をする社会は、真っ当な社会とはいえない。

現在、この世界の多くの人が、お金というシステムによって意識に蓋をされている。

お金というシステムが、我々の精神に歪みを生じさせている。

この蓋をどうやって取り除くかということが、我々に課せられた課題のひとつといってもいい。

ただ、こういったことも「生きるとは何か」といった哲学を持つことで超えていけるようになる。

今、この世界で起きている現象は、すべて必然のことである。

今、世の中で起こっていることは、我々に対して目覚めて生きなさいというメッセージと捉えることもできる。

我々が目覚めていかない限り、これから先もますます搾取されて生きることになる。

個人が目覚めることこそ、社会を変える力となる。

敢えて現状を好意的に捉えるなら、我々を目覚めさせるために、彼らは我々を追い込んでいるのかもしれない。

いずれにせよ、我々が目覚めて生きることができたとき、新しい社会の在り方の形を生み出すことができるようになるだろう。

これからの進化の鍵を我々が持っている。

我々には、そういった役割がある。

目覚めるとは、自分を主体として生きること。

我慢して生きるということは、主体を他者に明け渡すということである。

だからこそ、「生きるとは何か」という哲学を各自が生み出さなければならない。

とはいえ、幸いなことに「生きるとは何か」を探求することは、楽しいことでもある。

僕は、こういったことをnoteでおよそ1年半ほど書いてきたけれど、飽きることがない。

それこそ明日は何を書こうか、そういったことを日々考えて暮らすことができている。

明日が来るのを楽しみになれる世界が真っ当な世界であり、明日したいと思うことを、今日して過ごすことができるということが喜びであり幸せなのだ。

人は自分の道を見つけることができると、自然と上手くいくようになっている。

それが宇宙の法則である。

人は喜びで生きれば自然と目覚めるようになっている。

だから、我慢する必要はない。

おそらく、このことを「彼ら」は知っているのだろう。

だから、彼らは、我々に蓋を被せてくる。

彼らは、我々に目覚められては困るのだ。

我々が、目覚めてしまうと、彼らは搾取できなくなる。

しかし、彼らのそんな思いより高い意識で生きればいい。

我々が、我慢を手放して生きれるようになったとき、今のシステムが古いシステムだったということを実感するようになることだろう。

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語より

老若男女問わず、明日、したいと思うことを我慢せずにできる社会を作ること、そんな社会を創ってく。

進化とは、繰り返される歴史の定石から脱することである。

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