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連載小説「359°」 第3回

   『ユナ』 ③

 担任のイトウ先生は「抜き打ちテスト」が大好きだった。「抜き打ちでも点数を取れるのが、本当の学力だからな!」といつも偉そうに言っていたが、なんてことはない。毎週の時間割を何も考えずにテキトーに作っているだけのことだ。現に、体育館が空いていないから今日の体育は無し、なんてことは日常茶飯事だった。定年間近のおじいちゃん先生で、授業を早めに切り上げてどうでもいい雑談をしたり、突然のビンゴ大会をしたりと、主に勉強嫌いの一部の男子たちからはそれなりに好かれていたが、総じて評判は悪かった。姉も、はっきり「嫌い。」と、私や家族に言っていた。

 「えー、次の二時間目の音楽は、ちょっと昨日から…ラジカセの調子が悪いので、無しにします。ん?ああ、ごめんごめん。かわりにね、抜き打ちテストするから。」
「サイアクー」「またかよ」教室中が非難轟々であったが、このイトウという男はいつも通り全く気にしていない様子であった。突然配られたのは、国語のテスト。
 「はい。よーい、はじめ。」静まり返った教室の中で人知れず、私の心臓は大きく波打っていた。ただ一人、私だけ、この理不尽な抜き打ちテストの答えを全て知っていたのだから。

 前の週の金曜日。放課後の帰り道のことだ。
「ユナ、給食袋は?」
「えっ…。あれ…。多分…学校に忘れちゃった。」
仲濱南小のきまりでは、給食の際に使うエプロンやランチマットが入った袋を、毎週末持ち帰ることになっている。
「わたし、取りに行ってくる。ヒナ、先に帰ってて。」
「わたしも行こうか?」
「だいじょうぶ。わたしも家のカギ、持ってるから。」
「でも…、」
姉の返答を待たずに、私は学校に向けて走り出した。「何かあったら心配だから、必ず二人で一緒に登下校しなさい。」何度も母に言われてはいたが、できれば一人になりたい、姉と離れたいとずっと思っていた。もう四年生だ。万が一、母にバレたとしても、怒られるほどのことではないだろう。

 学校のインターホンを押し、名前と要件を伝える。イトウ先生は、用事があるとかでもう学校にはいないらしい。
「いま、玄関のドア開けますね。」
おそらく教頭先生だろう。インターホン越しの声のあとに、ウィーンと自動ロックの開く音が聞こえた。
「いま先生方は大事な会議中なので職員室にいます。給食袋を持ったらすぐに、交通安全に気をつけて帰りましょうね。」
「わかりました。」
ガチャッとインターホンの切れる音が響く。

 放課後の学校に一人で入るのは初めてだった。何か不思議な、ワクワクとした高揚感に包まれる。どうせなら学校中を探検してみたかったが、四年生の教室は一階なので、すぐにたどり着いてしまい、残念だった。
「あった。」
窓側の一番後ろ。私の机の右側に、見慣れた袋がちゃんとかかっていた。教室内を見渡してみると、私のほかにも三、四人が持ち帰るのを忘れているようだ。特にいつもシワシワのエプロンを付けているユウジなんて、もうずっと学校に置きっぱなしにしているに違いない。その時、ふと気になって、先生の机も見てみることにした。
「あ、やっぱり。先生も置きっぱなしじゃん。」
イトウと刺繍された布製の袋が、教師用の大きな机の脇にぶら下がっている。イトウ先生もユウジと同じぐらい、ずっと持ち帰っていないのだろうと想像できた。机の上にはえんぴつや赤ペン、クリップなどが散乱しており、ガサツな性格をよく表していた。その他にも開きっぱなしの教科書、余ったプリント類、そして机の一番端には…
「…!」
無造作に置かれていたのは、小分けにされた何種類もの紙の束。私は思わず、息を殺した。間違いない。『見なおしシート』。いつもテスト返却の時に一緒に配られる、『子ども用のテストの答え』だ。これから数か月の間に使うのであろうそれが、積み上げられていた。

 ―それから、学校を出て家に着くまでのことは、あまり覚えていない。ずっと誰かに見られているんじゃないかという恐怖を押し殺すので、精一杯だった気がする。
「ユナ、おかえり。あった?」
「うん。」
いつもはリビングのテーブルの上に、一度、ランドセルを置くが、その日は先に帰宅していた姉に一言返しながら、そのまま自分の部屋へと向かった。そして、姉が追ってきていないことを確認したあとで静かにドアを閉め、自分の机の一番下の引き出しの中に、大量の『見なおしシート』を押し込んだ。そばにあった大きめの、図鑑か何かを上に乗せて、できるだけ見えないように…誰にも見つからないように…。

「一枚ずつなくなったって。先生、絶対気が付かないよ。」

自分に言い聞かせるように、小さな小さな声で、そう呟いた。
その時の私は、一体どんな表情をしていただろうか。

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