ひらが ごう

つれづれなるままに そこはかとなくかきつくれば あやしうこそものぐるほしけれ

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最近の記事

〈究極のラブソング〉宇多田ヒカルの 『Play A Love Song』を考察する

『Play A Love Song』 作詞:Hikaru Utada 作曲:Hikaru Utada 傷ついた時僕は 一人静かに内省す 深読みをしてしまう君は 不安と戦う Hold me tight and don't let go Why we fight I don't know 他の人がどうなのか 僕は知らないけど 僕の言葉の裏に他意などないよ 長い冬が終わる瞬間 笑顔で迎えたいから 意地張っても寒いだけさ 悲しい話はもうたくさん 好きだって言わせてく

    • 「死」— 組み変わる本質

      今日も早朝サーフィンを終え、家でぽけーっとしております。僕は入れる日は朝夕サーフィンをします。朝は地平線の向こう側から昇る朝日を前に、海面に反射するゆらめき輝く光の道に導かれるように沖に向かいパドルをし、夕方は山や海面を鮮やかに彩る夕焼けを眺めながら岸に向かいパドルをして帰ります。 大きく深呼吸をすると、周りの全てがグニャっと溶け込んでしまったような何とも神秘的な気分になります。サーフィンは僕にとって動的な瞑想といえるかもしれません。 さて、今回もスピノザ『エチカ』より興味

      • 「自殺」— そこに《意志》はあるのか?

        今日は早朝サーフィンを終え、家で椅子に座り窓から見える山や海や空なんかを見ながら、ぽけーーっとしています。鳥がぴーちくぴーちく鳴く声なんかも聞こえます。とても心が安らぎます。僕の中の小さな喜びのひとときでもあります。 ということで文章でもつづってみようと思います。 今回もスピノザ『エチカ』より、興味深い部分を紹介していきたいと思います。 題名にある通り、スピノザは「自殺」というものをどうとらえているのでしょうか。 まず始めにスピノザは「自由意志」という概念を認めません

        • スピノザ的「善」と「悪」が面白い!

          今回もスピノザ『エチカ』より「善」と「悪」の概念について紹介をしたい。 まず始めに、自然状態において世間一般で用いられる善と悪という概念は存在しません。 これは少し考えれば分かることだと思います。 自然界にはそれ自体として善いものとか、それ自体として悪いものは存在しないとスピノザは言います。 はい、その通りです。スピノザ様。 しかし 「は? 善悪なんてあるわけないじゃん。」 では身も蓋もありません。 『エチカ』は倫理です。僕たちが善く生きるためにはどうするべき

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          「無知者」による誹謗中傷および嫉みについて

          いきなりスピノザ『エチカ』からの引用からスタートします。ここで「神」という言葉が出てきて「ぬぅっ!」となるかもしれませんが、前々回書いたようにスピノザの神は、僕たちが考える神の概念とは全く異なりますので、拒否反応を起こさずここではさらっとスルーしてください。 「無知者」というのは外部から何か「働き」を受けると、こぞってゴキブリのように動き出すけど、それがなくなった途端に何もなかったかのようにいなくなる。 スピノザはこのことを指して「存在することをやめる」と言っています。 

          「無知者」による誹謗中傷および嫉みについて

          僕たちは「本質」をどうとらえているか — コナトゥスという概念について

          今回もスピノザの『エチカ』より、「コナトゥス」というスピノザの有名な概念についてづづっていこうと思います。 「コナトゥス」とか聞くと、また哲学者が小難しい言葉使いやがって、と思う方もいると思います。僕も心の底からそう思います。たまにイライラします。しかし、哲学者は既存の言語で表現することができないことを、言語化し概念化するというのが仕事でもあるのです。そして実は僕たちも普段から小難しい言葉を何も考えもせずに、当たり前のようにガンガン使いこなしているのです。 例えば「風(か

          僕たちは「本質」をどうとらえているか — コナトゥスという概念について

          「完全」と「不完全」という概念について

          今回はスピノザの「エチカ」より、完全、不完全という概念についてつづってみたいと思います。 「エチカ」には「神」という単語が出てきて、宗教的なものを想起してしまうかもしれませんが、僕たちが普段使っている「神」という概念とは全く異なります。スピノザの「神即自然」はむしろ自然(宇宙)科学的です。論理物理学者のアインシュタインも「スピノザの神は信じる」と言ったほどで、相対性理論もスピノザから多大なインスピレーションを受けて出来上がったものです。 スピノザがどういう人で、どういう時代を

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