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学ばない限り同じことの繰り返し

スピリチュアルな観点からも、元々は魂として存在していた私たちは、この地球に降り立ち、生命を与えられ、学びを得るために生きているとされ、「学ばない限りは同じ現象が繰り返される」とされています。

これは、別にスピリチュアルや宗教的思想、成功哲学でなくとも、人間社会の中で、当たり前のこととして存在する事実です。

何か不幸なことや、不運なことがあっても、自分が学んで変わらない限りは、当たり前に何度も同じ失敗を繰り返します。

特に、人間関係で悩む場合、自分の課題をクリアしていなければ、違う相手、違う環境でも同じ問題にぶつかります。

これを、スピリチュアルとしては、「姿形を変えて何度もそれは現れる」、と表現しています。

まず理解しなければいけないのは、他人を都合よく変えること、環境を変えようとすることは、膨大なエネルギーを要するため、ただ自分が苦しむ結果となるということ。

それよりも、もっと小さな力で、簡単にシンプルに他者との関係性、世界という存在を変える方法は、自分が変わるということ。

それも、内面的なアプローチをしていくことが、最も小さな力で、いとも簡単に世界を変えられる。

それが、真の学びというもの。

スピリチュアル界隈で、「あなたが創造主」と言われる意味が腑に落ちれば、世界は瞬間的に変貌する。

何もしなくても、それは起こる。

何かが起きた時、決まってそれをどうにかしようと躍起になって何かを始める。

それが悪循環の始まりで、それはそれとして受け入れることが出来ないから、どうにかしようとし始める。

その行動こそが、学んでいない証拠であって、それはそれとして「在るもの」と認識していかなければ、成長はしない。

どうにか出来るのは自分自身だけであり、答えはいつも自分の中に存在している。

他人や環境のせいにしているうちは、魂として、人間としてまだ未熟だということだ。

だからといって、そんな自分を責める必要はなく、他人であっても責める必要もない。

私たちは、その未熟であることが完全な状態であって、それが当たり前だからだ。

完璧な人間などどこにもおらず、完璧でないことが完璧とも言える。

全ての学びを得て、もうこれ以上は学ぶことがないとすれば、私たちは生きる意味、その存在意義すら危うくなる。

まだ未熟であること、学べることがあることは、まだ成長できるということを意味し、それが生きる喜びというもの。

それが、本来の幸せの形であって、学べるからこそ生きることは楽しい。

有名な書籍の一部に、こんな言葉があった。

「絶対にストライクしか出ないボーリングのレーンがあります。あなたはそのゲームをやりますか?」

人生には、失敗することなんて沢山あるし、成功は少ないからこそ喜びが大きいもの。

何もかもが、自分の都合よく動き、何の困難もなければ、成長もないような世界で、どこに楽しさを見出だせるでしょうか?

想像してみて下さい。

失敗しない世界に、成功というものが存在出来るでしょうか?

この宇宙というのは、全てが対として存在し、それらが表裏一体としてあるからこそ、幸せを感じられるのです。

お腹が空かない世界は幸せですか?

眠らなくてすむ体になって、嬉しいですか?

寒さも暑さも感じられない皮膚を手に入れて、楽しいですか?

冬があるからこそ、春の喜びがあるものです。

嫌いな人がいても、不運なことがあっても、上手く行かなくても、それらは全て、自分の幸せの種です。

それらが全て存在しているからこそ、あなたは幸せを感じられるのです。

それが、最後の学びとも言えます。

学ばないと何度も繰り返されるのは、それを受け入れないことによるものです。

その問題を、いくら解決しても何度でも起こると感じるのは、本当の意味で解決されていないからです。

その問題そのものを解決することには意味はなく、真の学びと解決は、「問題はあって当たり前」と受け入れ、解釈することです。

そして、それは単なる地球のゲームだと認識すれば、苦しむことなどなくなります。

全ては自分の中で起こっていることです。

なくすことのできない問題や悩みを、どう受け入れるかによって、誰もが同じゲームをやっているはずなのに、内容は全く別のものになります。

それらを受け入れられず、苦しい、逃げたい、どうにかしたいと思えば、ゲームはいつもハードモードです。

在るものと認識し、解決や成長を楽しみ、ミッションをクリアすることに喜びを覚えれば、ゲームはやりこみ度が高く、ハードでもハイクオリティの楽しいまのになります。

そして、それに慣れてしまえば、いつかそのゲームはイージーモードになります。

「学び」が、自分の人生を楽しくしてくれることは間違いありません。

あらゆる出来事に、一喜一憂してしまうのは、人間ですから仕方がありません。

ですが、不運や不幸を嘆き、どうかそれを他人や環境のせいにはしないで下さい。

それらの出来事から感じるものは、全てあなたへ与えられる大切なメッセージです。

全てはあなた次第です。

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