宝塚記念、新馬先生はこう見る〜光と闇〜
プロローグ
若い頃、
僕は財布の中にコンドームを潜ませていた。
あ、待って。
ひかないで。
まだもう少し読んで。
僕はその頃からだいぶ年を経て、
やっとその事実をネットでさらけ出せるくらい羞恥心がなくなってきた。
準備は万端なのに、財布の中にい続けたコンドーム、略してサイコンちゃんを結局使った記憶がない。
そして、いつからか僕は財布にあやつを潜ませることをやめたのだ。
そもそも、私はなぜだか財布をよくなくす。
人生の中で確か5回なくした。
いや、6回か。
ソース元は忘れたんだけど、
日本では財布を落とすと、60%くらいの確率で戻ってくるらしい。
ちなみに、僕の手元に財布が戻ってきたことは1回だけしかない。
しかも、その1回も紛失届を出してから4年くらい経ってから出てきたのだ。
拾ったのは近くの川でバーベキューをしていた学生らしく、当たり前だけど、中の現金はなくなっていた。
オールレザーの黒い財布は、水を吸ってブヨブヨの別物に変わっている。
嫌な重みが加わった私の財布。
カード類はそのままで、不正利用はされていなかった。
そして、なぜだかコンドーム、通称サイコンちゃんはあるべき場所から紛失していた。サガミオリジナルの高いやつ。
僕は運が悪いのかもしれない。
と、財布を見て、今まで疑念だったことが確信に変わった。
そして、気付いたのだ。
僕の財布からサイコンちゃんを抜いた誰かに
「あ、こいつ、財布にコンドーム入れてやがるよ」
と思われてると思うと死にそうに恥ずかしい、
ということに。
そう思ってから僕はサイコンちゃんとお別れをし、正々堂々と戦うことにした。
というか、なんの話だ。
宝塚記念だ。
今年の宝塚記念は、絶対的な王様がいる。
レーティングでも世界王者だ。
それと戦う相手は、当たり前だけど競争だから正面からぶつかるしかない。
奇襲を考えるのは人間であり、馬ではない。
でも、人は想いを委ねた競走馬を勝たせるために、策を練る。
僕は思うのだ、
人は愚かである。
けれど、愚かが故に戦う、争う。
さて、宝塚記念の予想を始めよう。
調教評価
宝塚記念、さすがG1という出来の馬が多かった。距離短縮の馬はスピード感や前走の疲労度、距離延長の馬は操縦性など改めて見直してみた。加えて、何より疲労度。ここを見て評価をしていきたい。
調教評価第1位
12 アスクビクターモア
最終追い切りの動きでコーナーを曲がって直線を向いた時、一瞬口向きを悪くしたが、ストライドを大きく伸ばして弾けた。
元々デビューから気性的問題でウッド単走の調教で走る馬だが、気合い充分。
ゲートの練習も過程としてしっかりやっている。元気度で言えば去年の春先と同等。
横山武史騎手が中間乗ってないことや、ストライド的に良馬場向きという馬ではあるが、力を発揮出来れば間違いなく良い馬。
調教評価第2位
9 ジャスティンパレス
天皇賞の後、疲労が気になっていたが、1週前追い切りはCWを外に回して好タイム。鮫島騎手が中間も最終も乗っており、持続的な脚を使っている。元々、調教駆けする馬なので評価が常に高くなるが、要はそれだけ操縦性が高い証拠。逃げ馬が外枠にいるので課題は位置取りだが、早め仕掛けすれば大崩れはないと見る、
調教評価第3位
5 イクイノックス
連続写真で見てほしいのだが、最終追い切りの三頭併せ馬真ん中から加速して抜け出すまでの距離、要は加速能力が段違いでビックリした。出来は100%ではないが、早めの栗東に入り最終でしっかりと間に合わせたという点でとても評価を上げたい、間違いなく強い、風格みたいなものを感じた。
調教評価第4位
6 スルーセブンシーズ
こちらも早めの栗東入りで、元気いっぱい。気持ちも強く、ピッチ回転が早い。雨が降って重馬場になれば出番登場という感じ。中間に池添騎手が乗ってないことが気がかりだが、早い足ではなくジリジリ伸ばしてくるように見える。先行馬が外にいるので、内で脚をためて隣のイクイノックスより前で競馬が出来れば、楽しみな一頭、
調教評価第5位
10 ディープボンド
