精神グラデーション

心のあり方によって精神の状態によって文章は変わる。文体すら変わる人もいる。
語彙は豊富なほど、多いほど文章は書きやすいのかもしれない。語彙はお金見たいなものだ。あればあるほど選択肢が多く使い道に困る。使い方にセンスが出る。色鉛筆とか絵の具に例えてもいいだろう。たくさんの色を持っていた方が有利だが、少ない色を混ぜ合わせて綺麗な色を出したり誰にも創り出せない色を出す人もいる。

心のあり方は作品に触れたり、人間関係だったり、社会で生きている上では多少なりとも変化せざるを得ない。微小の変化を大きく捉えたり、大きな変化を何事もなかったかのように捉える者がいる。その変化を書かずにはいられなかったり、書くことで発散したり書く理由は多種多様である。しかしながら文章を書くのが難しいのは、書きたいと思えば思うほど思うように書けない点にある。自分を一歩引いて客観的に見ながらと言えばいいのか、とにかく心が興奮していたり、恋に落ちてるときは注意したい。現実世界で主人公をしながら小説は書けないと誰かが言っていた。

後は発想力や想像力だろう。例えば人間が二足歩行になったのは好きな人と手を繋ぐためである。というようなある種のロマンチックさ、遊び心が必要になってくる。努力云々では片付けられない世界観の作品もあるだろう。しかしいくら才能があったとしても魂がないと響かない。
魂。冒頭に書いた精神に繋がってくる。悲劇を描くには悲劇の心を、喜劇を描くには喜劇の心が必要になってくる。殺人犯の心を描きたいのなら自分の心を殺人犯のようにしなければならない。人は経験したことしか書けないというのはここに帰結してくる。小手先だけで書かれた文は人生の精神の誤魔化しなのである。
僕は読んだ後、少しだけ孤独になるような登場人物においていかれて寂しくなるようなそんな作品を好む。読者が読んだ後、観客が観た後に一息ついて孤独になる。しかしながらその孤独は周りと共有できる。故に孤独は孤独ではなくなる。こういった逆説的な現象が起きてほしい。
精神をグラデーションさせよう。心を変容させよう。そうなったら貴方はもう変わり果てて過去の自分には戻れない。
僕は僕と今までそうやって向き合ってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?