灘と航海

因縁の課題…。だいたい登れずに怪我して終わった課題に命名されたりする言葉だ。岩からしてみれば、勝手に怪我されて因縁つけられるのだからたまったものではないだろう。

神奈川。
22年秋からちょくちょく東京に帰るついでに寄っていた某所。東名高速の某ICからアクセスがよく重宝していた。

メインエリアのルーキー岩の一段下にある丸い岩。「灘」がここにある。

23年1月2日だったか3日だったか。
一通り、エヴァだのオールドルーキだのを登り終えたので、灘を冷やかし半分トライすることに。この頃は自身の力を底上げすべく4段を積極的に触っていたように思う。その一環に灘があった。

取り付いてみると意外にも1日で全パートのバラしが終えた。全く期待していなかったから、自分自身に驚きを隠さなかった。つなぎで核心まで行くもランジが止まらずフォール。悔しかったが深追いせずにこの日は敗退した。

1月5日。しっかりレストを入れて改めてトライする。自信が大いにあった。が、敗退。
灘は右手二本指を酷使する課題だ。この日も何度も二本指でのランジを練習してた。期待値が高かった故に登れなかったやるせ無い気持ちも募りまくる。ルーキーがある岩で目的もなく、ただグレードを消費するためだけに登っていたら酷使していた右薬指をパキらせた。

後悔だらけのこの一日が、灘を「因縁の課題」と認識させた。

半年かけて、指を直した。だいぶ長かった。
23年12月。パキってからはほぼ一年経つ。その間、登り方は多少変わったと思う。何かしら強くなってたと思う。

話変わって僕は来年1月からアメリカに旅立つ。日本の岩場には当分帰ってこれない。秋のシーズンインから日本の岩場を切なく愛おしくなる気分で登ってた。そんな折に、ようやく灘を触る機会を作ることができた。

12月19日。
仕事やら赴任前のプライベートやらでレストを3日間挟んだ。さすがにこの期間レストすると身体が怠けるかと思ったが、そうでもなかった。わりかし体は動く。

ただ、灘を登る自信は全くなかった。怪我をしてからの1年間。多少の成長はあれど灘を登りきるだけ強くなった実感はない。

自分に対する期待はゼロだった。結果論かもしれないが、岩に向き合うにはこのくらいの気持ちがちょうど良かったのだろう。

期待よりも義務感。もう当分触れないだろうという気持ちだけで、核心部分=右手二本指からのランジの復習をしていた。案外、すんなりできる。

次はスタートの復習。こたらもだいぶ苦手意識があったけれども、数トライでコツを思い出す。あとは繋げるだけだが、下からくると核心が悪くなる。当たり前のことだが、1年前がそうだった。

繋げトライで右ポッケに二本指が入った一発目。とりあえずカジュアルに飛び出してみた。なんというべきか、思いもよらず綺麗に止まった。なので声を出す。そのままトップアウト。

勝手につけていた因縁は案外あっさりけりがついた。

終わってみると何となく噛みごたえのない課題のように感じるから不思議である。しかし、じわじわとくる喜びみたいなものもある。久しぶりに気持ちの良い週末。帰りがけに近場の温泉に入り、新東名でひたすら余韻を味わう。当分味わえない日本での週末。

東京から愛知に越してきて3年。一つの航海が次の週末で終わる。最後はお膝元の豊田で締めくくることになりそうだ。その後の行き先はボルダリング発祥の国。フエコタンク、レッドロックス、ヨセミテ、レブンワース、チャタヌーガ、ビショップ、ジョーズ。挙げりゃキリがない岩の国での幸せなJourneyを今は夢見ている。