令和時代の売立てはインターネットの中かもしれない
向田邦子さんに「負けいくさ 東京美術倶楽部の歳末売立て」というエッセイがある。
デジタル大辞典によれば、売立てとは
とある。よくある骨董市やデパートの催事なども売立てのひとつだろう。
こうした販売会はあくまで一定期間だけの催しなので、その時に「欲しいけれど、これはまた次回にしよう」と断念するとそんな次回は二度と来ないことが往々にしてある。それゆえ、絶対に何も買わないぞ、今日は見るだけだと心に誓って足を運んだはずが、これはというものを見つけてしまうと決意はぐらついてしまう。
向田邦子さんのエッセイは、「負けいくさ」のタイトルどおり、心動かされた品々の描写とともに、そんな品々を目にして当初の買わないという決意が揺らいでゆく様子がユーモアたっぷりに書かれている。
私の大好きなエッセイのひとつでもある。
先日、私はnoteに長年愛用しているウェッジウッドのカップアンドソーサーのことを書いた。
今どきのネット広告のサーチ能力は凄い。
noteに広告はないが、この記事をnoteに載せて以降、PCでもスマホでもニュース記事を読もうとYahoo!を開くたびにウェッジウッドの商品が表示されるようになった。
とはいえ、先の記事に書いた通り、ウェッジウッドのテーブルウェアの中でも私が好きだったデザインのものの多くは残念ながら現在は廃番となっているので広告には表示されない。
また、すでに我が家には先日書いたセージグリーンのカップアンドソーサーの他に、定番のウェッジウッドブルーのジャスパーウェアの小さなカップアンドソーサーもある。さらに、私がここ数年の間に気に入って買い求めた九谷焼のカップアンドソーサーや伊万里焼のマグカップも。
加えて、今の夫も私と同じく酒器や食器を楽しむ人である。結婚後は夫婦で福島県の浪江町まで度々足を運んでは、お気に入りの大堀相馬焼を買い揃えるようになっている。
結果、現在の我が家には夫婦二人暮らしには十分すぎる数のテーブルウェアが揃っており、小さな食器棚はもちろんのこと引越しの際にこれは便利だと喜んだ台所の収納スペースもすでに一杯である。
積み重ねて保管できるお皿や夫婦で使うものならともかく、一人用のティーカップは、これ以上買ってももう置く場所が無い。
この先、たとえどんな広告が表示されても、もう買わないぞ。
そう思っていた。
しかし。
ある日、いつものようにヤフーニュースをチェックしていた際、画面の横に表示された広告に、私の目は釘付けになってしまった。
そこにあったのは、学生時代のあの日、ジャスパーウェアとともに魅了されたものの手が届かず買うのを諦めていた「フロレンティーンターコイズ」というデザインのティーカップアンドソーサーだった。
ギリシャ神話のグリフィンをモチーフとしたそのデザインの各種テーブルウェアの一部は、現在もウェッジウッドの公式オンラインショップで販売されている。
しかし、そこにかつて憧れていた繊細なデザインのティーカップはもう無いということに私が気付いたのは、数年前。
最初の結婚に失敗し、紆余曲折の末に別居を経て独身に戻った翌年のことだった。
その年、私は仕事でちょっとした表彰を受けた。
単に長く働き続けたことに対する表彰に過ぎないと分かってはいたが、それでも評価されるのはやはりありがたい。まして、私の職場は人様から注目されることのないインフラ関連の建設業界、しかも私は衛生管理者という人目につかぬ役職だった。
働き続けた日々の間には公私共に様々な出来事があり、退職を考えたことも何度もあった。その度に周囲に支えられ、あるいは自分で自分を鼓舞しながら働き続けた20年。
その表彰と思えば、感慨深いものがあった。
表彰に際しては、賞状だけでなく金一封もいただいた。
せっかくの機会。何か記念になるものを買おうかと思った時、私の脳裏に浮かんだのは、学生時代に憧れたものの手が届かず買えなかったフロレンティーンターコイズのティーカップアンドソーサーだった。
私が学生時代に初めて店頭で目にした時の価格は、私が購入したジャスパーウェアの約2倍。当時の私には手が届かなかった。
私が独身時代から大切にしていたお気に入りのティーカップのうちのいくつかは、前夫と別居していた間に無断で売り飛ばされていた。残ったのは、別居の際も常に手元に置いていたいくつかのウェッジウッドだけだった。
様々な出来事のあった20数年。
その節目。
どんな時も仕事を捨てることなく働き続けてきた自分へのご褒美に、若い頃に憧れたあのフロレンティーンターコイズのティーカップこそ最高最適ではないか。
そう思ってウェッジウッドの公式サイトを検索したのだが、公式サイトに私の欲しかった品は無かった。
経営破綻以降も、ウェッジウッドではさまざまなテーブルウェアが製造販売されている。生産拠点はインドネシアに移り安価な商品も多くなったが、イギリスの工房では今もウェッジウッド独特の美しいテーブルウェアが作られていると聞く。しかしながらその生産量は少なく、かつての商品がすべて日本の公式サイトから購入出来るわけでは無かった。
学生時代、あるいは就職してすぐに、少し無理をしてでも買っておけばよかった。ウェッジウッドが経営破綻してしまう前に。そう悔やんでも、後の祭りである。
それ以来、ずっと心残りになっていた品だった。
表示された広告は、ウェッジウッドの公式通販サイトではなくヤフーショップのものだった。
怪しい広告は決してクリックしないが、ヤフーショッピングは日頃から日用品の購入でも利用している。一応警戒して広告はクリックせず、ヤフーショッピングのアプリから検索してみた。
すぐに、広告に表示されていたティーカップが出てきた。
扱っていたのは、アンティークの食器や雑貨を取り扱うお店だった。経営破綻前のウェッジウッドの品。サイトに掲載されている商品紹介の写真を見る限り状態も良い。裏には英国製を示す刻印と、かつてのウェッジウッドを象徴する壺のマーク。
しかし、価格は1万円超。
もちろん、状態の良いアンティークにしては良心的である。とはいえ毎日使うものでも無いティーカップの値段としては安価でもない。買うのは夫婦の財布からではなく自分の財布からではあるが、つい家計を考えてしまうのは働く主婦のサガというやつだろうか。1万円あれば極上の塩竈のマグロの刺身を何度食べられるか。阿部勘の大吟醸を何本買えるか。いや1万円あれば勝山も買えるぞと、つい贅沢な晩酌を想像してしまう。
諦めるか。
いや、でも、待て。
心をよぎるのは、向田邦子さんのエッセイの言葉。
物は、アンティーク。
在庫は、1点のみ。
これを逃せば、ずっと心を残すことになるのでは無いか。
翌週の昼下がり。
私は、好きな器で紅茶を味わっていた。
令和の時代のネットショッピングは、様々な売立てが常に開催されている状態なのかもしれない。しかもその案内はお便りでは無くダイレクトに目の前に表示される。
ありがたいが、危険である。
しばらくは、広告が表示されないサイトだけを見るよう心がけたいと思う。
とはいえ、
やはり、嬉しい。
「本当に嬉しそうだね」
おそらくお茶をいただきながら頬が緩みっぱなしだったであろう私に、夫が笑って言う。
ありがたいなあと、しみじみと思う。
好きなものとともに暮らす日々を、これからも大切にしていきたい。
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