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ジャパンカップ、新馬先生はこう見る~エキセントリック

プロローグ

日本がワールドカップで
ドイツ代表に逆転で勝つことになるよ。

タイムマシンがもしも存在して、
彼にそんな事を伝えられたら、
なんて答えてくれたのだろうと思う。
きっと初めてインタビューをした
あの時のように控えめに笑うのではないだろうか。
きっと嘘だ!とは言わなかったと思う。

少しだけ昔話をさせてもらうと、
僕が初めてスタジアムで見た
日本代表の試合は、
2001年、埼玉スタジアムのこけら落とし。
日本対イタリア
当時は日本で開幕するワールドカップに国民全体が心躍らせていた時期だ。

ブッフォン、カンナバーロ、デルピエロ。
錚々たるメンバーの中で、僕はある選手の動きに魅了された。
テレビでは見えない、一線級の動きという物はこれなのかと。

僕はトルシエジャパンが敷いたフラット3の中心で、ラインの裏を取るためだけに動き続けるある選手に目を奪われた。
その運動量と、ボールのないところで考えて斜めに走る。
時には汚く、わざとらしく倒れファウルを得るFWは僕の知るエースの理想像ではなかったけれど、
「相手の裏を取る」
という究極系だと感動した。
あんなのを続けたら、そりゃあラインが疲弊する。

それ以降、20年が経つが、
僕の1番好きなフォワードは
今でも、フィリッポ・インザーギである。
通称 ピッポ。

スタジアムでしか出会えない驚きや感動を覚えた10代の若造は、
その数年後、ゴール裏のサポーターから記事を発信する側に転身した。

そして、今でも思い出したように、文章を書いている。

前置きが長くなったが、
僕の中で、今日は
日本で1番インザーギに似たFWと思えた、
ある選手について語らせてもらおうと思う。

名前を工藤壮人という。

初めに断っておくが、工藤選手と僕はある一年強の中で、5回ほどしか会っていないし、内3回は簡単な囲み取材で喋っただけだ。
ただ、嘘偽りなく、彼ほどサッカー選手で、実直で誠実な選手には出会ったことがない。

2008年。
大学院生兼とある媒体のユース専門記者だった私が柏U-18だった工藤選手に出会ったのは夏だった。
会社から頼まれて取材に行った、
日本クラブユース選手権の準決勝。
優勝候補筆頭だったガンバ大阪ユース相手に、試合終了間際、
工藤選手は決勝ゴールを挙げチームを勝利に導いた。
初めて見た彼は、共に前線を張る指宿選手と並び、
誰よりも獰猛にゴールを狙う肉食獣のような気迫を常にまとっていた。
なんとなく、7年前に見たピッポのそれに似ていた。

既にトップ昇格を決めていた相手側のエースの取材が
そもそもの目的だったが、
彼はきっとインタビューに答えてくれないと踏んだ私は、
試合終了後に柏側に走り、決勝点を決めた彼に声をかけた。
彼の高揚感と喜びを伝えてくれた後、工藤選手は右手を差し出した。
一介の若造記者に選手で握手を求めてくれたのは、
後にも先にも彼だけである。

彼はそのゴールで、
トップ昇格を決めたのだと後に知った。

大学院を卒業し、出版社に就職を決めた
私の記者生活は高松宮杯で終わることとなっていて、
私は、また縁あって柏ユースが入ったグループDとCを担当。
工藤選手は予選から、ゴールを重ねた。

予選2戦目の流通経大柏を工藤選手のゴールなどで快勝した後、
囲み取材の後、監督に許可を取り、
工藤選手に少しだけインタビューを取りたかった。
なんとなく、あの握手が忘れられなかったのだ。

まず、試合後に急に決めた取材を詫びた。
彼は全く意に介さず、受け応えをしてくれた。

まず、私が彼に聞いたこと。
「高松宮杯予選突破おめでとうございます。
まず、何回か取材した中で、
工藤選手はプレースタイルに似ず、
とても礼儀正しいですよね、それはユースの監督からの教えですか?」

