勝者の酔いには興味はない君へ

そうだな。うーん。例えばタワマンの最上階でお酒を飲んだり。そういった勝者の酔いにはこれっぽっちも惹かれませんねえ私は。ん?妬んでるや僻んでいるじゃないかって?そう思ってもらっても構わないよ。僕は知っているからね。結局そういった行為の先にあるのはきまって虚無感や空虚感だってことを。
でもね。これはありとあらゆる幸福に当てはまることなんじゃないかな。行きつく先は虚無感と空虚感。幸福は無常にも延々と続かない。至って瞬間的なものだから。だから僕は幸福は虚無感と空虚感とイコールだと言い切ってしまってもいいと思うんだけどきみはどう思う?
お金をいくら稼いでも、どれだけ美味しいものを食べても、たくさんの美男美女と性行為をしたとしてもその欲を満たしたあとの虚無感や空虚感には勝てない。だれしもこの二つの心の穴を満たすことは一人ではできないのかもしれないってことさ。

だから僕は困っているんだ。僕はいつだって一人で独りで幸せになるために生きてきた。その中で最も恐れていることは前提から間違っているかもしれないってことだ。人は一人では幸せにはなれないのではないか。そしてたとえ幸せになれたとしても前述したとおり虚無感や空虚感に行きつく。どうしようもこうしようもないじゃないか。こうなってくるとやはり死は救済だ。永遠に無となり幸も不幸も一切感じない。
なんていってても死ぬ勇気はないんだけどさ。

もういーじゃないか。幸せになるために生きなくても。不快をなるたけ避けて丁寧に毎日を小さなことに感謝しながら生きていれば、それだけで美しいと誰か言ってくれたら。人生は老いてからが長すぎる。対して若さはいつだって青春はいつだって短い。そう思わないかい?

思い返すのはいつだって君と出会ったときさ。
あの日、あの場所で君と出逢っていなかったら。
こう言い換えてもいいかもしれない。
今日この場所でこの文章と出逢って読んでくれた人たち。

ありがとう。

それだけで僕にとっては十分すぎるほど幸せに値するから。
それじゃまた空虚感や虚無感はお返ししとくよ。

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