ああああ

タイトルを何にしようか迷ってけれど全くもっていいものが思い浮かばなかったので、ゲームでRTAをするときの主人公の名前みたいになってしまった。
あと5日働いたらまた無職に戻ってしまうのだが、ひとまず1ヶ月休まずに働くことができたことで自己肯定感を上げることに多少は成功したと言ってもよいだろう。

今日はというと、昨日までの疲れを取るために昼前まで寝て、大学生の弟が帰省してきた後、有馬記念を少しだけ買って負け、m1を観て、寝る前にこの文章を書いていることを除けば模範的独身おっさんの一日だった。

来週、五年ぶりに地元の友人5人で食事に行くことになっている。五年前といえば、三浪していた時で(このこともnoteにいつか書きたい)今思い返すと躁状態が酷く、精神状態も最悪の頃だった思い出したくない時期である。
五年前、僕はハタチだった。

ポール・ニザンの

「僕は20歳だった。それが人の一生で一番美しい年齢だなどと誰にも言わせまい」

この言葉に何度も何度も救われていたのを覚えている。
そうだ若さが、なんだ。青春がなんだ。人にはその人の美しい時期が、輝く時が、咲き誇る時期があるはずだ。などと書いても負け犬の遠吠えだろうか。
当時は平成最後の夏だとか騒がれていて、令和まで付き合っていれば時代を超えた愛になるみたいなツイートがバズっていた。今日みたいな日に恋愛について書くのは野暮なのでこれ以上は書かない。

話を戻そう。
来週どんな顔をして友達と会えばいいのかわからない。五人の中には教師になったものもいれば、公務員になったものもおり、論文を書いている者までいる。それとは対照的に来週には僕は無職に戻っている。おそらくこのことは誰も知らないだろう。もうこの歳になると学生時代の関係性で済むようなものでもない。国語の教科書に載っていた「故郷」が頭によぎったが、その食事会に参加することを選んだ。
なぜ参加することにしたかというと、ここで会わなかったら一生会わないだろうなと思ったからだ。今度会う五人の中で結婚をしている者はおそらくいない。そういった条件も重なっていくことにした。成人式と同じくらい行くのを悩んだ。成人式の時は僕は二浪していて、その時も同じように考えていたように思う。何も成長していないのか?は置いておいて、友人との久しぶりの再会で何か自分の心に変化が起きるのか試したくなったのは事実だ。

もう今年は新しい記事は書けないと思う。結局ぼくの思う以上の文章は書けなかったし、書きたかったこと、表現したかったことを全て発揮できたわけではない。
吐き出したくなる言葉をもっと文章に書かないと精神が持たない気もする。

実家に帰ってきて、はや3ヶ月。すでに一人ぐらいが恋しい。孤独が恋しい。ここには僕の求めていた孤独がなかった。孤独を極めたかったはずなのにむしろ孤独とは無縁な選択を選んでしまった。孤独に救われていた時期は確かにあったのだ。
今からでも遅くない。これを読んだ孤独な人は僕と朝まで語り合わないか。
「今年もクソな一年だったね!どうせ来年もクソだよ!」と笑いながら2023年を一緒に殺そうではないか!

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