マイノリティゆえの違和感

 昨日は旧知の仲間での懇親会がありました。それ自体は当時、お世話になったボスを囲む会で、少人数なので適度に楽しく盛り上がりましたが、僕のマイノリティの琴線に触れる話題が何となく持ち出されて僕に話を振られ、正直困惑しましたが、そこに琴線があるなんて誰も想像できないことについて、これまでの経験則上、理解していますので、曖昧な愛想笑いを浮かべつつ適当に応対し、話題が別に移ることを待っていました。
 酒が飲めなくなっていることも、その場にいる人にとっては人生の楽しみ減じていると感じるようで、割り勘負けもするし、何もいいことはないだろうと、これは別な下戸な人を中心にしての盛り上がった話題ですが、酒を離れたことの多幸感を味わい、時折、人付き合いに妥協して飲むことにあまり喜びを感じない、どころか後悔さえ感じる自分にとっては、居心地の悪い話題でした。
 こういうマイノリティゆえの違和感こそが、僕が外に出ようとしていることの原動力なんですよね。ただ、大半の人にとってはそんなことで居場所がないなんて思うこと自体が意味不明でしょうが、このまま順当に王道を進むことは、王道を進む人たちの中心に連れていかれることになり、いよいよそうした人たちとの認識のギャップに苦しむことになります。
 このことについて、最近、ある漫画と出会い、そこに描かれるマイノリティのすがたかたちは異なれど、投影の先にある影は僕の持つ影と同じだなと、影に共通点を見出した次第です。
 でも、誰も僕の影なんて見ていないから、僕の抱える苦しみはわからないだろうなと感じます。
 このまま自分を誤魔化して、王道に進むことは、自分にとっても、また、マイノリティの後進に対しても、価値ある生き方とは言えません。同時に、こうした部分を抱えながらの転身を、どういう人が理解してくれるのか、一般的なルートでは到底出会えないご縁を探す必要があり、それこそ必死になって僕のことを発信して、僕が真に生きる道を拓いていかなければならない、そういう覚悟をあらためて、かみしめた次第です。

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