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樺太引揚三船殉難事件の慰霊碑へ

 今回の北海道帰省では、留萌市の黄金岬にある「樺太引揚三船殉難 平和の碑」に手を合わせてきた。
 樺太引揚三船殉難事件の際、多くのご遺体が打ち上げられたという留萌市で、犠牲者の追悼のために建立された慰霊碑である。

 「樺太引揚三船殉難事件」については、以前にもこのnoteに書いた。


 けれど、この事件については、いまだに太平洋戦争関連の番組等でさえも取り上げられることは少ない。
 そのため、北海道外では、残念ながらご存知ない方も多いのかもしれない。


 昭和20年(1945年)8月14日、日本は無条件降伏を認めるポツダム宣言の文書に調印していた。
 しかし、終戦後の8月22日、北海道留萌沖において、樺太(現在のサハリン)からの引揚者を乗せた小笠原丸、泰東丸、第二号新興丸の3隻が、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦=現在のロシア)の潜水艦により激しい攻撃を受けた。
 小笠原丸と泰東丸の2隻が沈没。特設砲艦だった第二号新興丸だけは沈没を免れたものの、砲撃と銃撃により船内でも多くの死者が出たという。沈没寸前の状態で近隣の留萌港に入港出来た第二号新興丸を含め、3隻の犠牲者数は、1,708名とされている。
 当時は、現在のようなきちんとした形での乗船者名簿等が作られていなかった。さらに、当時の樺太の状況から、実際の犠牲者の数は1,708名よりも多かっただろうと現在では考えられている。

 ソ連が突如として対日参戦を宣告したのは、昭和20年8月8日だった。
 樺太においても、ソ連軍による虐殺により多くの民間人が犠牲となっていた。


 過ぎたこと。
 過去のこと。
 そもそもソ連という国はもう無いのだから、ソ連の蛮行など語り継ぐ必要は無い。
 今のこの国の多くのメディア関係者や社会派のライター達は、そう判断しているのかもしれない。


 けれど


 報道されなくても、私は、忘れずにいようと思う。
 報道されないからこそ、私は、私の言葉で、伝え続けてゆこうと思う。


 一人でも二人でも、この記事に目を留めてくださる方がいることを心から願い、そして信じている。



 

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