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「喜び」が循環する社会を創造する

僕が、ここで書いているのは、「喜び」と感じることを積極的に選んで生きていこう、ということがベースとなっていて、それを毎回違った角度から書いている。

では、なぜ「喜び」と感じることを選んで生きよう、ということを書いているかというと、喜びベースで生きることができれば、楽しく生きていくことができるから。

しかも、楽しんで出来ることは飽きることなく、延々と続けていけるため、人生という長い旅路を充実させることができる。

また日々を楽しんで生きていると、内的な平和を得られるようになって、他者に対して優しくなれるし、自分に自信が付いて余裕を持って生きられるようになる。

こういったことから、多くの人が内的平和を得た状態で過ごせるようになれば、この世界は今以上に良くなっていくのではないかと考えていて、そのためにも自分が楽しいと感じることを優先して選んで生きましょう、ということを書いている。

しかし、この内的平和を得られるようになるには、いくつもの段階が必要になってくる。

マズローの欲求5段階説を引用するなら、人は「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」の4つを充たした先で、「自己実現欲求」を充たす挑戦ができるようになる。

「喜び」と感じることを選んで生きるということは「自己実現欲求」を充たすことでもあるから、その前段階として「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」の4つを充たすことが重要になってくる。

自己実現は、これらを充たす環境があってこそ達成できるといってもいいだろう。

そこで、多くの人が自己実現ができるようになるには、なるべく早い段階で「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」を充たせるようになるのが理想であり、この4つを充たせるようにするのが社会の役割となる。

生きる上で基本となるこれら4つの欲求を誰もが充たせる社会を生み出すことができれば、たくさんの人が喜びの中で自己実現に向けて生きていけるようになるだろう。

マズローは、晩年、人の欲求には6番目の欲求があると唱えていて、それを「自己超越欲求」と呼んでいる。

この「自己超越欲求」とは何かというと、自己実現を達成した後に生まれる欲求のことであり、「自分を充たすだけでなく他者の幸せを充たすお手伝いをしよう」ということ。

つまり、人は自己実現欲求を充たすことができるようになれば、今度は他者のために自分を使うことに喜びを見いだすようになる。

自己実現は、自分ひとりでは果たすことができず、他者の協力を得てこそ達成できるもの。

そういった経験があるからこそ、「自己超越欲求」が生れるものであり、自己実現を達成できると、他者の役に立って世の中をよりよくしていこうという思いを持つようになる。

マズローの欲求説を使って、あえて「大人とは何か」と定義するなら、「自己実現」を果たした上で「自己超越欲求」を充たすべく社会に貢献したいと思って生きている人、といってもいいだろう。

こういった人達がたくさん存在するような社会が、大人の社会ということができる。

そして、「自己実現」を果たし「自己超越欲求」を持った人が、他者の欲求を充たせるようなお手伝いをするようになると、世の中はよりよい循環の中で進化していく。

こういった循環のある社会を生み出すためにも、まずは自分を充たすことが欠かせないと思う。

社会は「大人」によって創られる。

自分に満足できている大人が増えれば、この世界がよくなっていくのは必然であり、そういった大人に憧れて若い人達が育っていけば、世の中はいい循環の中で発展していく。

大人が「喜び」で生きるとき、喜びに充ち溢れた社会を生み出すことができる。

若者が、そういった大人に憧れる社会が健全な社会であり、充たされた大人が若者を支援する社会が喜びを循環させることのできる社会となる。

誰もが自分の喜びを追求できる社会を創り出すことができれば、誰もが幸せを感じて生きていけるようになるだろう。

そのためにも、まずは自分の「喜び」を優先させて生きることが大切なのだ。

自分を充たし喜びを感じて生きている人がたくさんいる、そんな世界が我々の進化した姿なのではないかと思う。





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