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バリキャリにも家庭的なママにもなりたくない

夫が海外出張4日目で絶賛ワンオペ中


今考えていることを垂れ流すために、ストレス解消のために脈絡のないことを書きます


ワンオペが辛すぎて子どもにイライラしまくり、ストレスで夜中にひとりでマクドナルドのハンバーガーを爆食いし、情緒不安定でしくしく泣いている子育て向いてない人間です

子どもはぐずるどころか普通にいい子にしており、こんないい子すらひとりで面倒見れないのかと自分の子育て適性の無さに絶望する

絶対しないけど、万が一何かとんでもないことがあって夫と離婚することになったら、親権は夫に譲ったほうが確実に子どもは幸せになれるであろう(共同親権の導入決まったけど)

わたしは確実にひとりでは毒親である

子どもがちょっと咳やくしゃみをしては体調が悪いのではないかと不安で動揺し
夜中に鼻血を出して寝ている途中に起こされると眠くてイライラし
遊んでとせがむ子どもに一人にしてほしいとうんざりし
ストレスで過食や無駄な買い物に走る

自分ひとりのお風呂や歯磨きや食事すらめんどくさいのに、子どもの世話なんて死ぬほどめんどくさい

見ようによってはわたしは自分にできないことをしようとしている無謀で無責任な女だし
自分に合わないことをこんなに頑張っているから本当に偉い人間でもある
(普段ひねくれ者で素直に人を褒めない夫が、わたしの限界を察してLINEで偉いよ、よくやってるよと慰めてくれる)

わたしが曲がりなりにも子育てできてるのは、本当に夫が家事も育児もバリバリできるメンタル安定した体力おばけ人間だからであり
実家の母が献身的に支援してくれるからであり
職場に理解があって気持ちよく休みや時短をとらせてくれるからであり
ただただ運としかいいようがない

子どもを愛しているのに、子どもに幸せにすくすくと育ってほしいのに
やりたいことが向いてないとは絶望である

ちなみにわたしは向いてないから子育てすべきでないとか子どもを産むべきでないとかは全然思わない
なぜなら子どもにとって理不尽でない親などいないし
すべての親はある意味で子どもにとって呪いであると思っているからだ
(もちろん親はそのことに自覚的であるべきだし、極力そうならないよう努力すべきだが)
人に何かを必死で与えようとするときに、全く無害であることは誰にもできない
全く無害であるなら関わらないことしかできない

ニュースで子育てでノイローゼになって子どもを虐待したり心中したりしている母親を見ると他人事とは思えない

自分自身の適性か子どもの特性か経済的環境かなんらかの生きにくさがあり、夫や実家の親や勤め先の手助けや理解が得られなければ、そういう結末になってしまうのも同情を禁じえないし、そんな人たちを無責任だと正論で責めても何も解決しない
(もちろん虐待を肯定は絶対できないけど)

ところで正論というのは本当に役に立たないと常々思う
誰にでもわかることを指摘しているだけで赤いものを赤いと言っているようなものである


子育てではすぐキャパオーバーになってしまうわたしだが、仕事ではそんなこともなくわりと余裕があって小器用なタイプでもあり、それなりにできる人扱いされているのだが、だからといって仕事にバリバリ邁進したいかというとそんなこともなく、またASD的な特性のせいで異様に疲れやすく偏りがある

わたしの偏りというのはできることは元々できるし、できないことはいつまでたってもできないということで、皆んなそうだよと思われるかもしれないがそれにしても格差が大きいのである

だからわたしは努力して何かを乗り越えたという経験があまりなく、できることは大した労力もなく最初から人から評価されたし、できないことは壊滅的にできなくて「え、そんな簡単なことがどうしてできないの」という感じでサボっているとか怠けているとか意欲がないとか思われてきた


バリバリ働きなくないのは所詮労働は労働でしかないと割り切っているからであり、天職についていて生き方そのものと仕事がイコールになっている人でない限り、仕事ができるとかできないとか、出世するとかしないとか、評価されるとかされないとか、知識が増えるとか増えないとかにあまり価値を感じないからだ

何かを増やすとか、何かができるということに、どれだけの意味があるのだろうと思ってしまう

もちろん仕事の面白みや、経験や知識が増えることによる視野の広がり、社会とのつながりや人に貢献できることの喜びはわたしだって感じるが、そもそもマインドがやはり仕事人間ではないと常々感じる

わたしは生活するお金をもらうため、規則正しい生活や最低限の社会的つながりを得てメンタルを安定させるため、ある種のゲーム的な暇つぶしと面白さのために働いていて、やはり本質的に出世したいとか仕事で評価を上げたいとか大金を稼ぎたいみたいな気持ちが自分にはない


わたしが好きな本に『母親になって後悔してる』という本があるのだが、ちなみにわたしは別に母親になって後悔はしてないが、この本は本当に良い本なので、ぜひ大勢の人に読んでほしいと思う

この本を読んでやっぱり子どもを産むのは大変だから辞めようとかはできれば思わないでほしい
そういうことを言いたい本ではないと思う

この本の中で、女性は母になるかキャリアを積むかの二択を社会に強いられており、どちらも求めない自由は否定されていると書かれており、わたし自身も、母にはなっているが、そのどちらにもならない自由というものを強く求めている
(わたしがなりたくない母というのは、社会的に許容された母、ということであり、子どもを持ちたくないという生物的な意味での母ではない)

わたしは別にキャリアも積みたくないし、社会的な意味での理想的な母にもなりたくない

変な言い方をすれば、魂の自由というものを求めている

もっと身も心も自由でありたいし、そのためには自分の体も心ももっと深く知りたいし、もっと自由に使えるように訓練したりケアしたりしてあげたい

子どもには幸せになってほしいし、でも自分には限界もある

本当に脈絡がない思考垂れ流しの文章だけど、わたしはとにかく今疲れているし、いっぱいいっぱいだし、はやくひとりになりたい

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