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#179 早池峰神楽と修験道と明治維新【宮沢賢治とシャーマンと山 その52】

(続き)

神仏習合という日本人が持つ複雑で曖昧な信仰の形の中で、無数に存在していた土着的な信仰がどのように体系化されていたのか、また、どの程度の拡がりを見せていたのかは、今となってはわからないことが多いようだ。まして、維新後に、国家の信仰の枠組みから外れていく中で、どのように変質していったかを追うことも、今では困難であろう。

例えば、花巻の大迫地域で伝承され、日本で初めてユネスコの世界文化遺産に認定された早池峰神楽は、元々は早池峰の修験の信仰と強い結びつきがあったと言われるが、修験の信仰と神楽の結びつきについては、現在ではわからなくなっていることも多いようだ。

現在の神楽の演目には、国家神道に馴染み深い、古事記や日本書紀といった「記紀神話」に基づく内容が多く含まれる。しかし、明治維新以前の神仏習合時代に、修験道との深い結びつきの中で、現在のような「記紀神話」に基づく演目が多く存在していたのだろうか?と考えると、やや違和感も感じる。

早池峰神楽では、演目の最後に「権現舞」が舞われ、「権現」様が大切にされている。現代の日本の信仰においては、改めて権現について意識する機会も少なく、あまり馴染みのない信仰でもあるが、権現は、目には見えない何らかの神が、仮の姿で人々に前に姿を現すという信仰の対象だ。・・・と、説明してみても、わかったようで、わからないようで、それが神様なのか仏様なのかも今一つピンとこない。

しかし、早池峰神楽で最後に舞われる権現舞では、「目には見えない何らかの神が、仮の姿で人々に前に姿を現す」という形が、正に、目の前で繰り広げられる。権現舞が始まる前、権現様たる獅子の頭(=獅子舞の頭のような部分)は、単なる置き物ように、恭しく供えられている。舞が始まるとともに、獅子の頭は、舞手によって動き始めるが、最初は、舞手と獅子は別の存在であり、舞手にとっても、獅子の頭は信仰の対象でもあるようにみえる。

ところが、舞のボルテージが高まると、ある瞬間、獅子と舞手が一体化する。と、そのように表現するのが正しいのか、舞手に神仏が降りる、と表現するのが正しいのか、正確にはどう表現するべきかわからないが、観客の目の前には、確かに「権現様」が現れたように感じられる。

言葉では伝わりずらいが、実際に権現舞を目にすると、上に説明したような内容が、すんなりと体感できるのではないだろうか。言葉では伝わらないが体感すればわかる、といった面もまた、修験道的であるように思われるが、「蔵王権現」という権現が修験道の重要な信仰対象となっているように、権現は修験道と関わりが深い。

権現は、本来は目に見えない自然神のようなものが姿を現し、仏教の信仰対象となるという点で、神仏習合の一つの形でもある。

【写真は、花巻市大迫地域向山展望台の権現様】

(続く)

2024(令和6)年5月1日(水)


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