ワンナイトトーク

テキトーにSNSを使って、最近はグラビティが多いかな?一晩だけ、顔も年齢も何も知らない相手と話すときがある。話した話題もたわいのないことばかりで3日後には忘れていそうで、だけどそれが1番僕には丁度良い。

昔からよくやっていた遊び?とでも言っていいのかすらわからないけれど、たくさんの人と一晩だけ話してきた。
たまにこれでもかと波長の合う人がいて、そういう人とは次の日も話したりするのだが、それは稀有な例で、今まで話したほとんどの人はもう二度と話すことはないだろう。そうやって次の日も話した人だって、それはやがて一ヶ月、一年と連絡する頻度は少なくなっていき、最終的に自然消滅してしまう。去るもの追わずというか、人には執着しないようにしている。執着すると碌なことがない。いや、毎日はなしたりするような人間関係を築く体力がないと言った方がいいのかもしれない。
逆に全く波長の合わぬ者もいる。こればっかりは運だからしょうがないのだが、なぜこうも人によって相性が変わるのか、理解し難い、、なるたけ人によって対応は変えないように心がけているつもりなのだが、、

「話す」とはいってもそれは通話より文章で話すメッセージの方が格段に多い。
それに僕は文章で会話をしている方が好きだ。うまく思いを伝えることができる。通話はメッセージと比べて、反射的な要素が瞬発力が必要だから向いていない。ゲームで例えるなら通話は音ゲーだ。しかしメッセージはある程度、頭で会話を構築しながら話すことができる。ゲームで例えるならメッセージはRPGゲーだ。

ある程度、孤独が自分の中で溜まってきたら、深まってきたら、こうやって知人ではなく、全くどこに住んでるかもわからない方と話すというのもいいかもしれない。現代はネットのおかげもあり話す人を見つけるのは難しくない。

全くわからない他人だからこそ、明日には切れている縁だからこそ言えることはあると思う。

想像以上に人は優しくて、想像以上に自分に興味がない。というのがしっくりくる。
みんな自分のことで精一杯なのだろうか。そんなときこそ何も肯定も否定もせず相槌を打ちながら話を聴いてあげられたら。

次の日にはロウソクがソッと消えるように何もかも忘れているような、何にも役に立たないことばかり、何にも意味のないことばかりを語り合えたら、そう願うばかりである。

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