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書案六尺 〜質 犬まみれになりたい私

犬と暮らさなくなってから早ひと昔である。
私が生まれた時には、既にラブラドールの爺ちゃん犬がいて、背中に私を乗せた写真などあった。
50の年に最後のワンコを見送って、もう自分1人じゃ飼わない(飼えない)との結論に至った。
里親募集だって60以上の方はご遠慮くださいっつうのが多いもんなぁ。
僕らが子供の頃とは違って、ワンコだって長生きする時代だから然もありなんである。

時々無性にタイトルの様な状態になりたいと思うのだが、柴犬カフェなどで数頭相手ではなく、どっかのブリーダーさんに頼み込んで仔犬がワラワラいる中に入っていって、それこそよってたかって舐め攻撃を仕掛けてくる子犬どもの中で、ウヒャヒャヒャとか笑いながら至福の時を過ごしたいなぁなんて思うのだ。

おふくろの実家でマスオさん状態だった父が、横浜にマイホームを購入した時から、何を思ったのか週に一頭は家に犬を連れ帰るようになった時期があった。
我が親父は、区役所勤めだったのだが、併設された保健所の保護施設から一頭を引き取って車に乗せて帰ってくるのである。

連れて来るのは、それこそいろいろなワンコで純血・ミックス・成犬・仔犬 様々で、健常な個体のみならず、股関節脱臼してる狆とかも連れてきていた。おそらくこのせいで保護施設に持ってきた飼い主がいる事に、当時小学生だった自分もえらく憤っていたのを覚えている。
親父としては、明日殺処分予定の檻にいる、自分と最初に目が合ったワンコを連れて帰る事に決めていたらしい。

そんな親父のルーティンに、おふくろも全くもうとブツブツ言うものの、とりあえずお腹減ってんでしょご飯食べなとか言ってそれなりに可愛がっていた。
とはいえさほど広くもない家が犬屋敷になるのは避けるべく、自分の兄弟やご近所さんに、犬飼いません?的な極私的里親活動を始めていた。

かの狆くんも、麻雀好きの叔父が貰ってくれ『ロン』と命名し可愛がってくれた。ご近所さんも外で飼うのが普通だったからこそ番犬としてもらってくれる事が多かった。

そんなプロジェクトも、内犬として飼っていたマルチーズが(おそらくクセ強なとこが嫌われたのだろうが…)留守中に家の中を荒らしに荒らしまくった末に、おふくろが大事に育てていた観葉植物の鉢をものの見事に全壊させ、あまつさえ私が小学校の卒業式用に誂えたブレザーをズタズタにするに至り、とうとうその逆鱗に触れ、今までに見たことのない表情で親父に「もういい加減にしない?」と宣言しその終焉を迎えたのであった。

それから一年もしないうちに親父が亡くなり、完全に本プロジェクトは終了したかと思われたが、お袋も私もすっかりワンコ好きになっていた為、常に家には相棒がいたわけである。

それぞれに思い出深い相棒ばかりだった。
特に私が学生時代に近所に置き去りにされていたのを連れ帰ったミックス(外犬ながら20年頑張った)とその後を継いだヨークシャー(彼も16年一緒にいたなぁ)の2人(合えて2人と呼ぶ)は共にいろんな局面や土地を共にしたので、深く心の中にある。

元々はアメリカの詠み人知らずの散文詩と言われている『虹の橋』をご存知だろうか?
ペットがこの世を離れる事を『虹の橋を渡る』と言うが、今まで可愛がってきた逝ってしまったワンコは虹の橋のたもとで飼い主を待っていて買主がこちらの世界に来る時に共にこの橋を渡っていくという誠に美しい話である。
基本的に神も仏もない私(人それぞれの信心や考え方は尊重するが)ではあるが、これについてはあるといいなぁとしみじみ思っているのである。

それにしても随分と愛する者を抱きしめる感覚を味わなくなって久しいなぁ。(これまたしみじみ)

皆んな 大事な者を抱きしめてるかい?
(ちょっと言ってみたかっただけ)

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