料理ができる能力にはすべてが詰まっている
自慢じゃないですが、わたしは料理ができません
勉強はできる
スポーツもまあまあできる
掃除も片づけも得意
なのに料理ができないのです
大げさですが、わたしの人間性の問題の本質的な部分が、料理ができないという問題に内包されている気がします
わたしのいう料理ができないとはどういうことか
・クックパッドなどレシピを見ればそれなりのものはできる
・残り物でパパッとつくるとか、目分量で適当につくるとかができない
・ちょっと工程が変わると途端につくれなくなる
・同時並行で作業ができない。一つずつしか作業を進められないので時間がかかる
・買い物ベタ。レシピに書いてある食材をすべて買ってしまう。冷蔵庫にある似たようなもので代用できない
・毎日レシピを考えられない。特に疲れていると、出来合いのものを買うか、外食しか選択肢が浮かばない
・◯人前という分量がよくわからない。だいたい多すぎる量をつくってしまう
・レシピを覚えておけない。再現性がない
・特に疲れていると作業に着手する気にもならない。何から始めていいのかわからなくなる
この、料理ができないという感覚を言語化すると、
わたしは、自分のなかである程度法則性を見つけられるものについては、それなりにできるようになるのですが、
料理については、ものすごくランダムででたらめな感じがするのです
うまくいえないのですが、毎回新しい不意打ちを喰らうような感覚で、
特に疲れていると混乱して途方に暮れてしまうのです
もちろん、料理も科学ですから、なんらかの法則性はあるのでしょうが、わたしとチューニングが合わないのです
心身のコンディションが万全で、気力体力が充実していて、頭がスッキリしている日には料理をつくることもできるのですが、
尋常じゃなくエネルギーを使う感じで、すごく疲れます
また、料理をつくっている最中に子供に話しかけられたり、なにか他の邪魔が入ると、ものすごくイライラしたり焦ったりしてしまいます
これは、わたしのASD的な苦手感、困りごとのひとつです
わたしの周囲の人を見てみると、料理ができる人は、男女問わず、広い意味で仕事ができる人、実際的な能力がある人が多い気がします
わたしが思う料理ができる人とはどんな人か
・まず、体力がある
・段取り力がある。現在の状況を把握し、現実的な目標を立て、必要な作業を割り出す力がある
・マルチタスクができる
・大雑把なもの、ランダムなものを統合して認識する力がある
(ASDは、細部の違いをいちいち別のものとして捉えるので、この統合力が弱い気がします)
・元気な日も疲れている日も同じように作業ができる安定したメンタルとセルフコントロール力がある
・他者に奉仕する力、他者のことを考えられる力がある
(自分の調子に関係なく毎日家族のために料理をつくるのはすごいことです)
・自分を大切にする力、セルフケアの力がある
(自分の生活や健康のために料理ができるのもすごいこと)
ちなみに、料理のできないわたしがどうやって家庭生活を維持しているかというと、
夫に料理してもらう
以上です
夫はもともと実家でも料理をしていたり、料理が苦にならないタイプらしく、人が作ったものより自分が作った方がおいしいと断言しています
できないものはできない
人にやってもらう
もちろんわたしも、味噌汁やカレー、オムライスなど簡単なものならつくれますし、
料理ができない分、掃除や洗濯、娘の保育園の用事などは積極的にやっています
うまくいえないのですが、この、料理ができないという感覚は、今は下手くそだけどそのうち上達するだろうとかそういう感じではなく、
本質的にこの料理をつくるという行為がどういうものかわからない、だから一生自分には理解できない、エベレストに登れとか無理難題をいわれている気分なのです
今日は、料理ができない問題についてでした
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