思いもよらぬ質問だったのか、彼は面喰らったように、
控えめに少し笑って答えてくれた。
真摯な対応をしてくれるのは、彼の父親が警察官で、
真っ直ぐに育ったのだと。
お兄さまが落ちた柏ユースに自身が受かったからには必死でやろうと思っている影響だと思うと。
習志野スタジアムの周りをクールダウンがてら歩きながら、
彼と語った10分弱。
インタビューの御礼を伝えると、
やっぱり彼は終わりに握手を求めた。
彼との会話の録音を起して、
取った簡単なインタビューを柏レイソルを通して掲載許可の可否を確認した。
ユースからトップ昇格の部分だけは、リリースの都合上カットされたが、
そのインタビューは僕の記者生活最後のインタビュー記事だ。

しっかりと物事の真偽を得ることの重要性を学んだのは、今でもこの経験が活きたと思っている。

彼がその5年後、日本代表に選ばれた時、ビッグマウスと揶揄されるよう発言をしていたが、本質は気宇壮大そのものではなく、彼は自身を鼓舞していただけなのだと私は思う。

工藤選手は2013年、東アジア選手権に伴う日本代表に選出され、
韓国での優勝に大きく貢献した。
もう、僕の知っている工藤壮人選手はあの頃から大きく選手として成長し、
簡単に会える人ではなくなっていたけど、なぜだか不思議と距離は感じない。
たぶん、それがきっと変わらずまっすぐな選手であるからだと信じていたからだ。

代表選出から2年。
彼は、柏レイソルの9番という安住の地を捨て、
サッカーが上手くなりたいというサッカー少年のままに、
カナダやオーストラリアに移籍をし、行く先で愛された。

僕もバンクーバーに行く前の彼に会ったのが最後だった。
スタジアム前で偶然だったが、やっぱり変わらぬ彼だった。
彼のチャントで大好きなエキセントリック少年ボウイのを軽く歌うと、
今度は冷ややかに、けどやっぱり控えめに笑った。
今年、J3の宮崎に安住の地を求めた彼に
7年ぶりに会いに行こうと思っていたが、
その再会は叶うことがなかった。

工藤壮人選手が亡くなった。

先月、体調不良で倒れた彼は急性水頭症と診断され、
入院、手術を経て21日に天に召された。
全ては、報道のままだ。
入院の報を聞いた時、
どこかで若く体力のある彼が助からない訳がないと高を括っていた。
しかし手術から10日、彼は闘って旅立った。
それでも、実感は伴うことなく、今月の5日、献花台で花を置いたその時、
彼は私がいないということをやっと実感し、頬から涙が伝うのを感じた。

こんな競馬の予想を語る場で壮人を思い出すなんて、
ときっと君は思うだろう。
だから、日本がもう一度サッカーに湧く、
今日の日だからこそ、君の思い出を振り返る。
それを前のように笑って許してほしい。

壮人、君が世界で戦った舞台と同じように
そしてワールドカップと同じように
今週は競馬で、各国がぶつかるよ。

さて、話がだいぶ長くなった。
JCを予想しよう。

調教診断

調教診断第1位

6 ヴェラアズール

一週前が出色の出来。

今回はこの馬が群を抜いて1番良かった。
一週前追い切りは松山騎手が乗って好タイム。
最終も輸送前だが、上場の出来。
前走よりも更に走れる状態と見える。

調教診断第2位

13 テーオーロイヤル

中2週の短いスパンだが、最終追いはラスト1Fで良い出来。
叩いて良化したと見た。
前走が不完全燃焼なので、距離短縮な点を加味しても怖い1頭。

調教診断第3位

11 カラテ

最終坂路は良い出来に見えた。

出来は良い。坂路も良く走っている。
とにかくこの馬は距離適正が発揮できるか否か。
それだけが不明。

調教診断第4位

18 ボッケリーニ

最終追いでだいぶ仕上がった。

一週前はCWで4頭併せ。浜中騎手が一般的に追ってタイムは出たが、併せ馬に遅れた。
最終追い切りが秀逸。軽めに追って加速。前の週の重々しい空気が抜けて、輸送前に良い追い切りをした。