単純な比較でジャスティンパレスの1週前追い切りタイムが上で、併せ馬の外と内を通した比較でディープボンドを5位にしたが、出来は良い。疲労はあまり感じさせず、1週前鞭を入れて加速。負荷をかけてきた。状態は不安なし。
その他
今回は他にも良い馬が多い。
1週前の追い切り出色の動きだったヴェラアズール。とにかく手前をちょくちょく変えるのだが、これは癖かつ、これで勝ってタイムも出すので、とにかく加速で評価したい。
あとはドゥラエレーデ。
最終でもタイムを出してるし、ダービーの時より元気な気がしている。大外枠なのは少し気がかりだけど、斤量活かして思い切って前へ行ければ怖い存在。
エピローグ
根暗な僕はいつも太陽に焦がれていた。
底なしに明るい人を羨ましいと思えたし、
素直に物事が見れる人に憧れた。
大学生の頃、
金銭的事情で風俗で働いていた同級生の女子がいて、僕はその子がちょっとだけ気になっていた。
「俺の友達なんだけど………」
と前置きを置いて、財布にサイコンちゃんを隠している男ってどう思うか聞いてみた。
「うーん、財布の中に入れてると圧迫されて、使う時破れて危ないかもよ。」
と、求めた答えと違う打球を返してきた。
そして、その子はもう一言。
「人によるけど、私はそういう男は
根暗だと思うから、やめた方がいいって友達に教えてあげて。」
と言われて、僕は愛想笑いを返すことしか出来なかった。
まだ、その頃は気になる子に自分が根暗とバレるのが恥ずかしかったんだと思う。
告白する前に勝手にフラれた僕は、
その日、槇原敬之の
「もう恋なんてしないなんてしない」
を風呂場で熱唱し、
寂しさを紛らわせたような気がする。
年をとって良かったなと思うのは、
過剰な自意識、人からすげえとかちょっと変わった奴だと思われたいという謎のカリスマ願望から解放されて、だいぶ楽になれたということだ。
つまり、自分が実は凡人だと認めることに、慣れていった。
更には、万人がすごいと思えるものやことを素直に認められること。僕はこれに40年近く時間がかかった。
要は天才にはなれないということを認められた。
僕にとって競馬を見る、予想するという行為は、一種の自分がすげえという確認行為の名残でもある。
そして、その次くらいに、初めてサラブレッドを見て感動したあの時の気持ちを思い出すためにやっている。
あぁ、読んでて何てめんどくせぇ奴だなと思った君、そうなんだよ、僕はめんどくさい奴なんだ。
だって書いてる当人もそう思ってるんだから。
でも、今はそんな自分も前より許せるんだ。
天才には天才の苦しみがある。
と知ったのは奇しくも6年前だった。
星野源さんの
「SUN」
という曲が僕はとても好きで、どこか懐かしいメロディーで聴いてて心が弾む。
でも、不思議と遠い誰かに向けて書かれたこの歌詞は誰に向けたものなんだろうという疑問。
本人の著作を読んだ時、あぁ、と思ったのだ。
太陽は明るく全てのものに光を与える。
命を授け、煌々と輝きながらも、実はその実態に近づくことは出来ない。
「SUN」の2番の冒頭は
こんな歌詞から始まる。
前段に書いた大学の同級生と仲良くなったきっかけを思い出した。
彼女はダンスサークルに所属していて、同級生のパフォーマンスを見るために小さな事でダンスホールでのイベントに訪れた時、他の人が集団で踊る中、1人彼女は白いスーツでシルクハットを被りながら、重力を超えたみたいに踊っていて、それをとてもカッコいいと思ったのだった。
彼女が踊っていた曲はSmooth Criminalだった。
14年前の6月25日、
1人の天才がこの世を旅だった。
Hey,J
マイケル ジャクソン
Jはjacksonの頭文字。
綺麗なフォーム、
理想的な走り方。
調教師は去年のグランプリ前にその馬を
「天才」と称した。
凄いものは凄い。
この時代に見れる世界1のパフォーマンスを
見れる幸せ。
レースが終わった頃、
強いものは強いと群衆はざわめく。
拍手を浴びる勝ち馬が見える。
昼と夜が等しい日、
光と闇の表裏一体を意味する馬名。
天才が皆の期待に呼応する姿が見たい。
2023年
6月25日
宝塚記念
僕の本命は
5 イクイノックス
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