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風が鳴く! 女人禁制の神威岬(カムイミサキ)

みなさんこんにちは。
紅里です。

今日は神威岬です。

北海道西にある積丹半島の岬のことで長い間女人禁制とされていました。
理由はこちら。

伝説によれば、奥州衣川を脱出した源義経が蝦夷地に逃れた折、日高地方のアイヌ首長の娘・チャレンカと恋仲になった。だが野望を捨てきれない義経は彼女を捨ててさらに北へと向かい、大陸へと渡った。義経一行を慕い、この岬までたどり着いたチャレンカであったが真相を知って絶望し、海に身投げした。彼女の怨念の化身こそが神威岩だ、との言い伝えがある。チャレンカが今わの際に「婦女を載せた船がここを過ぐれば覆没せん」と叫んだ[2]ことから、「和人の女がこの付近に近づけば、チャレンカの怒りに触れて祟られる」として岬一帯が女人禁制の地になったとされる。

Wikipedia


義経伝説、東北北海道では色々残っているのよね。
アイヌ首長の娘シララ姫が恋する義経の船出を見て立ち尽くしたまま岩になったという女郎子岩(じょろっこいわ)、弁慶が岩をひねって大刀を置いたという弁慶の刀掛岩、弁慶岬など。
本当か否かはわからないけど江戸後期まで女人禁制であったのは事実。
そして女人禁制が解かれた理由がこちら。

幕末、江戸幕府は蝦夷地を直轄地化し、1855年(安政2年)に女人禁制を解いた。箱館奉行所役人の梨本弥五郎は蝦夷地北端の宗谷へ赴任するため妻を帯同して神威岬沖を通過した。その際、「征夷大将軍徳川家定の家来として君命で通るのに、どうして神罰を受けねばならぬのか」と叫び、岬へ向けて一発の銃弾を放った。これが迷信打破のきっかけとなり、以後は岬の北側でも女性の定住が進んだ

Wikipedia

うーむ。
銃を放つなど中々のパフォーマンス。
これでチャレンカも諦めたのか今は普通に女性も入れます。


かなり風が強い場所で酷い時は安全のため入れない日もあるとか。
今日はどうかしら?


駐車場に到着。
外国人観光客が多いですね。

今日は門は開いているよう。
岬の展望台までは登山並みの道のりだと聞きます。
気合い入れて出発!

初めから坂道を登り、たどり着いた女人禁制の門。
門の向こう側には綺麗な海とこれから辿るチャレンカの道が見えます。
この時点でもまあまあの強風です。

夫の短髪が真横
チャレンカの道

うわー、綺麗!
少し進むと素敵な景色に目を奪われます。
流石は有名な積丹ブルーです。

が、途中から風がさらに強くなります。
そして響き渡る風の鳴き声!
ぴゅーという口笛を100倍の音量にしてすぐ耳元で聞かされているような感じ。
動物の鳴き声にも聞こえるかな。
それが繰り返し繰り返し響き渡る!

細い軽い眼鏡なら飛ばされる勢い。
ここに帽子は絶対にダメかも。

道も狭くガタガタ。
すれ違うのも譲り合い。

外国の方が多いので挨拶程度の英語が飛び交う。
「Thank you」「You’re welcome」
久しぶりに英語らしきものを話し少しドキドキ。

数十分歩きやっと灯台が見えた〜。
展望台近くになると草は少なくなり岩が剥き出しに。

風が強すぎてピンぼけ

ここまで来れば展望台までは後少し。

到着!
これが積丹半島神威岬の展望台からの景色!

チャレンカが身を投げて身体が岩になったと言われる神威岩

見渡す限りの青い海と岩礁。
積丹半島は元々断崖絶壁が続き奇岩が多い所なんだけど神威岩はさらに神秘的。

地球は丸いと認識できる素晴らしい景色…
なのだが!
風が強すぎて長くいられない!笑

展望台といっても人が4人立てるかどうかの小さいスペースで休める場所もない。
写真を撮ったら退却です。

振り返ると今まで歩いてきた道が雪山と相まって海とはまた別の美しさです。

途中手すりに止まって飛び立つタンミングを図っている鳥を発見。

調べたけどよくわからなかった

この強風の中よく飛べるね〜。

やっと女人禁制の門まで戻ってきたが耳がぼわんぼわんしている。
それくらいの強風とすごい音量の風の鳴き声だった。
台風がこない北海道育ちの私からすれば人生初の強風だったかも。

今はまだ草が枯れているけど夏になれば緑の草と青い海でなお一層素晴らしい景色がお目見えします。

機会があれば是非!

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