調教診断第5位

3 ヴェルドライゼンデ

レーン騎手は調教も上手い

一週前の坂路が凄い動き、と思ったらレーンが乗っていた。レーンは調教も馬を動かせるのが上手い。最終も良く動いていた。余談だが、ヴェルトライゼンデは上がりがジリジリが多いのだが怪我明けの方が上がりが早い。
怪我前よりも今の方が完成度は高いと見ている。

その他

迷ったのが、15 シャフリヤール。
1週前が芝追いで、最終が坂路。
あまり今までに見たことのない、調教過程だが、坂路の動きはまずまず。芝追いはスピード感覚と疲労負荷を抜く意味合いか。調教に福永騎手を乗せていたので本気の藤原仕上げと見た。

エピローグ

もう少しだけサッカーの話をすることを許してほしい。

日本が中東の地で、ドイツ相手に夢物語を見せた最大の立役者
権田修一選手は、彼の死をこう悼んだそうだ。

「僕らができることは、彼のために頑張るのは当然だけど、忘れないことだったり、そういう選手がいたんだよと、記録にも記憶にも残してあげるというのは大事。僕は工藤に何点かとられているので、その失点は(頭に)浮かびましたね。前向きに捉えるのは難しい。残された僕らはサッカーを楽しんで、幸せを感じてやらないといけない」
デイリースポーツ 10/22より

2013年の東アジア選手権で権田選手と工藤選手は、互いに召集されて同じ試合ではなかったが、1試合ずつ出場をはたした。

柏ユースで、同年代で同じ年に昇格を決めた酒井宏樹選手。
彼の訃報を聞き、自身のSNSで文章を出した。

「小学生から今まで長い付き合いでした。共にプロになり、リーグ優勝して日本代表のユニホームも一緒に着ました。彼の分まで戦おうなんて、きれい事を言うべきではないかもしれないし、決して簡単なことじゃないですが、今までよりもうちょっと頑張ろうと思います」
酒井宏樹選手のInstagramより

僕は彼らほど工藤選手と親しいわけでもないし、
言葉を交わしたわけでもない。
けれど、

でも、オーバートレーニング症候群で鬱症状を経験した権田選手が自身で与えたPKで先制点を与えた後もあまり悲壮感を感じさせず、最高のポジショニングで追加点を与えなかった。

酒井選手が後半最後まで足を攣ってもサイドで走り抜け、試合終了間際で、惜しくも追加点こそならずも、ゴール前で決定機を演出したのを、

きっと、どこかで工藤選手が見ていたと信じたい。

そして伝えたい、日本サッカー界はとても惜しい人材を失ったと。
彼の他では体感していない経験は必ず、
後塵の雄に何かを伝えられたはずだから。

改めて、JCの出馬表に目を落とす。
インザーギのようにペースを緩めず疾走していく1頭の馬が見える。
後ろの相手を気にはするが、一番の敵である、己自身と戦うのだ。
G1で2着だったが怪我という苦労を経て、
復活の狼煙をあげた勇敢で獰猛なライオンを彼に重ねる。

ジャパンカップ
僕の本命は
9番 ◎ ユニコーンライオン
日立台に誇る、永遠の黄色い9番。

対抗は 6 〇 ヴェラアズール
カタールで輝く日の丸の赤。青い帆を張るサムライブルー。

今日、このエッセイを書きながら、
工藤選手にインタビュー記事の感想をこう伝えられたことを思い出した。

「長いよ。けど良かった。」

すまない、やっぱり、またこのエッセイが長くなってしまった。
だから、せめて結びの句は短く伝えよう。

壮人、早すぎるぞ。君がいない現実が、僕はとても寂しい。
このエッセイを改めて献花の代わりに。

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