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小説『松子さんの結婚』2

「よお。やす子」
当の正太郎と顔を合わせたのは、翌日のことだった。

これもまた、テスト期間のせいだ。
勉強中の息抜きに店においてあるコーラをいただきに来たら、配達に来た正太郎と鉢合わせてしまった。

正太郎は近所にある酒屋の跡取り息子だ。
わたしの実家である居酒屋は、代々正太郎の店からお酒を仕入れている。
毎日のように配達に来る正太郎は、子どものころから顔を合わせる親戚のような存在だ。

正太郎はわたしよりも8歳年上だ。だから今年、23歳。
高校を卒業してすぐに実家の手伝いをはじめたから、社会人歴は松子さんより長い。

松子さんは音大を出た後に実家でピアノ教室をはじめたから、社会人歴は3年ほどだ。
松子さんは正太郎より3つ年上だから、今年26歳のはずだ。
結婚適齢期といえばそうなのだけど…なぜよりによって正太郎なのだろう。

正太郎の顔を見つめながら、わたしはくるくるとそんなことを考えた。
あいさつも忘れていたら、正太郎はわたしの目の前でひらひらと手を振り「やす子?」と怪訝そうに眉をひそめた。

「テスト期間で疲れてるの」
わたしはぶすっとした顔で、そう言った。
そしてずかずかと店の奥にある冷蔵庫に向かい、コーラを取り出した。

代金の100円はしっかりと冷蔵庫脇に置く。
店の商品だからといって好き勝手に飲むわけにはいかないのだ。
自分で飲んだ分の代金は自分で払うのが、我が家のルールだ。

「高校のテストは大変なんだろ? 一応進学校だもんなあ」
空のビールケースを重ねながら、正太郎は言う。
わたしはきんきんに冷えたコーラの瓶を片手に、振り向いた。

正太郎はいつものように酒屋のエプロンをつけていた。
近所のデザイン工房に注文して作ってもらったオリジナルのエプロンだ。
昔ながらの酒屋さんの前掛けのように見えるけれど、店名は英語で入っていてなかなかに凝っている。
正太郎のお父さんは代々続いてきた酒屋を何とか続けていきたくて、あれこれ試行錯誤しているのだと噂に聞いた。

一方の正太郎は、何も考えていないと評判だ。
店を継いだのも、ほかの仕事に就くのが面倒だったからだと噂されている。

何しろ正太郎は昔からかなりの問題児で、遅刻は常習犯、学校をサボって隣町の映画館で見つかったこともある。
高校のころタバコで停学になりかけたこともあったけれど、それは友達が吸っている場面に居合わせただけで濡れ衣だったことがのちに証明された。

何かと騒ぎが絶えないのが、正太郎だ。
品行方正な松子さんとは、何から何まで違う。

正太郎の方から結婚のことを話してくるかなと思ったけれど、違った。
ビールケースを重ねた正太郎は、黙って見ているわたしをふしぎそうに見た。
そして「熱でもあるのか?」と聞いた。
わたしは黙って首を振った。

「勉強しすぎて知恵熱でも出たのかもな」
熱はないと言っているのに、正太郎はそう決めつけた。
重ねたビールケースをかつぐと、「無理すんなよ」と言いながら裏口から出て行った。

わたしの具合が悪くなるとしたら、正太郎のせいだ。
正太郎がわたしの松子さんを奪っていったからだ。

わたしは口をへの字にしたまま、コーラの瓶とともに母屋に戻った。
うちのお店に来るお客さんたちが「やってられないよ」と言いながらビールをあおる気持ちが、はじめてわかった。


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